2014年7月22日火曜日

がんばれ大砂嵐


 エジプトの首都カイロに住んでいたとき、友人たちと”月の砂漠”でピクニックをやってみようという話になった。 ある満月の夜、クルマに食べものと飲みものを積んで、カイロの西、ギザのピラミッドの向こうに広がる砂漠を目指した。 エジプトの「西方砂漠」と呼ばれる地域の一端だ。 そのずっと先は、アフリカ大陸の大西洋側まで伸びる広大なサハラ砂漠につながる。

 夜の砂漠の道路は、時折り長距離トラックが通る以外は静まり返っている。 月明かりで砂漠をはるか彼方まで見渡せた。
 

 とりあえず、道路わきの適当な場所にクルマを停め、みんなで荷物を持って、歩いて砂漠の中へ向かう。 砂漠といっても、このあたりは、中東のたいていの砂漠と同じで、サラサラした砂ではなく乾いた茶色い土だ。 「砂漠」ではなく、水が少ない土地という意味で「沙漠」と表現したい。

 沙漠に向かって50メートルほど歩いていって、われわれは気付いた。 くさいのだ。 ウンコの臭いがあたり一面から漂ってくる。 そういえば、ここに来る途中、トラックを路肩に停めて、運転手が沙漠に向かって歩いている光景を見た。 そう、道路から数十メートルは、近からず遠からず、トラック運転手たちが尻を他人に見られずにしゃがみこむのに、ちょうど良い距離なのだ。

 美しい「月の沙漠」の光景とはいえ、自然発生型公衆便所のど真ん中でピクニックをするわけにはいかない。 臭いの届かないところまで、われわれはさらに100メートルほど歩かねばならなかった。 ピクニックという目的は達したものの、なんとなく興醒めした夜になってしまった。

 エジプトの冬は、3月中旬から下旬にかけ、1週間足らずの短い春が訪れると終わり、夏が突然やってくる。 このころから5月初めまで、カイロは、ハムシーンと呼ばれる凄まじい砂嵐に襲われる。 この嵐は、サハラ沙漠で生まれ、壮大なスケールで吹き渡る。

 「サハラからは季節によって周辺地域に風が吹き込む。冬にギニア湾や大西洋岸に向けて吹き込む風はハルマッタンと呼ばれ、熱風ではなくむしろ涼しい風であるがきわめて乾燥しており、この地方に乾季をもたらす。夏に北のリビア方面に吹き込む風はギブリと呼ばれ、熱く乾いている。この風がイタリアにまで到達するとシロッコと呼ばれるようになるが、間の地中海で水分を吸収するため湿った風となる。春にサハラからリビアやエジプトに向けて吹き込む熱く乾いた風は<ハムシーン>と呼ばれる。いずれの風もボデレ低地を中心としたエルグから巻き上げられた砂塵を大量に含むため、周辺地域に大量の砂塵を降らせ、市民生活に多大な支障をもたらす。この砂塵はさらに海を越え、ヨーロッパや北アメリカ、南アメリカといったほかの大陸にまで到達する。巻き上げられる砂塵の量は年間20億から30億トンにもなり、2月から4月にかけてはカリブ海や南アメリカ大陸に、6月から10月にかけてはフロリダ州などに降り注ぐ。この砂塵は黄砂のようにさまざまな害をもたらす一方、アマゾン熱帯雨林に必要な栄養素を補給するなどの役目も果たしている」(Wikipedia より)

 ハムシーンとは、アラビア語で数字の「50」のことだ。 通説では、砂嵐シーズンは3月から5月にかけて50日間にわたるので、この名が付いたという。

 カイロでは、ハムシーンは常に、サハラのある西から吹いてくる。 砂嵐というが、砂ではなく茶色い沙漠の土を舞い上げ、空も街もセピア色に染まる。 ハムシーンが襲ってくる日は、窓を固く閉ざして家に籠っているいるしかない。 それでも土埃は家の中に入り込み、床はザラザラになる。

 あの月夜のピクニックで学んだことは、家に入り込むハムシーンの土埃には、トラック運転手たちの干からびたウンコが確実に混ざっているということだ。 

 そればかりではない。 カイロの街のあちこちには、様々な汚物が無造作に捨てられている。 それら全てが乾燥し軽くなって、ハムシーンの土埃とともに宙に舞い、カイロの街の隅々に降りかかるのだ。

 大相撲で初のエジプト出身力士、大砂嵐=ハムシーンの活躍が注目を集めている。 名古屋場所で初めて横綱と対戦し、白鵬には負けたものの、鶴竜と日馬富士を破った。 本名は、アブデルラハマン・シャーラン。 四股名の由来は「砂=シャ」「嵐=ラン」の当て字に大嶽親方(元十両大竜)の四股名「大」の字をもらったそうだ。

 おそらく、ハムシーンとは、エジプト人にとって避けることのできない忌まわしい存在で、そんな名前を人に付けるとすれば、悪役プロレスラーくらいではないだろうか。 エジプトにプロレスがあるかどうか知らないが。

 大砂嵐の表情が好きだ。 カイロの街でよく見かける人懐っこそうな若者を連想させる。 本人に会う機会があれば、自分の四股名をどう思っているか、是非聞きたいものだ。 

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