1982年2月3日午前2時、シリアの首都ダマスカス北方約200km、古い歴史のある美しい都市ハマの中心へ向け、シリア軍部隊が夜陰に乗じ、密かに潜入しつつあった。 ハフェズ・アサドのバース党政権に敵対するイスラム原理主義組織・ムスリム同砲団の武装ゲリラ指揮官アブ・バクルの根城を急襲しようとする作戦だった。
だが、この作戦は待ち構えていたゲリラ側の攻撃で完全な失敗に終わった。 そして、それがすべての始まりとなった。
兵力12,000のシリア軍が戦車とともにハマを包囲し、戦車の攻撃ルートを作るための空爆には戦闘機が動員された。 政権に歯向かう者たちへの情け容赦ない殺戮の開始である。
ハマの包囲は27日間におよび、由緒ある街並みはずたずたに破壊され、街路には死体が累々と横たわった。
犠牲者は恐ろしい数にのぼり、数万人とされたが、誰も正確に言うことはできなかった。
それから20年後、シリア人ジャーナリスト、スビ・ハッディは、死者数を30,000~40,000人、行方不明者数15,000人、100,000人が追放されたと推計した。 中東における最大の自国民殺戮である。 シリアにおける反政府活動は以来、ほとんど根絶やしにされた。
シリアというのは、恐ろしい国なのだ。
そのシリアでも、中東で急激に拡大してきた民主化要求の運動が始まった。 チュニジアやエジプトのように、「優しい独裁者」の国ではない。 リビアとも違う。 ハフェズ・アサドを引き継ぎ大統領になった息子バシャール・アサドは、冷酷な父親とは異なる改革主義者ではある。 だが、「ハマ大虐殺」の記憶ゆえに、陰惨な不気味さが漂う。
今は、リビア、日本に続く不幸な出来事が起きないことを祈るしかない。
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