2010年3月19日金曜日

”ドーハの喜劇”


 もう何年も前にタバコをやめた。 今、やめて良かったと思っている。 健康のことも考えないわけではないが、なによりも、気持ち良く煙を吹かせない時代になってしまったと感じるからだ。 嗜好品というものは、まわりに気遣いなどせず、心置きなく楽しむものだ。 喫煙の規制と非(and 反)喫煙主義が強まる環境でタバコを吸っても、心が和むどころか、逆にストレスがたまってしまうだろう。

 禁煙してみて最初に気づいたのは、嗅覚が非常に敏感になったことだ。 ときには、数十メートル離れてタバコを吸っている人の存在を臭いでみつけることがある。 タバコを憎悪する人々の気持ちもわからないではない。 だが、どんなに過激な禁煙運動グループでも、路上で喫煙者に襲いかかることはないだろう。

 日本の捕鯨船を攻撃するシーシェパードの行動は、路上喫煙者に石ころを投げつけるような行為と言えるかもしれない。 とても受け入れられない。 が、過激な運動の背後に広がる国際的な反捕鯨の気運に目を向けると、クジラを食っても旨くはない。 旨く感じない理由はタバコと同じだ。

 クジラ資源の枯渇、知能動物クジラへの同情などが世界で叫ばれても、日本は反論し、「捕鯨は文化だ」と主張する。 その通りかもしれない。 だが、 「文化」であれば永遠に持続するとはかぎらない。

 最近は日本でもリゾート地として人気が出ている南太平洋フィジーの人々のもてなしには、心温まるものがある。 彼らが19世紀に重要な伝統文化を捨てなかったら、現在の観光パラダイスは存在しなかった。 その文化とは「人食い」だ。 19世紀フィジーの国王だか大酋長は、生涯に90人の人間を食べた記録を持つ。 

 カンボジアで200万人の国民を虐殺したとされるポル・ポト派の兵士たちは、古い伝統に則り、戦闘で倒した敵兵の肝臓を抉り出して食べたという。

  「首斬り朝」の劇画でも知られる江戸時代日本の死刑執行人・山田浅右衛門家は、試し斬り用の罪人の死体から、肝臓や胆嚢などの内臓を取り、これらを原料に労咳の丸薬を作って売り、大きな収入源にしていたという。 この商売は明治初めまで続いたそうだ。

 日本人は、世界から(正否は別にしても)白い目で見られながら、クジラを食べ続ける必要があるのだろうか。 かつては小学校の給食でもクジラの竜田揚げが出た。それは贅沢ではなく、当時は一番安い肉だったからだ。 今、クジラ肉は高い。 たまに食べると、確かに旨いと感じる。 だが、飽食日本には、ほかにも旨いものは数え切れないほどある。 それに、「調査捕鯨」などというマヤカシが生み出す贅沢は不自然でもある。

 そして、クロマグロ。

 絶滅危惧種として国際取引が禁止される恐れが出てきたとマスコミが大騒ぎしている。 クロマグロは日本の食文化を代表する寿司に欠かせないそうだ。またもや「文化」だ。

 自らの食文化、じゃなかった食生活を振り返ってみると、クロマグロは最後にいつ食べたか思い出せないほど、遠い記憶のかなた。誰かにクロマグロのトロをご馳走してもらって、脂っこさに辟易したのは、いつのことだろうか。 

 普段は、キハダでもメジでもビンナガでもマグロと名の付くものは、ほとんど食べない。 いつも、サバ、アジ、イワシ、コハダの青モノに徹している。安くて精神的にも健康な気分になれるからだ。

 現在の平均的日本人が日々の生活で、超高額なクロマグロを口にすることは非常にまれであろう。 だから、禁輸になっても困ることはなにもない。つまり、どこの誰がクロマグロで大騒ぎしているのか、よく見えてこないのだ。

 それにしても、クジラもクロマグロも、日本政府と日本の利益団体とその取り巻きが主張するように、本当に資源枯渇の恐れはないのだろうか。 

 絶滅危惧種の国際取引禁止を決めるワシントン条約締結国のドーハ会議は、委員会段階で、幸か不幸か、モナコが提案したクロマグロ禁輸を否決した。 本会議での採択が難しくなるような大差の否決だった。

 事前の日本報道では、日本がいくら画策しても否決に持ち込むのは難しいと、かなり悲観的だった。ところが、蓋を開けてみると、「大逆転」も現実味を帯びてきた。 バンクーバー冬季五輪のメダル皮算用大外れとは逆の展開だ。

 このままドーハ会議が終わるとすれば、きっと、なにかの利権を巡って、誰かが得をし、誰かが損をするのだろう。それが政治というものだ。

 そして、「日本文化」の埒外にいるクロマグロと一般大衆日本人には何も残らないのか。 せめて、日本政府は、禁輸阻止祝賀大放出のクロマグロ無料配布券を全国民に配布すべきだ。

2010年3月13日土曜日

美しくも醜悪な…



 最近、久しぶりにカメラを買った。すっかり気に入って散歩やジョギングにも持ち歩き、手当たり次第にシャッターを押すようになった。


 そのうち、被写体として、日向ぼっこをしたり、散歩をしている老人たちが気に入ってしまった。


 動作はにぶくて、ぎこちない。表情は変化が乏しく、暗く沈んでいる。だが、撮影した画像を見ると、そこには、しっかりと生きている人間の姿がある。実はたいした生涯ではないのかもしれない。おそらく、街ですれ違うジジイ、ババアのほとんどは、馬齢を重ねてきただけに違いない。


 それでも、老人たちの姿には惹かれるものがある。一人の人間が生きてきた歴史を感じるからだ。

 だが、これが偽善的な老人賛歌であることを、たちまち思い知らされた。

 たまたま、特別養護老人ホームの近くを歩いていたとき、前から老夫婦とおぼしき二人連れがやって来た。夫の座った車椅子を妻が押していた。

 シャッターチャンスを逃すまいとカメラを構えようとしたとき、妻が手を離したせいか、車椅子があらぬ方向へ動きだし歩道からはみ出しそうになった。すると、妻はあわてて車椅子をひっつかみ、凄い剣幕で夫の後頭部を平手で何度も叩きながら、激しい罵りの言葉を浴びせかけた。

 醜悪そのもの。写真を撮る気は失せた。目の前に来た老妻に向かって、「そんなに叩かなくてもいいだろ!」と、どなってしまった。

 ところが、ババアは負けずに、こちらを睨み返して吐き捨てるように言い返した。

 「あんたなんかに、わかるわけないだろ!」

 そう、このクソババアは、彼らの疲れ果てた夫婦関係も、人生が醜くもあることも、お前なんかに「わかるわけないだろ!」と見透かしたのだ。

2010年2月15日月曜日

スノボ国母の”快挙”


 オリンピックに出場する日本人選手が成田空港を出発するテレビの光景をセピア色にして、どこかの鉄道駅に場所を移すと、太平洋戦争中の出征兵士の姿といかほどの違いがあるだろうか。


 オリンピックは、最高の能力を持つアスリートたちによる世界最大の運動会だ。それだけで十分楽しめるのに、オリンピックは国家間の擬似戦争の色彩も帯びる。日本では、マスコミやマスコミに煽られた人々が、選手たちに、オリンピックという戦場での日の丸を背負った玉砕精神を求める。


 だから、選手たちは清く正しく礼儀をわきまえた”皇民”であらねばならない。成田空港での出発に際しては、「お国にためにがんばってきます」風の言葉と態度が当然であり、要求されるのだ。

 そこに突然、”非常識な”ガキが登場した。2月9日、バンクーバー冬季大会に出場するスノーボード代表・国母和宏が成田に現れた姿がテレビに映されると、マスコミによれば、非難の嵐が巻き起こった。

 ゆるめたネクタイ、ズボンの外に出したシャツのすそ、ズボンはずり下げた腰パン、ようするに、学校帰りにコンビニの前で”ウンコ座り”して屯している高校生、近所のオジサン、オバサンたちの顰蹙を買っている連中の一人が、オリンピック代表でござい、と出てきてしまったからだ。


  その後の記者会見でも、ふてくされた態度で反省したとはみえない。これでは国家主義的マスコミと世論の袋叩きにあってもしかたない。が、このガキは、間違いなく、日本のオリンピック史に残る”快挙”を成し遂げた。


 東海大学に在籍しているというが、とても大学生とは思えない態度、振る舞い、言葉の稚拙さ。むしろ、世間を知らない、知ろうともしない幼稚さが歴史を作ったと言える。

 その「歴史」とは、間違いなく本人は意図していなかっただろうが、日本代表として、オリンピックにおける国家主義を真正面から否定したことだ。無理やり引っ張り出された記者会見で、「反省シテマ~ス」などと子どもじみた発言をせずに、「オレの何が悪い!」と居直れば、もっと劇的な展開になったが、あのオツムでは不可能だったろう。

 だが、もし国母が居直り、これに対して日本側が出場取り消しを決めたら、どうなっただろうか。かなり面白いことになり、国際的関心も呼んだであろう。

 国母が一部世論の怒りを買った理由は、煎じ詰めれば、日本国代表の気概をみせなかったところに行きつくと思う。しかし、この批判はあたらない。 オリンピック憲章は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と、堂々と宣言しているからだ。

 さらに、憲章には、「出場取り消し」に関して、国母ケースを念頭に置くと、きわめて興味深い項目がある。

 「正式にエントリーをした代表選手団、チームもしくは個人が、IOC(国際オリンピック委員会)理事会の同意を得ることなく出場を取り消した場合、このような行為はオリンピック憲章違反であり、査問の対象となり、また懲戒処分の対象となることもある」

 ここでは、JOC(日本の国内オリンピック委員会)が査問の対象となり、国母を出場停止にするには、IOCの同意を得なければならないと解釈できるようにも思える。
 
 その一方、憲章は、国内オリンピック委員会の任務として、オリンピックの選手エントリーを決定することが挙げられている。さらに、その決定は「選手の技量のみならず、自国のスポーツをする若者の模範となるような能力に基づいて行われるものとする」とも規定している。これを適用すれば、国母の生殺与奪権はJOCにあると解釈できる。
 
 だが、ファッションばかりでなく、生きるスタイルなど、すべてが多様化する世界で、果たして、IOCばかりでなく国際社会が「服装の乱れ」という特殊日本的な理由を受け入れるかどうか。
 さらに、JOCが出場取り消しを決定した場合、憲章によれば、国母にやる気があれば、スポーツ仲裁裁判所に提訴する道もある。

 あの洟垂れ小僧は、「国家とスポーツ」のあり方について、重大な問題提起をしたのだ。ぜひ戦ってもらいたいが、あやつに、そんな知性と根性はないだろう。きっと、JOCは、国母がアホだったこと、橋本聖子・選手団長の仲介という形で出場停止決定を回避できたことで、ほっとしているに違いない。

 結局、この騒ぎは、メダルをさして獲得できもしない冬季オリンピックに玉砕精神で大選手団を送り込んだ国家主義と薄っぺらな若者文化の双方が舞台でこけた猿芝居でしかなかった。

 これで国母がメダルを取ったら大笑いだ。

2010年2月10日水曜日

トヨタはすごい!


 先月、新聞の折込広告をパラパラとめくっていて、トヨタの中古車店の広告が目に留まった。 車に興味はなかったが、来店者にタジン鍋をプレゼントというのに惹かれた。


 タジン鍋というのは、北アフリカ・モロッコの伝統的な鍋で、ふたが富士山のような形状をしている。 なぜか近頃、日本で流行っている。 それがタダで貰えるというので、トヨタに行ってみた。

 店の駐車場にマツダを乗り入れると、すぐに従業員が近づいてきた。 

 「すみません、タジン鍋もらえるという広告、見たんですけど」
 「そうですか、どうぞこちらへ」

 中古車店のオフィスに案内され、すぐにタジン鍋、それに鍋料理に使うネギ、ニンジンまで手渡してくれた。 さすが世界のトヨタ!

 こちらは、そのまま帰るほど図々しく振舞えなかったので、一応、展示場の中古車を見ることにした。

 たまたまハイブリッド車のプリウスの前で立ち止まった。 そのとき、年配の案内担当者が非常に興味深い説明をしてくれた。 「ガソリン車と比べ、燃費はいいんですが、どなたにも勧められるかどうか、というと難しいですね」と言うのだ。

 その説明によれば、問題はプリウスというクルマの核、バッテリーにある。 ガソリン車でも駐車場に置きっぱなしにしているとバッテリーがあがり、寿命が短くなる。 プリウスのバッテリーはガソリン車と比較にならないほど大きいが、日常あまり運転しなければ同じことが起きる。 しかも、大きいだけに交換となると費用はただごとではない。

 さらに、プリウスの燃費の良さが発揮されるのは、混雑した都会の道路だという。 低速走行のとき、動力源としてバッテリーが多用されるためだ。 逆に、快適な高速道路などではバッテリーで重くなった車体をガソリンエンジン主体で動かすために、普通のコンパクトカーなどと燃費の差があまり出ないそうだ。

 そういうわけで、その担当者は、都会をひんぱんに運転する人にはプリウスを勧められるという。 だが、たまの休みにしか運転しないという大多数のサラリーマンには、価格も維持費も高くつくかもしれないと非常に率直に語った。

 ハイブリッドカーが本当にエコなのか、ecology と economy の両面から、「プリウス問題」が騒がれている今、考えるのはいいことだ。

 それにしても、ブレーキのリコール騒ぎでマスコミから叩かれているが、トヨタはすごいと思う。 車を買う気のない客にタジン鍋をプレゼントし、プリウスの使い勝手まで正直に説明してくれるのだから。 

 とはいえ、面白みと個性のないトヨタ車を買う気は、まったく起きない。 トヨタを買うときは、冒険に満ちた人生という夢を捨て、安心に身をゆだねるときだろう。 

 きっと、誰もがそうなのだと思う。 そして、たいていの人は安心を求める人生を生きている。 だから、トヨタは売れ、ちょっとした欠陥で世の非難を浴びるのだ。  

2010年1月19日火曜日

イエメン危機は来るのか


   「ありとあらゆるメディアが今、イエメンに来ている。 大手メディアは、イラク、パレスチナ、アフガニスタンなど、この地域のあらゆる紛争地から私の国へ特派員を送り込んだ。 私は傷ついた動物になったような気分だ。ハゲワシが空中を旋回し、ご馳走にありつこうと、われわれの死を待っているかのようではないか」

 イエメンの良心とも言える英字紙「イエメン・タイムズ」の編集長ナディア・アルサッカフが、1月11日付けで書いた社説だ。 12月25日、クリスマスにアムステルダム発デトロイト行きデルタ航空機で爆破テロ未遂事件が起きるや否や、欧米を中心とする世界のメディアが、一斉にイエメンに注目した。 きっと、今ごろ、首都サナアの最高級ホテル「シェラトン」はジャーナリストたちで、ごったかえしていることだろう。 その光景を前にしたナディアの気持ちが痛いように伝わってくる。

 確かに、事態は深刻なのだろう。 犯人のナイジェリア人は、サナアでアルカーイダ組織から爆薬と指示書を受け取ったことが判明した。 そして、イエメンでアルカーイダが地歩を固めつつあることが明白になったからだ。 背景には、アフガニスタン同様、中央政府に十分な統治能力が欠如していることがある。

 果たして、イエメンは第2のアフガニスタンになるのだろうか。

 昨年11月、イエメンで誘拐された日本人技師が8日ぶりに解放された。記者会見で、とりあえずシャワーを浴びたいなどと語っていたが、いったん日本に帰国して、またイエメンに戻りたいと言っていたのが印象的だった。 地元の人間に誘拐されるという災難に遭いながら、この人、きっとイエメンという国が好きなのだ。

 イエメンなどという国をたいていの日本人は知らない。だが、実は、日本には、「隠れイエメン・ファン」というごく少数の人々がいる。

 イエメンは、四角い形のアラビア半島の南西角に位置し、インド洋に面していて、最近は沖合にソマリアの海賊が出没して騒がれている。そう言われれば、だいたいの位置は思い浮かんでも、平均的日本人には、国としてのイメージなどさっぱり湧いてこないだろう。

 だから、イエメンに1度でも行って好きになった人は、日本人への説明が面倒になり、イエメンについてあまり語ろうとしない。こういう人たちを「隠れイエメン・ファン」という。

 なぜ日本人がそんな遠くの国を好きになるかを説明するのは、確かに面倒くさいけれど、第1に景色がいい。沙漠だけでなく山もあって地形が起伏に富み、その上、適当に緑もあってメリハリがある。第2に、イエメン人の性格はどこかウエットで、アラブ人だが日本人に親しみやすい東南アジアの人々のような感触がある。つまり、日本人がするっと入り込みやすい雰囲気があるのだ。

 日本人が大好きな19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーは、放浪の末、イエメンにたどりつき、南部の港町アデンの貿易会社で働いていた。ここを拠点に、今海賊がうろついている紅海を渡って、ソマリアあたりで商売をしていた。ランボーが働いていた会社の建物は今も残っていて、フランス領事館になっている。

 もっと歴史を遡れば、東南アジアに初めてイスラム教を伝えたアラブ商人とは、未知の世界へ旅することを物ともしないイエメン人だった。そのまま住みついたイエメン人も多い。 1980年代から90年代にかけてインドネシアの外務大臣を務め、国際的に尊敬されたアリ・アラタス(故人)は、その末裔として知られる。 第2次世界大戦後、インドネシアを独立に導いた民族運動は末裔たちを通じて、イエメンに新たな政治思想として影響を与えた。

 さらに古代にまで遡れば、あの有名な「シバの女王」の王国は現在のイエメンだったとされる。 そう言えば、モカコーヒーの原産地がイエメンだ。 つまり、イエメンというのは、なかなか味わい深い国なのだ。

 こういう国が第2のアフガニスタンなどには、絶対になってほしくない。

 だが、それは希望的観測かもしれない。あまりにアフガニスタンに似ているからだ。 山が多く景色が似ていてイエメン・ファンとアフガニスタン・ファンが日本では一部重複していることだけではない。

 最も懸念すべきは、両国とも中央政府の統治能力が弱く、人々の生活は部族社会の中で完結し、国家というものがあまり信用されていないという点だ。

 これまでもイエメンでは外国人の誘拐事件が頻繁に起きていた。 そのほとんどは過去数年イラクで起きたようなテロ組織によるものではない。 部族社会の国家に対する要求実現が目的だ。 それも先進国の概念からすると他愛なくも思える。 

 例えば、村の道路や橋を作れ、といったものだ。 それを中央政府に要求し、実現可能になるまで人質を拘束する。 とはいえ、村人からすると、人質は村の生活向上を実現するための大事な客人でもある。人質たちはたいてい、解放まで衣食住に不自由しない歓待を受ける。

 そんな誘拐なら一度体験したいものだと、首都サナアからタクシーで誘拐頻発地帯に行ったことがある。 村々の入り口では銃を持った男が通る車を検問していた。 だが、われわれの車は運転手があいさつと、すんなり通過できてしまった。 運転手にきくと、彼はその土地の出身でみんな仲間だというのだ。 なんてことはない。 誘拐(される)目的には運転手の選択が間違っていたのだ。

 こんなのんびりした誘拐は今もあるようだが、アルカーイダの組織化が進むにつれ、殺害される外国人も少しづつだが増えている。

 国家の恩恵も統制も受けていない村落でアルカーイダの影響力が拡大することは、国際社会にとっての悪夢だが十分起こりうるだろう。

 しかも、複雑な地形はゲリラ戦にもってこいだ。 1960年代アラブの混乱した政治情勢の下で、イエメンの国内対立に介入したエジプト軍は、なす術もなく敗走したという。 

 一説には、真っ平らなナイル・デルタから来たエジプト兵は、軍事車両の坂道発進が下手糞で、山だらけのイエメンで十分に動くことができず軍事的失敗を重ねたとも言われるが。

 現代のハイテク武器を装備したアメリカ兵が坂道発進をできないとは思わないが、イエメン情勢に妙な反応をして派兵し、成功する保証はまったくない。

2010年1月8日金曜日

アバター!?



 最近、3Dと呼ばれる立体映画が注目されている。 あの間の抜けたトンボめがねをかけないと画像が立体化しないという欠点はあるにせよ、家庭用テレビでも3Dが普及するかもしれないという。 家族そろってテレビを見ながら夕食をとることが習慣になっている日本で、全員が大きな色つきめがねをかけている光景は不気味でもあろう。


 その3D映画として、今、最も注目されているのが「アバター」だ。 新聞の映画評でも評判がいいので、正月の暇つぶしに、つい見に行ってしまった。 
 客席はほぼ埋まっていて人気の高さがわかる。 館内が暗くなると、すぐに飛び出す画面が目の前に広がった。 なるほど、すごい迫力だ。 だが、結論からすると、残念ながら、映画の内容にはがっかりさせられた。


 こどものころ、便所の臭いが漂う場末の映画館で見たアメリカ西部劇の中には、ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」とかアラン・ラッドの「シェーン」のような名画があった。 ほかに、西部劇のジャンルには、”騎兵隊もの”というのもあった。 こちらの方は、白人の頭の皮を剥ぐ野蛮なインディアンの襲撃を、勇猛かつ規律のとれた正義の味方・騎兵隊が最後に追い払い、ハッピーエンドという結末。 今では、先住民の命と土地に対する略奪行為を、これほど単純・露骨に賛美することは不可能になった。


 (だが、アメリカ白人の心象風景を覗けば、おそらく今でも血沸き肉踊る”騎兵隊もの”への憧れが蠢いていることだろう。 恐ろしいことに、ほんの数年前には、本当に”騎兵隊”をイラクの”野蛮人退治”に派遣してしまった)
 

映画の世界では多分、ベトナム戦争の影響が大きかった。 米軍のベトナムでの残虐行為、あげくの果ての屈辱的撤退。 あの敗北はアメリカ人のトラウマとなって、1970年代、「アメリカ人は正しい」という自信は揺らいだ。 そういう時代が生んだ西部劇が「ソルジャー・ブルー」であろう。 騎兵隊のインディアンに対する残虐行為を、目を覆いたくなるリアルさで描いた。 ベトナム戦争が、正義の西部開拓史にも疑問を投げかけたのだ。


 「アバター」は、古典的騎兵隊西部劇の焼き直しにすぎないのだ。 ただし、「ベトナム後」を踏襲し、善悪を逆にして、騎兵隊にあたる地球人は悪者の侵略者、インディアンに相当する衛星パンドラに住むナヴィが美しい星を侵略から守るというハッピーエンド。


 つまり、仕掛けはおどろおどろしいが、ストーリーは見え透いていて、安っぽい。 映画というより、むしろ遊園地を楽しむのに似た感覚かもしれない。 いかがわしい見世物小屋の呼び込みに騙されたみたいだ、とまでは言わないが。


 とはいえ、とにかく子ども騙しなのだ。 それでは、おとなのための3Dはどうすればいいのか。 きっと、とりあえずの安易な選択は、ポルノに違いない。 こいつは、きっと迫力がある。 だが、これは矛盾だ。 制作者にとってのポルノ映画のメリットはカネがかからないことだが、「アバター」は、とてつもない巨額投資の産物なのだ。


 きっと、バーチャルの世界を現実に近付けることに努力するよりも、われわれは現実の世界をもっと楽しくすべきなのだろう。

2010年1月5日火曜日

780円で時空を旅する


 酒を飲むにしても、飯を食うにしても、チェーン店には行きたくない。 大量生産・消費システムの末端に組み込まれ、口を動かすことが楽しみではなく、単純労働のように味気なく思えてくるからだ。

 きょう、たまたま昼時に自由が丘駅近くを歩いていて、なぜか無性に豚カツを食いたくなった。 そこで、その一帯をうろついて豚カツ屋を探した。 だが、みつからず、目に留まったのは、有名な和食チェーン「大戸屋」だけだった。 いったん食べたいと思い込むと欲求が止まらない。仕方なく、入り口に出ていたメニューの「豚カツ定食780円」を食べようと中に入った。

 出てきた豚カツはメニューの写真から受けたイメージより、かなり小さく思えた。まあ、780円じゃあ仕方ないか、といったところ。 味は可もなく不可もなし。 大好物の豚カツを食った!という感激はあるわけがない。

 だが、テーブルに置いてあった大戸屋のパンフレットをなにげなく広げてみたら、その中に、なかなか読ませるコラム記事があった。 「食をみつめる温故知新」というタイトル。 原文を引用してみよう。



 お食事の際に使う「いただきます」と「ごちそうさま」。
本来の意味をご存知ですか。

 「いただきます」とは、「自分のために動植物の命を頂 く」ことから感謝の気持ちを込めた食事の際の挨拶として伝えられてきました。
 人は古くから自然の恵みをもらって生きてきました。 しかし、それは数々の動植物の生命を頂くということを意味します。 人間のための食料となる動植物へ、私たちは感 謝する気持ちを込めて、心から「いただきます」と言います。
大切な生き物の命を粗末にしてはいけません。
(以下、「ごちそうさま」は省略)



 これを読んでいるうちに、雪原でマンモスを倒そうとヤリを握る旧石器時代人の姿が浮かんだ。 そうか、そういうことだったんだ。 人間はずっと動物を殺し、森林を荒らし搾取しながら、地球の支配者にのし上がってきた。

 「いただきます」という言葉がいつから使われ始めたのかはわからない。きっと、その当時の日本人は動植物の命を頂くことに、「人類」として、現代人より、はるかに生々しいものを感じたに違いない。

 今、普通の都会人なら、牛や豚のような大動物はもちろん、ニワトリをさばくことすらできないだろう。

 何年も前、中央アジア・キルギスの山奥で泊まったコテージで、ヒツジを料理してくれたコックを思い出した。 あれは、ある種のクッキング・ショウだった。 だが、日本の民放テレビのグルメ番組などで取り上げられる代物ではなかった。

 夕方、コテージの庭でショウは始まった。 コックが三日月形のナイフでヒツジの喉をすぱっと切る。 料理は、まさに殺すところから始まったのだ。 そして解体。

 ヒツジには食えない部分はないという。 大きなアルミニウムのタライのような容器に、肉も骨も内臓も脳みそも、なにもかもを放り込んで煮る。

 食堂のテーブルに座ったわれわれの前に、筋骨隆々としたコックは大きなタライを軽々と運んで置いた。 そして、タライの中に手を突っ込み、内蔵をわしづかみにして持ち上げ、われわれに解剖教室の教師のように説明する。 彼は言った。 「神に感謝し、ヒツジを食べ残してはいけない」。

 冗談じゃない、現代文明の人間たちは、吐き気をこらえるのが精一杯だった。
 
 そう、きっと、あれが、自然に向かって「いただきます」と感謝の言葉が心から出てくる食事だったのだ。

 ちまちました大量生産定番料理を提供する店のテーブルで、心は石器時代へ、中央アジアへと時空を超えてさまよっていた。

 豚カツ定食を食べ終わってみれば、780円で、ずいぶんお得な旅をしていた。