2009年3月17日火曜日

高校野球


 春になると、友人Mを憂鬱にさせるのはスギ花粉の飛散だけではない。野球シーズンが始まることも彼を不愉快にさせる。
 
 Mの自宅は、甲子園出場を目指す高校野球部のグラウンドと道路を隔てて隣接している。寒さが緩んでくると、軍事教練じみた練習が早朝から始まる。Mは、 彼らの発する叫び声、大声、奇声で無理やり起こされてしまうのだ。宵っ張りには辛い。たまに、熟睡して、すっきりした頭で目覚めることがある。練習が中止に なった雨の朝なのだ。それに、雨の日は花粉の飛来も少ない。

 確かに、言われてみると、野球というのは実にやかましいスポーツだ。だが、やかましさは一律ではない。草野球チームの練習や試合は高校野球と比べれば、お通夜みたいなものだ。

 高校生たちは何を発しているのだろうか。ほとんどの声は、グラウンド近くで耳をそばだててみても理解不能だ。「ギャー」とか「ウオー」とか、とにかくあらんかぎ りの大声で叫んでいる。言葉がコミュニケーションの手段であるなら、彼ら同士で何かを伝え合っているのだろうか。お互いを叱咤激励しているようにも思え る。

 もしかしたら、命令されて大声を出しているのかもしれない。練習では、軍隊式の整列とあいさつ、駆け足行進が儀式のように繰り返される。軍隊と同様の組 織であれば、個人の勝手な行動は許されない。命令には従わねばならない。高校野球部が擬似軍隊だとすれば、あの大声は選手が個人の意志で発しているのではない 。

 それにしても、目的は何だ。あんなに奇声を発するスポーツは他にあるだろうか。サッカーやラグビーのプレイヤーが広いグラウンドで大声を出すのは、あく までもコミュニケーションのためだと理解できる。確か、剣道も奇声を発する。相手に竹刀を打ち込むとき、「キェー」とかなんとか叫ぶ。あれはいったい何だろ う。

 日本に長く住むアメリカ人の友人は言った。「アメリカ人は概して騒々しいが、ベースボールをやるとき、日本人みたいな大声は断じて出さないぞ」。

 プロ野球も、テレビで見ているかぎりでは高校生とは違う。アメリカへ渡ったイチローや松井は、ほとんど声を出さずに野球をやっているようにみえる。だが、彼らも日本の高校野球を経験している。彼らは今、その経験、思い出とどんな距離を置いているのだろうか。

 日本に独自の高校野球文化があるのは誰の目にも明らかだ。帝国日本の軍隊との類似性に誰もが気付く。威張り腐った野球部監督、学年別の厳しい上下関係‥。高校生たちは、強大な敵を前に怯えを叫び声で吹き飛ばそうと空しい努力をした英霊たちの真似を強いられているのか。たかが野球で。

 実は、Mが本当に嫌いなのは、この部分なのだ。決して、高校生でも野球でもない。

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