2011年1月31日月曜日

アラブの歴史が動き出した


 アラブ世界の歴史が確実に動き出した。 もはや止めることはできない。 チュニジアの地方都市で政府の腐敗に抗議して焼身自殺した26歳の失業青年ムハンマド・ブアジジは、巨大地震の震源地となった。 独裁政権の抑圧下で人々のあいだに充満していた不平不満が大津波となり、たちまちチュニジアの独裁者ベンアリを飲み込んだ。 そして、その大波はアラブの大国エジプトをも襲った。

 貧しくても従順なエジプト人が街に繰り出し、独裁大統領ホスニ・ムバラクに「出て行け」と叫ぶ姿は感動的な驚きだ。 ピラミッド見物に来た日本人観光客が、カイロ国際空港で飛ばなくなった帰りの飛行機をぼんやりと手持ち無沙汰に待っているのは信じられない光景だ。 彼らは歴史の目撃者になれる幸運に遭遇したのだ。 歩いてでもカイロ市街に戻ってエジプト人たちとエールをかわせばいい。 一生の思い出になるだろう。 帰国などせずに、独裁者の最期を見届けようではないか。

 きょう(1月31日)のCNNには、イスラエルの元カイロ駐在大使がエジプト通として登場していた。 彼は、現在の抗議行動でエジプトが民主化され、民主的な選挙が実施されるとすれば、それがエジプトで最初で最後の民主的選挙になるだろうと警告していた。 

 選挙に勝つのは、イスラエルの存在を受け入れようとしないイスラム勢力で、彼らが政権を取れば二度と選挙などしないという論理だ。 イスラエルは、敵対するアラブ諸国の中で曲がりなりにも自国と国交を持ち、イスラム勢力を抑圧する独裁エジプトの延命を願っているのだ。

 中東や外交の専門家たちは、中東で最大の親米国エジプトの独裁が崩壊すれば、米国にとって大きな損失となり、米国が主導してきた中東秩序の再構築がせまられると”解説”する。

 だが今は、したり顔の解説や分析に耳を傾けるときではない。 そういう意見には、アラブ人たちの血や汗の臭いが欠如している。

 腐りかけた偽善の秩序が崩れつつある。 きっと大きな混乱が起きるだろう。 だが、われわれは、それを受け入れなければならない。 なぜなら、アラブ大衆の犠牲で成り立っていた世界的搾取システムから流れ出てくる甘い汁を、われわれも貪ってきたからだ。  

2011年1月21日金曜日

なぜサクラの植樹なのか


 ぱっと咲き、散っていくサクラ。 そこに人生のはかなさと死に際の潔さを見る。 サクラは日本人の精神を象徴するという。

 ”咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため”

 太平洋戦争末期、大日本帝国が始めた勝つわけのない戦争の仇花、特攻隊出撃で多くの若者が死んだ。 「同期の桜」が大いに流行したのは、そのころだ。 花見には美しいサクラだが、当時は若者たちの無駄死を鼓舞する役割も担ったと言える。

 最近では、外国との友好や平和の象徴として、日本人が世界のあちこちでサクラの植樹をしている。 2009年には、上海万博予定地で、「日中友好・緑と花の植樹事業」と称してサクラの苗木が植樹された。 2010年には、日本とトルコの交友120年として、トルコのイスタンブール、アンカラなどの都市に3000本のサクラが植樹された。

 太平洋戦争で多くの若者を「散り際の美学」で死に追いやったサクラが、なぜ、いつから友好や平和の象徴になったのか知らない。

 1912年、東京・荒川堤のサクラ並木からとった苗木が米国に贈られ、首都ワシントンDCのポトマック川岸に植樹され今も咲き誇っている。 だが、サクラは平和の構築には貢献しなかった。 植樹から29年後の1941年12月8日、日本は真珠湾を電撃攻撃し、日米は戦争に突入した。

 寒風吹く真冬に、唐突にサクラを話題にしたのは、ボランティア活動に熱心な女友達I さんが、日本からはるか離れたボスニア・ヘルツェゴビナでのサクラ植樹を進めているのを知ったからだ。

 1990年代のボスニア紛争では、戦火と民族浄化で20万人が死に、200万人が難民になり、第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の悲劇となった。

 日本人によるサクラ植樹はボスニアの平和のためだという。 彼女たちの活動ぶりを直接きいていると、まじめで純粋な気持ちがひしひしと伝わってくる。 そもそも、そんな遠くの国の出来事を自分のものとして感じ取り、行動を起こす感受性、知性、想像力、実行力が凄い。

 とは言え、どうしても、ピンとこないのだ。 ボスニアの平和を願うのはいい、だが、どうしてサクラの植樹なのか。

 ボスニアでは、紛争で深まった民族間の亀裂がまだ埋まっていない。 サクラのお花見をして憎しみを忘れなさいとでもいうのだろうか。 あるいは「散り際の美学」で過去をすっぱり捨て去りなさいというのだろうか。 それは、あまりにナイーブであろう。 かつての軍国日本は周辺アジア諸国の人々に日本精神の受け入れを強要した。 まさか、心優しい彼女たちの心を、そんなことが一瞬たりともよぎったことはないだろうが。

 日本外務省は、日本国の存在を誇示するための記念碑風のものを各国に作りたがる癖がある。 サクラ植樹がそんな姑息な”外交”の手段に使われているとも思いたくない。

 ボランティアとは何をすべきか、I さん、今度いっしょに考えませんか。

2011年1月16日日曜日

チュニジアで何が起きたのだ?


 1月14日、23年間にわたってチュニジアに君臨していた独裁大統領ベンアリが、急速に勢いをつけた反政府デモの拡大に耐え切れず、サウジアラビアへ脱出し、政権が崩壊した。 強権支配の海・中東イスラム世界で起きた唐突ともいえる驚きの政治ドラマをどうとらえるべきか。

 希望的観測をするなら、長いこと停滞していたこの世界で地殻変動が起きつつある前兆、歴史的転換点が表面化した出来事である。

 チュニジアは政治的、経済的に安定し、治安も良く、ヨーロッパ人など外国人で賑わう地中海の観光立国だった。 イスラム教国の中では宗教色は薄い方で、宗教理解が貧弱な日本人にはイスラム世界の入門に最も適した国でもあった。

 おそらく、外国人の目には見えない社会の水面下で、経済的格差、支配層の腐敗などに対する国民の不満が次第に蓄積されていたのであろう。 それにしても、独裁政権崩壊は突然だった。

 きっかけは、大学を卒業しても職のない26歳の若者の焼身自殺だった。中部の町シディブジの市場で野菜を売っていたが、警察官に無許可販売ととがめられた。自殺はそのあとだった。 これをきっかけに抗議行動に火が付いた。 すぐに全土に広がり、当局との衝突で数十人が死亡したとされる。 それによってベンアリ政権への憎悪はさらに深まった。

 ただ、その前に、いわば序曲があった。 あの世界的に注目されたWikileaksの大暴露の中に、ベンアリ政権の腐敗に関する情報があったのだ。 独裁への不平不満は、この暴露によって、まるで可燃性の油のように、ひたひたと社会の底辺に広がっていた。 若者の自殺はマッチのひと擦りだった。

 アルジャジーラなどの中東メディアは、もうひとつの要因に注目した。 インターネットである。 ブログ、ツイッター、facebookなどが、当局のサイバー攻撃、妨害にもかかわらず、政府批判運動の拡大と継続に大きな役割を果たしたというのだ。

 まさに、サイバー社会を象徴する政治ドラマだったと言えるだろう。 だが、新しさはそれだけではない。 1979年のイラン革命以来初めて、大衆行動によって独裁体制が倒されたことに注目しなければならない。

 イラン革命後、中東イスラム世界の大衆は、政治社会改革運動の思想的支柱として、イスラム主義に期待を寄せた。 だが、「イスラムが解決」というスローガンは現実にはならず、過激主義を生み、多くの犠牲者を出し、人々は次第に期待をしぼませていった。 

 1990年代後半には、文明間の対話を訴えたイラン大統領モハマド・ハタミの穏健路線がイスラム大衆に「民主化」という希望を抱かせた。 2001年の9・11事件後は、ブッシュ政権の米国が、テロの温床は非民主的な中東の独裁・専制支配にあると考え、中東諸国に「民主化」圧力を加えた。 だが、その結果は米国には、実に皮肉なものとなった。 エジプトなどで政治規制を緩和して実施された選挙で、反米勢力が大きく伸長したのだ。 こうして、「民主化」はさたやみになってしまった。

 以来、中東イスラム社会は沈滞したままの状態が続いているとみられていた。 チュニジアのドラマが生まれたのは、こういう状況下だった。 だが、これまで変革運動に登場してきたイスラム勢力や野党、軍部といった既成の組織は表立った動きをしないまま、独裁は倒れてしまった。

 これはいったい何なのだ。 まるで、社会変革の未知の要因が作用したかのようだ。 無論、チュニジア情勢は今後、注意深く観察しなければならない。 ベンアリが去って別の人物が指導者になっても、権力構造に変化がなければ、ありきたりのクーデターになってしまうからだ。 ただ、当面は、この新現象に、周辺地域の独裁者たちは神経を尖らせるだろう。 彼らは自国の政治的締め付けを強めるかもしれない。 だが、それは彼らが怯えた証拠だ。

 ゆっくりでもいい。 歴史が確実に転換するのを目撃しようではないか。 

  

役に立つ児童擁護施設リスト


 全国の「伊達直人」さま


 ランドセル、金の延べ板、その他の贈り先をお探しでしたら、インターネットで「全国児童養護施設協議会」にアクセスすれば、全国の児童養護施設579か所の中から、お近くの贈り先をみつけることができます。

 なお、東京にお住まいの「伊達直人」さまには、「とうきょう福祉ナビゲーション」が役に立つと思います。 東京および近郊にある62の児童養護施設がリストアップされ、それぞれの施設に関する専門家による評価情報も閲覧することができます。 ご自分の好みに合った施設をきっとみつけられることでしょう。

 皆さまの活躍に期待しております。

2011年1月14日金曜日

新聞はつまらない!!!!!!


 「日本の新聞はだからつまらない」

 Newsweek日本語版最新号(2011・1・19)のカバーストーリーである。 日本の新聞関係者には、刺激的な記事と受け取られたかもしれない。 

 ストーリーを要約すれば、日本の新聞記者はすさまじいエネルギーを費やして収集した情報を自分の頭の中で反芻し、ジャーナリスティックに吐き出す知的能力に欠けている、同業他社との無意味な競争に明け暮れ本来向き合うべき読者の存在を忘れている、といったところか。

 無論、Newsweekが書いているように、個性的で有能なすばらしい記者も多くいる。 だが、おしなべて言えば、同誌の指摘は正しい。 なぜなら、ここに書かれていることのほとんどは、普通の記者たちが夜な夜な、仲間内で飲み、酔い、議論していることなのだから。

 Newsweekの記者はきっと、彼らといっしょに飲んで聞いた話をもとにストーリーを作ったのだろう。 惜しむらくは、記事が、酔っ払い記者たちの悲憤慷慨の域をあまり出ていないことだ。 もう一歩踏み込むなら、この問題をまじめに、いつまでも議論する記者は出世せず、適当に議論から身を引き、当たり障りのない記事を書いている記者は出世する現実に目を向けるのも面白かった。

 とはいえ、こういう指摘をたまにするのはいいことだ。 外国、とくにアメリカの目線を必要以上に気にする日本人と日本の新聞には、ちょっとした刺激になるからだ。 これも日本の新聞の惨めな現実ではある。

2011年1月11日火曜日

「伊達直人」単独インタビューに成功???


 かつての人気漫画「タイガーマスク」の主人公「伊達直人」を名乗って、日本各地の児童施設にプレゼントが贈られ、世間の関心が次第に高まっている。 年明け後、最も注目されるニュースになる雲行きだ。 おそらく、最初の群馬県中央相談所へのお年玉ランドセルを模倣し、各地に広がったのであろう。 いったい、どんな人たちが「伊達直人」になっているのだろうか。
 日本中には無数の「伊達正人」を名乗る人物がいるのかもしれない。 だから、そのうちの1人に会ってインタビューしたからといって、どうということはないのだが…。 
 *     *     *     *     *     *
 ―あなたが、タイガーマスクの伊達直人を名乗っているというのは本当ですか。
 「その通り。 答えられる質問には答える」
 ―わかりました。 インタビューの録音と写真撮影はいいですか。
 「いや、それは困る。 それから、身分が明らかになるような個人情報は提供できない。 この点は了解してほしい」

 ―そうですか。 まあ、とりあえずインタビューを始めましょう。 まず、年齢は?

 「正確には言えないが、思春期にタイガーマスクに夢中になった世代であるのは間違いない」

 -「伊達直人」を名乗る気になった動機は?

 「群馬の施設にランドセルが『伊達直人』名で贈られたニュースは、かつてタイガーマスクに夢中になった心の琴線に触れた。 すぐに、『俺もやってみよう』と思った」

 -結婚して家族がいる年齢と思われますが、家族には話していますか。

 「とんでもない。 女房はおしゃべりで、たちまちばれてしまう。 まあ、信じれば、の話だが。 『亭主がバカな冗談をぬかしている』と言いふらすのは間違いない」

 -それでは、まだ誰にも話していないのですね。

 「その通り。 これが初めてだ。 ランドセルばかりでなく、衣類、靴、スポーツ用品、自転車、それに奨学金だって贈る計画だ」

 -そうなると、かなりの資金が必要ですね。

 「そう、だから話しているんだ。 協力してほしい。 『伊達直人基金』を設立した」

 -で、どんな協力?

 「一口10万円の献金、何口でも構わない。 協力すれば、誰でも『伊達直人』になれる」

 -これまでに何人くらい協力しましたか?

 「たくさんいる。 ニュースで報じられたうちの何件かは基金からのものだ」

 -ということは、あなたは、すでに多くの人に「伊達直人」を名乗っているのですね。 さきほどは「初めて」と言いましたが。

 「なに、疑っているのか!」

 -当たり前だ!  おとなしく話をきいてりゃあ、調子に乗りやがって。 オマエは間抜けな詐欺師だろ!  警察を呼ぶぞ!

 「バカヤロー! テメエ、気を付けろよ、月夜の晩だけじゃねえんだぞ!」

 *     *     *     *     *     *

 心優しい伊達直人たちは、みんな本物の伊達直人であろう。 だが、いかがわしい贋者も混じっているかもしれない。 善意を食いものにするヤカラを許してはいけない。      

2011年1月10日月曜日

止まらない!!!! 多摩川フクロウ狂騒曲











 多摩川のフクロウに群がる霊長目ヒト科カメラ族の数は、年を越しても減る気配はない。
 さらしものにされた可哀想なフクロウたちよ!!! 
 カメラじじいと呼ばれる年寄りは、巨大な望遠レンズの重さに耐え、腕をぶるぶる震わせながら樹上のフクロウを捉えるシャッターチャンスを狙っていたが、明らかに手ブレ防止機能の限界を超えていた。 あの震えは本格的寒気による強い北風のせいもあろうが、自分の実力を無視した喜劇であろう。
 有名な女写真家ヘニー・ファン・ヘールデンがベンガルワシミミズクの迫りくる飛翔を見事に捉えたCanonのテレビCMを真似しようったって、そうはいかない。
 高額なカメラとレンズをいじくる快感に没頭するオタクたちには、彼らの標的となったフクロウたちの心情を慮る神経が欠落している。(もし彼らがCanonのCMの影響を受けているとしたら、この騒動の責任はCanonにもある。フクロウは近くに聳え立つCanon本社に、糞の大空襲を仕掛けるべきだ)
 彼らのそばを通るとき、覗き魔変態集団の薄気味悪さを背筋にぞくぞく感じる。 これも寒さのせいだけではないと思う。