2009年3月7日土曜日

オタク讃歌


 近ごろ、蕎麦屋の主人で、団塊の世代くらいの歳のオヤジが、頭にバンダナを巻き、甚平を着ている姿をよく見る。たいていは、脱サラか失業か定年退職後の第二の人生という風情。

 こういう店というのは概して、味は悪くないが、壁に「蕎麦の食べ方」などという能書が貼ってある。オヤジのツラは客に向かって、いかにも「おめえらに蕎麦の味がわかるのか」と言っている。こんなところで蕎麦を食うのは疲れる。たかが蕎麦なのだ。気楽に食わせてくれよ。

 こういう「能書蕎麦屋」の大親分みたいな人物が、故・新島巌だ。蕎麦研究の大家とされ、蕎麦屋を始めたいという素人を集めて研究会を開き、経験や知識を 惜しみなく伝授したという。2001年に80歳で亡くなったときには、朝日新聞「惜別欄」でも取り上げられ、「そば研究に身を捧げた巨星逝く」と報じられ た。新島は、早稲田大学を卒業し、新宿で蕎麦屋を始め、現在の「さらしな総本山」(東京・中野、田無)の礎となった人物だ。

 元信濃毎日新聞記者の中田敬三という人が書いた「物語 信州そば事典」を読んでいたら、新島巌を引用している部分があった。その孫引きだが、日本には、「蕎麦粒山」いう名の山が四つある。静岡県(標高 1,627m)、東京都・埼玉県境(1,627m)、岐阜県(1,297m)、長野県(1,065m)の四つだそうだ。

 友人Cは山と蕎麦が大好きで、日帰り山歩きの締めは蕎麦屋で一杯と決めている。話が長くなったが、Cに「さすがに蕎麦粒山なんて知らなかっただろ」とメールを送ったら、なんと「知っていた」と返事が来た。オタク世界の計り知れない奥深さを思い知らされた。

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