家の中にたまった埃を払い落とすと、
2009年12月31日木曜日
9日間の日本人
家の中にたまった埃を払い落とすと、
2009年12月24日木曜日
電車の中の巨大モンスター
「乳母車」の名称が「ベビーカー」という和製英語に変わって久しい。 それにつれ、母親たちは、単に母親であるだけでなく、女であることの自覚を強めてきた。 きっと、それは良いことなのだ。 女であることばかりでなく、一個人として社会で、男と対等にわたりあう姿も、今では珍しくない。新しい女の美のかたちである。
今、ベビーカーを押す若い母親たちははつらつとしている。 着ているファッションもセクシーで攻撃的ですらある。 まるで、子連れでナンパしているのではないかと疑いたくなる魅力的すぎるオンナだっている。 何をしようがアタシの勝手と主張している。
こういうオンナが近ごろ、巨大化、モンスター化したベビーカーを押して、混んだ電車に突入してくる。 なぜ、あんなに大きくなったのだろう。電車の中では、1台で立っている乗客6,7人分のスペースを取る。 ほんの一昔前の母親は、小さくてきゃしゃなベビーカーを雨傘2,3本分のサイズに折りたたんで赤ん坊を重そうに抱きかかえていた。 乗客はその姿を見て座席を譲ったものだ。
ごく最近、巨大モンスターの中でも最たるものが目に付くようになった。 「jogging stroller」という米国生まれの”乳母車”だ(写真参考)。 「stroller」(ストローラー)とは、和製ではなく米製英語の「乳母車」。 ジョギング・ストローラーとは、文字通り、赤ん坊を載せてジョギングするためのもので、車輪が大きくスピードがでる。 その分、安全性を高めるために頑丈にできている。 このため、とにかくデカイ。 米国の広々とした公園で使用するには、実によくできたマシンだと思う。 多摩川土手のサイクリング・コースで、外国人がこれを押してジョギングしているのを何度か見たことがある。
おそらく、セクシー・ママたちはファッションと勘違いして、ジョギングではなく電車のおでかけ用に、巨大モンスターを使っているのだ。
えらい迷惑だ。 だが、そのことは言わない。 言いたいことは、あの巨大モンスターを電車に運び込んでいいなら、自転車の持ち込みも認めるべきだという点だ。 現在の規則では、折りたたんだり、分解して小さくするだけでは認められない。さらに、それをバッグなどでカバーしないと改札口を通してもらえないのだ。
心優しいサイクリストたちよ。 ベビーカーの後塵を拝していていいのか。 ママたちは、あっという間にモンスター持ち込みの既成事実化に成功してしまった。 見事と言うしかない。 君たちも、あの戦術を採用すべきではなかったのだろうか。
2009年11月26日木曜日
2012年地球は滅亡する!?
Much like Y2K, 2012 has been analyzed and the science of the end of the Earth thoroughly studied. Contrary to some of the common beliefs out there, the science behind the end of the world quickly unravels when pinned down to the 2012 timeline. Below, NASA Scientists answer several questions that we're frequently asked regarding 2012.
Question (Q): Are there any threats to the Earth in 2012? Many Internet websites say the world will end in December 2012.
Answer (A): Nothing bad will happen to the Earth in 2012. Our planet has been getting along just fine for more than 4 billion years, and credible scientists worldwide know of no threat associated with 2012.
Q: What is the origin of the prediction that the world will end in 2012?
A: The story started with claims that Nibiru, a supposed planet discovered by the Sumerians, is headed toward Earth. This catastrophe was initially predicted for May 2003, but when nothing happened the doomsday date was moved forward to December 2012. Then these two fables were linked to the end of one of the cycles in the ancient Mayan calendar at the winter solstice in 2012 -- hence the predicted doomsday date of December 21, 2012.
Q: Does the Mayan calendar end in December 2012?
A: Just as the calendar you have on your kitchen wall does not cease to exist after December 31, the Mayan calendar does not cease to exist on December 21, 2012. This date is the end of the Mayan long-count period but then -- just as your calendar begins again on January 1 -- another long-count period begins for the Mayan calendar.
Q: Could a phenomena occur where planets align in a way that impacts Earth?
A: There are no planetary alignments in the next few decades, Earth will not cross the galactic plane in 2012, and even if these alignments were to occur, their effects on the Earth would be negligible. Each December the Earth and sun align with the approximate center of the Milky Way Galaxy but that is an annual event of no consequence.
"There apparently is a great deal of interest in celestial bodies, and their locations and trajectories at the end of the calendar year 2012. Now, I for one love a good book or movie as much as the next guy. But the stuff flying around through cyberspace, TV and the movies is not based on science. There is even a fake NASA news release out there..."
- Don Yeomans, NASA senior research scientist
A: Nibiru and other stories about wayward planets are an Internet hoax. There is no factual basis for these claims. If Nibiru or Planet X were real and headed for an encounter with the Earth in 2012, astronomers would have been tracking it for at least the past decade, and it would be visible by now to the naked eye. Obviously, it does not exist. Eris is real, but it is a dwarf planet similar to Pluto that will remain in the outer solar system; the closest it can come to Earth is about 4 billion miles.
Q: What is the polar shift theory? Is it true that the earth’s crust does a 180-degree rotation around the core in a matter of days if not hours?
A: A reversal in the rotation of Earth is impossible. There are slow movements of the continents (for example Antarctica was near the equator hundreds of millions of years ago), but that is irrelevant to claims of reversal of the rotational poles. However, many of the disaster websites pull a bait-and-shift to fool people. They claim a relationship between the rotation and the magnetic polarity of Earth, which does change irregularly, with a magnetic reversal taking place every 400,000 years on average. As far as we know, such a magnetic reversal doesn’t cause any harm to life on Earth. A magnetic reversal is very unlikely to happen in the next few millennia, anyway.
A: The Earth has always been subject to impacts by comets and asteroids, although big hits are very rare. The last big impact was 65 million years ago, and that led to the extinction of the dinosaurs. Today NASA astronomers are carrying out a survey called the Spaceguard Survey to find any large near-Earth asteroids long before they hit. We have already determined that there are no threatening asteroids as large as the one that killed the dinosaurs. All this work is done openly with the discoveries posted every day on the NASA NEO Program Office website, so you can see for yourself that nothing is predicted to hit in 2012.
Q: How do NASA scientists feel about claims of pending doomsday?
A: For any claims of disaster or dramatic changes in 2012, where is the science? Where is the evidence? There is none, and for all the fictional assertions, whether they are made in books, movies, documentaries or over the Internet, we cannot change that simple fact. There is no credible evidence for any of the assertions made in support of unusual events taking place in December 2012.
Q: Is there a danger from giant solar storms predicted for 2012?
A: Solar activity has a regular cycle, with peaks approximately every 11 years. Near these activity peaks, solar flares can cause some interruption of satellite communications, although engineers are learning how to build electronics that are protected against most solar storms. But there is no special risk associated with 2012. The next solar maximum will occur in the 2012-2014 time frame and is predicted to be an average solar cycle, no different than previous cycles throughout history.
Addition information concerning 2012 is available on the Web, at:
- NASA Astrobiology Institute: "Nibiru and Doomsday 2012"
- Bad Astronomy: "The Planet X Saga: The Scientific Arguments in a Nutshell"
- Sky and Telescope Magazine: "2012: The Great Scare"
2009年11月23日月曜日
高層マンションの幸せ
その後ろから、くたびれたラクダ色のカーディガン、膝の抜けた茶色いコーデュロイのズボンの中年男が、ぼさぼさの髪で、サンダルを履いてついていく。 同じような年頃、しわだらけのスカート、憔悴した表情の女が寄り添っていた。
箱は、おもてに停めてあったワゴン車に移され、スーツの男が深々とお辞儀をし車を運転して去っていった。
そのとき、やっと気が付いた。 人が死んだのだ。
葬儀屋が遺体を引き取り、家族と思われる夫婦が見送っていたのだ。 どんよりと曇った寒い晩秋の午後の光景。
東京の大規模マンションの住民は、自分の頭の上の階で人が生まれても死んでも気付かない。マンションの入り口には「忌中」の張り紙もなく、葬儀はどこか遠くの”セレモニーホール”で行われる。
われわれ都会人は、「希薄な人間関係」という幸せを数千万円かけて手に入れているのだ。
2009年11月5日木曜日
冬が秋を襲う
北の国では、冬が秋に襲いかかるようにやって来る。
2009年10月9日金曜日
日本は南北朝鮮統一を支持しているのか?
敵対する南北朝鮮だが、将来の国家目標は、形態は異なるにせよ南北統一である点では同じだ。そして、南の韓国が思い描く統一の前提となる理想的状態が、おそらく、この小説の結末であろう。
韓国大統領・李明博が9月の国連総会出席のため、ニューヨークを訪問した。この機会に開かれた外交フォーラム(9月21日)で、李明博は「北朝鮮経済が良くなってこそ、統一を考えることができる」と述べた(9月24日付け読売新聞)。
李明博は「南北統一の大前提は、北の経済発展である」とする韓国の国家戦略を明言したのだ。
北の政治体制には言及していないが、抑圧的独裁を望んでいるわけはない。小説「北朝鮮崩壊」のように、穏健な体制の登場を期待しているに決まっている。
穏健な政治体制のもとで経済発展を成し遂げた北との統一。この理想実現のために何を為すべきか。
韓国という国家の行動原理はここに集約されている。
現在、見事な経済発展を遂げた韓国と経済が破綻したも同然の北朝鮮では、その所得の差は比べようもない。
今年8月27日付け聨合ニュースは、韓国租税研究所による分析結果を報じた。それによると、1990年代初めの段階では、韓国の1人当たり所得は北朝鮮の6~8倍だったが、2007年段階では17倍に広がった。
これに基づいて、現時点で統一し、韓国側の国民基礎生活保障制度、つまり低所得者援助などが適用されれば、ほとんどの北朝鮮住民が対象となると推計する。そのための莫大な財政支出は、北朝鮮国内総生産の300%に達するとしている。
数年前に米国のランド研究所が米政府の依頼でまとめ公表した報告書は、南北統一の費用を具体的数字で示している。
つまり、現時点での統一は、巨大な経済負担のほとんどを韓国が背負うことになり、その重みで韓国自体が押し潰されかねないということだ。統一による混乱は、北朝鮮の経済が発展すればするほど穏やかに押さえることができる。
金正日体制の突然の崩壊、新たな権力の奪取を目指す様々な集団の衝突、混乱から逃れて隣接する韓国や中国、ロシア、あるいは日本にまで津波のように押し寄せる難民の群れ。
この最悪事態を回避するには、当面は、顔をそむけたくなるような醜悪そのものの金正日を支える以外に、選択肢があまり見当たらない。腹立たしくても、これが現実だ。
そして、支えながら変革の方向へと仕向けていく。
南北朝鮮の様々な会議、米朝の直接接触、核問題をめぐる6か国協議、中朝政府関係者の往来etc。利害関係国は、北朝鮮と接触する場をとらえ、長期戦略目標の実現を目に見えないアジェンダにしている。
そのテーブルで北朝鮮に対して切れるカードをどう使うか。
このゲームへの非常に奇妙な参加者は日本だ。日本の手持ちカードをみんなが知っている。切り札が1枚もないのも知っている。これではゲームにならないが、テーブルに座っている。
日本は拉致問題が解決しなければ、北朝鮮に対し何もしないと主張して自らの手足を縛ってしまっている。それによって、北朝鮮に対する長期戦略も描けなくなった。日本は北朝鮮をどうしたいのか。それがまったく見えない。
日本は、金正日体制は直ちに打倒したいのか、北の変革を推進することに貢献したいのか、南北統一を実現したいのか、東アジアの秩序をどうしたいのか。
だが、解釈のしようによっては、拉致問題を思考停止の口実にしていると勘ぐることもできる。
世界的金融グループ「ゴールドマンサックス」は最近、南北統一朝鮮が実現すれば、2050年には、国内総生産(GDP)がフランス、ドイツ、日本などの現経済大国を上回る可能性があるとの報告書を明らかにした。従来からある悲観的な統一未来像とは、かなり趣きを異にしている。
それによると、統一が実現すれば、ドル換算GDPが30~40年後、米国を除いたG7と同じ水準か、それ以上になりうるとし、2050年の実質GDPは6兆560億ドルで、昨年の韓国GDP(8630億ドル)の7倍に達する。
その要因として、北朝鮮の成長潜在力が南韓の技術・資金力と結合するシナジー効果、北朝鮮の豊かな人的資源と大規模な鉱物資源などを挙げている。
非常に楽観的な未来予測のようにも見える。だが、もし、この通りになれば、日本は、スポーツだけでなく国力でも、中国と統一朝鮮の下に埋没してまう。古代東アジア地政図の再来にも思える。
21世紀は、日本没落の暗い時代だと予感させるではないか。
だから、日本は、朝鮮の復興となる南北統一の実現を快く思っておらず、実は、拉致問題にしがみつくのも、統一を少しでも遅らせようとする戦術かもしれない。
あまりに稚拙な日本の対北朝鮮外交戦術をみていると、何か裏があるのではないかと探りたくなる。
探っても、何もない空っぽだったら、寂しくもあるのだが…。
2009年10月6日火曜日
トキが放鳥された
そこで、絶滅危惧人種の復活を手がけてきた「ヒト保護センター」は、世界各地にわずかに残っているとみられる純血種日本人探しを開始した。
その結果、生殖能力のある男女20人をやっと発見し、東京の「保護センター」に収容した。生活意欲を喪失していた彼らに、日本人再生のための性教育から職業訓練に至るまで、様々なプログラムを用意した。
センターでの全課程を修了し、人種のるつぼと化した日本列島の実社会に復帰したとき、彼ら同士で恋をし結婚し、新たな日本人の生命が誕生するよう綿密に組まれたプロジェクトである。
そして、最後の日、20人は、期待に胸をふくらませるセンター職員たちへ向かって元気に手を振り、笑顔で街へ出て行った。
だが街角を曲がって、センターが見えなくなると、20人の表情から、すっと笑顔が消え、互いに挨拶もせずバラバラの方向へ散っていった。
誰もがぶつぶつ言っていた。「あいつらといるのは、もうウンザリだ」、「アタシのタイプの男は1人もいないじゃないの」云々…。
2009年10月2日金曜日
今度はパダンで地震!!
パダンと言えば、文化人類学的にはミナンカバウ人の伝統的母系社会が知られている。そして、何よりも「パダン料理」が有名だ。インドネシア料理を代表する一つで、アメリカ大陸より広い5000キロ以上に及ぶ群島国家のどこに行っても食べられる。村の小さな食堂から外国人観光客向けの高級レストランまで様々だが、味の違いは料金の違いほどないと思う。
客が座るや否や、テーブルにところ狭しと料理の載った小皿が並べられ、さらには、ピラミッド状に積み重ねられる。肉や魚など香辛料を効かせて調理したものがほとんど。客の好みなど訊かない。まるで押し売りのように目の前に、有無を言わせず出す。
だが、心配することはない。客は食べた分だけ払えばいいのだ。日本の回転すしのシステムに似ているかもしれない。いや、もっと合理的だ。例えば、1枚の小皿の魚2尾のうち1尾だけ取れば料金は1尾分だけ。回転すし屋で、皿に載った2貫のにぎりのうち1貫だけ取るというわけにはいかない。
パダンで地震と聞いたとき、真っ先に思い浮かんだイメージは、積み重ねられたパダン料理の沢山の小皿が飛び散る光景だった。
ミナンカバウの人々は、インドネシアで特異な存在かもしれない。人口の60%を占める支配民族ジャワ人の文化は、白黒を明確にしない。曖昧さを大切にする。イエス、ノーをはっきり表明せず、相手の気持を読む、以心伝心、阿吽の呼吸といったものを大切にする。日本文化に共通するもののようにも思える。
これに対し、ミナンカバウ人は歯切れがいい。物事を明瞭に表現する。反骨精神も強い。外国人には話していて理解しやすい人々だ。インドネシアの作家、ジャーナリスト、詩人にミナンカバウ人が多いのは、なんとなく納得できる。ようするに、歯ごたえがあって、面白いヤツが多いのだ。
今すぐ彼らを助けに行きたい、などと偽善的なことは言わない。彼らとパダン料理を食べながら、バカ話をしたくなった。
2009年9月30日水曜日
「サモア津波」の報じられ方
この日の読売新聞夕刊が1面トップでこのニュースを伝えたのを見て、ほんの少し時代が変わってきたのかな、と思った。
日本の新聞は伝統的に、人の命の値段で一番高いのは日本人と設定し、続いて米国や欧州の先進国の人々、そのあとに発展途上国、経済発展が遅れている国ほど命は安くなる。
どこかの国で大災害があれば、真っ先に注目するのは日本人犠牲者だ。さらに、例えば、米国のカリフォルニアで山火事が起き10人も死ねば大ニュースとして報じるが、バングラデシュのサイクロンで1000人死んでも、日本人が関わっていなければ社会面の片隅に置かれればいい方で、ニュースとして無視されることだってある。
欧米を崇拝し、非欧米の第3世界を卑下するという「近代化日本」のメンタリティは報道にも反映していた。
だが、サモア津波の報じ方は、日本の新聞の伝統的ニュース価値判断尺度には適合しなかった。①日本人犠牲者がいない②”遅れた国”の出来事で、死者は”たったの100人”―これだけで、大きなニュースにならない条件が整ったはずだ。
なぜ変化が起きているのか。
おそらく、日本人および日本社会、それを取り巻く環境の変化を反映しているのだろう。
かつての東南アジア観光は、スケベ男たちの買春ツアーで占められていたのに、今では「アジア趣味」を満たそうとする若い女たちが殺到している。「エスニック料理」は日本の辺鄙な温泉街にまで進出している。団塊世代以上の年齢の日本人なら、ガイジン=白人、白人=アメリカ人という予断と偏見がしみついていたはずだ。だが、今では、様々な人種の人間が街を歩いている。職場の同僚がインド人でも、誰もビックリしなくなった。
グローバル化は、人と人との垣根を取り払い、日本人の悪しき偏見をも薄めているように思える。これは良いことだと思う。
とは言え、NHKのニュースは朝から、サモア地震による日本への津波到来の可能性ばかりを繰り返していた。無論、危険性はほとんどないにしても警戒は必要だが、多数の犠牲者が出たサモアの様子そのものを伝えるニュースは昼近くまで皆無だった。
同じころ、オーストラリアのABCテレビのウェブページを開くと、サモア取材の経験があるGillian Bradford という女記者がこんなコメントを載せていた。
We hear so much in Australia about early warning systems and the lessons learnt from the Asian Boxing Day tsunami.But how do we spread this technology to some of the most isolated spots on the globe where a phone or a television is considered a luxury?There are so many islands in the Pacific that may have been touched.
<電話やテレビすら贅沢品の太平洋の島々に、津波の早期警戒システムなどというテクノロジーをどうやって普及させるというのだ>
ジャーナリズムとしての人間への関心の深さが違う。読売新聞もNHKも、この津波をサモア人の目線で捉えようとするところまでは至っていない。
(写真は、サモアの”普通の波”)
2009年9月17日木曜日
民主党政権の誕生
2009年9月14日月曜日
時空瞬間移動の旅
日本から外国を訪れる場合、東京からであれば、成田か羽田で飛行機に乗り、ある国の首都あるいは首都に準ずる大都市近郊にある空港に降り立つ。空港からは、タクシー、バス、鉄道などの交通機関を利用して市内に入り、ホテルにチェックインする。
その後の旅行は大抵、到着した大都市が拠点となる。交通の流れがそうなっている。とりあえず大都市に到着すれば、まあまあ快適なベッド、そこそこの食事は保証されるし、旅行のための情報収集、交通手段の確保も容易だ。無駄のない合理的な旅行計画が立てられるというものだ。
それはそれで良いのだが、初めての国の短期訪問、なおかつ大都市だけとなると、往々にして、その国の素顔や実像を見る機会を逸してしまう。「そんなこたあ、どうでもええ」とばかりに、どこの国に行っても日本食レストランでしか食事をしないようなヤカラには、まさに、どうでもいいことだ。だが、人間というものに関心のあるデリカシーを持ち合わせる人々には、物足りない旅になってしまう。
とくに、発展途上国は大都会の表通りだけでは見られない様々な顔、想像もできないような面を隠し持っている。
それは、近代化=西欧化が届いていない伝統社会の文化や風習だったり、とんでもない貧富の格差だったりする。目をそむけたくなるような惨めな極貧生活がある一方で、竜宮城のような大邸宅に住む富豪の贅沢三昧生活も存在するのだ。
だが、貧しいとされる途上国の玄関口である空港からタクシーに乗ってホテルに向かうハイウェイの車窓から、汚れた貧民街の光景などほとんど見えない。観光で外貨を稼ぎたい国の当局者たちは、姑息にもハイウエイ沿いに塀を作って貧民街が外国人の目に入らないようにするのだ。
’そんなことはない、空港からタクシーに乗っただけで不潔な臭いが漂ってくることもあるし、交差点で止まれば乞食や物売りにまとわりつかれることがある’という反論があるかもしれない。だが、そういう国では、目に見えない裏口は、もっと、もっとひどいのだ。
大都会はどこの国でも、多かれ少なかれ人間関係が相対的に希薄で、強盗、引ったくり、こそ泥といった犯罪の温床になりがちだ。伝統社会の紐帯から離れてやって来た地方出身者にも、そこは外国みたいなものだ。
日本人でも、東京はあくまでも東京で、心の中にある日本とはどこか違うと感じる人は多いと思う。
セブ島は、日本人にすっかり馴染みになっている観光地だ。ダイビング、ショッピング、エステ、それにナイトライフも充実しているし、拳銃だとか麻薬だとかのいけないモノも比較的容易に手に入るようだ。
セブには日本から直行便が頻繁に飛んでいる。4時間余りのフライト。
このセブ旅行には、人の家に玄関口ではなく裏口からいきなり入るような面白さがあった。
セブの国際空港は、本島ではなく、本島中央部の東側の小さな島・マクタン島にある。そして、セブ・リゾートと言われるビーチの多くもマクタン島にある。
空港から出ると、バスは直ぐに、バイクにサイドカーを付けたバタバタと呼ばれる三輪車の群れに捉まり、身動きできなくなる。道路の両側は、ハロハロという小汚いミニ・ショップ、不潔そうだがうまそうな焼き鳥屋、下手くそな化粧をした女たちが顔を見せている怪しげなマッサージ屋などがぎっしり並ぶ。穴だらけの歩道を埋め尽くす暇そうな人々の顔、顔、顔。
世界有数の清潔な都市・東京から4時間余りで飛びこんだ古き良き猥雑なアジア。
翌朝、刑務所のように高い塀で外部世界から隔離されたリゾートホテルから一歩出ると、そこは、ただの貧しい村だった。痩せた犬と鶏が走り回り、ヤギの一団が狭い道をふさぐ。すれ違う村人たちが人懐こく笑いかける。人の温もりに欠けた東京との心地良い落差。塀の中の人工的リゾートではない素朴な本物のリゾート。
この島は、あのマゼランが世界一周の途上、1521年に上陸し、イスラム教徒の王ラプラプとの戦闘で死んだ土地なのだ。ラプラプは以来、フィリピン人抵抗運動の象徴になっていた。
今、この島の人々は、日本人だろうが、韓国人だろうが、あるいはヨーロッパ人だろうが、外国人であれば誰でも大歓迎する。外国人は、かつてフィリピンを支配したスペイン人やアメリカ人、日本人のような侵略者ではありえない。訪問者をもてなすことが、彼らの生業になっている。
近ごろは、日本でも西欧中心史観に基づいて、「マゼランがフィリピンを発見した」とは言わなくなった。「発見」ではなく「到達」と表現するようになった。だが、マゼランが「発見」し、「フィリピン」と名付けられなければ、この多島海が「フィリピン」と呼ばれることはなかったし、「フィリピン」というナショナル・アイデンティティも存在しなかったろう。
マクタン島の人々が今、「発見」だとか「到達」にこだわっているとは思わない。現実の生活が目の前にある。
リゾートホテルのウエイトレスは月給6000ペソ、日本円でわずか1万2000円程度だが、良い給料で「幸せ」と言って微笑んだ。
2009年8月25日火曜日
2009年8月24日月曜日
2009年8月18日火曜日
怪物が生まれたジャマイカ
2009年8月16日日曜日
8月15日の桃太郎
2009年8月11日火曜日
親日トルコで夏休みを
2009年8月7日金曜日
とりあえずビール
2009年8月4日火曜日
清潔信仰
2009年8月3日月曜日
コラソン・アキノの23年間
2009年7月29日水曜日
警察官を好きですか?
2009年7月27日月曜日
狂気の自己陶酔
2009年7月23日木曜日
個人的日蝕ツアー
ふと思い立って、ぶらりとでかける旅。
2009年7月21日火曜日
天空の茶畑
静岡県を流れる安倍川の源流域・梅が島、
2009年7月15日水曜日
灰色の狼
2009年7月1日水曜日
ふれあい
- 基本的に社会的に善と考えられる範囲(福祉・教育・
環境保護など)でのみ使用 - 情緒的なつながりを重視し、理知的な知識の交換や政治的・
経済的利害の調整などという意味での接触は含まれない - インターネットや携帯電話など情報機器を通じたものではなく、
あくまでも人間同士(あるいは人間と動物など) が直接接触することが必要
ふれあいとは、主に地域社会内において、年代層や職業などが異なる人間が情緒的につながった関係を形成することを指す。
言語的定義
「ふれあい」という単語が「触れる」(
一方、以下のような用法に対しては、
このように考えると、
社会的背景
パオロ・マッツァリーノによると、「ふれあい」という単語の初出は1956年の朝日新聞にまで遡るが、メディアなどでの使用頻度が増したのは1970年代から、また社会一般で広く使われるようになったのは1980年代からである(リンク)。このことから、日本語の長い歴史の中でも「ふれあい」は比較的最近登場した概念であることがわかる。
1970年代から1980年代にかけて、「ふれあい」
連帯との違い
また、「ふれあい」に比較的似た概念として「連帯」(
「ふれあい」を冠した団体名・施設名など
また、「ふれあい」
(出典・Wikipedia)