2009年3月25日水曜日

馬券



 きのう、パエリアを、初めてホットプレートを使って作ってみた。それに、近所のスーパーにいつも食材にしているスルメイカがなかったので、試しにホタル イカを買って入れた。友人がイランから持ってきてくれた最高級サフランを使ったのに、出来ばえはかんばしくなかった。二つの未知の要素、ホットプレートと ホタルイカをきちんと勘案すべきだったのだ。

 きょうの朝、道端で馬券を拾った。「浦和競馬 春分の日 特別 12レース」の「馬3連単」で「1-4-8」。まさか当たってはいまいと思いつつ持って 帰り、ネットでチェックしてみたら、やはり外れていた。しかし、当たっていれば106,830円の高額配当になっていた。結果は「8-6-1」。拾った外 れ馬券は順位こそ違え、<1>と<8>は押さえていた。きっと、狙いはそう悪くなかったのだ。だが、思惑通りにはならなかった。

 なんだ、きのうのパエリアと同じじゃないか、と思った。

2009年3月17日火曜日

高校野球


 春になると、友人Mを憂鬱にさせるのはスギ花粉の飛散だけではない。野球シーズンが始まることも彼を不愉快にさせる。
 
 Mの自宅は、甲子園出場を目指す高校野球部のグラウンドと道路を隔てて隣接している。寒さが緩んでくると、軍事教練じみた練習が早朝から始まる。Mは、 彼らの発する叫び声、大声、奇声で無理やり起こされてしまうのだ。宵っ張りには辛い。たまに、熟睡して、すっきりした頭で目覚めることがある。練習が中止に なった雨の朝なのだ。それに、雨の日は花粉の飛来も少ない。

 確かに、言われてみると、野球というのは実にやかましいスポーツだ。だが、やかましさは一律ではない。草野球チームの練習や試合は高校野球と比べれば、お通夜みたいなものだ。

 高校生たちは何を発しているのだろうか。ほとんどの声は、グラウンド近くで耳をそばだててみても理解不能だ。「ギャー」とか「ウオー」とか、とにかくあらんかぎ りの大声で叫んでいる。言葉がコミュニケーションの手段であるなら、彼ら同士で何かを伝え合っているのだろうか。お互いを叱咤激励しているようにも思え る。

 もしかしたら、命令されて大声を出しているのかもしれない。練習では、軍隊式の整列とあいさつ、駆け足行進が儀式のように繰り返される。軍隊と同様の組 織であれば、個人の勝手な行動は許されない。命令には従わねばならない。高校野球部が擬似軍隊だとすれば、あの大声は選手が個人の意志で発しているのではない 。

 それにしても、目的は何だ。あんなに奇声を発するスポーツは他にあるだろうか。サッカーやラグビーのプレイヤーが広いグラウンドで大声を出すのは、あく までもコミュニケーションのためだと理解できる。確か、剣道も奇声を発する。相手に竹刀を打ち込むとき、「キェー」とかなんとか叫ぶ。あれはいったい何だろ う。

 日本に長く住むアメリカ人の友人は言った。「アメリカ人は概して騒々しいが、ベースボールをやるとき、日本人みたいな大声は断じて出さないぞ」。

 プロ野球も、テレビで見ているかぎりでは高校生とは違う。アメリカへ渡ったイチローや松井は、ほとんど声を出さずに野球をやっているようにみえる。だが、彼らも日本の高校野球を経験している。彼らは今、その経験、思い出とどんな距離を置いているのだろうか。

 日本に独自の高校野球文化があるのは誰の目にも明らかだ。帝国日本の軍隊との類似性に誰もが気付く。威張り腐った野球部監督、学年別の厳しい上下関係‥。高校生たちは、強大な敵を前に怯えを叫び声で吹き飛ばそうと空しい努力をした英霊たちの真似を強いられているのか。たかが野球で。

 実は、Mが本当に嫌いなのは、この部分なのだ。決して、高校生でも野球でもない。

2009年3月14日土曜日

アフガニスタン


 3月14日付け読売新聞朝刊の国際面に、アフガニスタンに関する記事が掲載されていた。首都カブールからの酒井圭吾記者の報告によると、「テロとの戦い」の最前線アフガニスタンでは警察力強化が急務だが、警察には汚職や麻薬汚染が広がっているという。
 この記事が引用している数字では、全警察官の18%、南部に限れば38%が麻薬を使っているとしている。この数字を見て、「えっ、ウソだろ」と思った。実体験からすると、多すぎるのではなく、少なすぎると感じたからだ。

 このブログのタイトル「The Yesterday's Paper」のせいか、また昔話になってしまう。

 1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻して、抵抗するアフガン人との大規模な戦争になった。翌80年、戦争見物でこの国に潜り込んで、東部ジャララバードの通りを歩いているときのことだった。

 後ろから尾行している男の存在に気付いた。20mくらいの間隔を置いて、自分を隠す様子もなくついてくる。わずらわしくなったので、なぜ尾行するのかと 声をかけた。男は片言の英語で、自分は警察官で、見慣れない外国人が歩いているので監視していると答えた。そこで、怪しい者ではない、散歩しているだけだ から心配するな、と説明した。すると、「それなら街を案内してやる」と言うので、2人して、ジャララバードの街を散歩することになった。

 われわれは歩きながら色々な話をしているうちに、まあまあの仲良しになっていた。それで、彼は別れるとき、チャイハネに招待してくれた。チャイハネと は、そのまま英訳すれば「tea house」、日本語なら喫茶店、いや建物の風情からすれば、日本の時代劇で街道筋に必ずある茶店がふさわしい。

 そこで彼がふるまってくれたのは、お茶だけではなかった。ハシシも注文した。2人で吸引し、気持ち良くなって、最後は、アフガン式に熱く友情の抱擁をし、両頬にキスをして再会を誓った。

 それから10年後にアフガニスタンを再訪して、南部カンダハルでのことだった。道端で、政府の役人、兵士、警察官、バザールの商人など7,8人と輪に なって世間話をしていた。そのとき、誰かがマリファナたばこを取り出して火を点けた。やがて、いつの間にか全員での回しのみになっていた。

 アフガニスタンでは、ハシシ、マリファナ、生アヘンの吸引は、日本人の飲酒と同じくらい普通のことだ。だから、これらを「麻薬」と呼ぶなら、警察官でもほとんどが吸引経験があると思う。だから、新聞で報じられた数字を信じがたいと感じたのだ。

 彼らの生活感覚からすれば、こういったものは麻薬、英語で「drug」,「narcotic」に相当するものかどうか、判断が難しいと思う。伝統的な病気療法としても使われてきたからだ。

 ただ、以前のアフガニスタンは、1次産品、つまりケシから抽出した生アヘンの輸出国にすぎなかった。だが、最近は、原材料輸出国が製品輸出国へと発展したのと同様、生アヘンをコカインに精製して密輸するようになったと聞く。コカインの毒性は生アヘンの比ではない。

 かつてのアフガニスタンにコカインはなかった。日本の新聞は、アフガン警察官が使う麻薬の種類については報じていない。普通の日本人の感覚からすれば、 マリファナもコカインも麻薬は麻薬で同じようなものだろう。だが、タバコや酒よりも害悪性が低いとされるマリファナが合法化されている国があることでわか るように、日本語で「麻薬」と言っても種類は様々だ。

 アフガン警察官の麻薬使用率が、毒性の高いコカインなどを含む数字だとしたら怖い。世界一のアヘン生産国アフガニスタンの悪魔的発展と変化を示唆するか らだ。そうではなく、のどかな時代のハシシやマリファナだけの使用率なら、アフガニスタンの未来は、むしろ明るいのではないかと思う。

2009年3月12日木曜日

電柱


 子どもたちが電柱に登って遊ばなくなったのは、いつのころからだろうか。昔の電柱は木製で、表面がすべすべしたコンクリート製ではなかったから、登りやすかった。電柱に差し込んである作業用の足場は、子どもの背よりはるかに高い部分に取り付けてあった。だが、滑らない木製の電柱なら抱きついて足場まで這い登ることができた。

 高い電柱は、子どもたちの冒険心を刺激し、一番高く登れば英雄になれた。高すぎて身がすくみ一人で降りられなくなると笑いものになった。臆病者とからかわれない高さというのもあって、恐怖におののきながら、どこまで登るかを決断する。きっと、たまには転落した子どももいただろう。今では許されない危険な遊びのひとつだ。

 昔の電柱は、登ったり、かくれんぼに利用する子どもの遊び道具だったばかりではない。立ち小便が恥ずかしい行為でもなんでもなかった時代、犬ばかりでなく人間もなぜか電柱にひっかけていた。日が暮れれば、電柱の後ろの暗がりには、カップルではなくアベックと呼ばれていた男女の密やかな姿があった。かつて、電柱は日本人の生活に溶け込んでいたように思える。

 今、無機質なコンクリートの林立は地上を歩く人々に、まるで敵意があるかのようにのしかかってくる。電柱はいつのまにか、そびえ立つモンスターになってしまった。電柱に架けられた電線が空に描く複雑な模様は、逃亡を試みようとする人間を捕えようとする投網のようにもみえる。

 とくに都会は醜悪だ。銀座や日比谷といった東京の上っ面になる部分には電柱がなく、整然とした街並みになっている。しかし普通の人々が住む街の光景を決定付けているのは、複雑怪奇な電柱・電線網だ。こんな様相の街作りを、なぜ我々日本人は認めてきたのだろうか。

 「無電柱化」という言葉がある。明らかに役人語であろう。電線を地中に埋めたりして道路から電柱をなくすことを意味する。都市の景色を見るかぎり、実感はまったく湧かないが、日本政府は昭和61年、つまり1986年から、この「無電柱化」に取り組んでいるそうだ。

 政府(国土交通省)のHPによると、電線の地中化は、ロンドン、パリ、ボンで100%、世界の主要都市で東京(23区)は、わずか5.2%、断トツのビリになっている。この数字は海外旅行での実感そのままだと思う。アジアやアフリカ諸国の都市でも東京ほど電柱を見ることはない。おそらく、東京は電柱の数で世界一だろう。

 東京都も2016年オリンピック招致に合わせて、「無電柱化」推進を謳っている。きれいごとを羅列した招致の宣伝パンフレットには胡散臭さを感じるが、電柱のジャングルが多少なりとも伐採されるなら、オリンピック開催に賛成してもいいような気になってくる。

 もっとも、開催推進者たちは、「無電柱化」にかぎらず、都市環境のあらゆる面を改善すると公言している。今なら、東京オリンピックにかこつけて、普段の不平不満の解消、行政側にやってもらいたい注文、なんでもかんでも言えば、開催支持との交換で実現してくれそうだ。

 それにしても、東京オリンピックを開催すれば地球環境の大切さを世界にアピールできるという彼らの主張は世界にまともに受け取られているのだろうか。そもそも、金をかけてオリンピックなど開催しなくとも、地球環境の大切さなど誰でもわかっているはずだ。問題は、それをいかに実現するかだ。それに、このレトリックでは、開催しなければアピールできないということになる。

 もしかしたら、招致パンフレットの美辞麗句は、「お前ら、オリンピックがダメになったら、電柱もへったくれもない、なにも実現しないぞ」という脅迫かもしれない。

2009年3月10日火曜日

忍者ハットリくん


 田園調布と蒲田は、同じ東京の大田区でありながら、雰囲気が驚くほど違う。一方は気取った無表情さが支配し、他方は欲望をむき出しにした人間の動物的本性が猥雑さを撒き散らしている。同じことばを話す同じ人種の街とは、にわかには信じがたい。

 だが、この二つの街は、人間の二面性、昼と夜を象徴しているのだ。昼は令嬢、夜は娼婦。何年も前に渋谷の道玄坂あたりで殺された東電OLのように。

 人間は化ける。化けるのは忍者。大田区のシンボルマークが「忍者ハットリくん」をモチーフにしてデザインされたのは、担当者が「人間とは何か」という哲学的探究にもがき苦しんだ産物なのである。

2009年3月7日土曜日

オタク讃歌


 近ごろ、蕎麦屋の主人で、団塊の世代くらいの歳のオヤジが、頭にバンダナを巻き、甚平を着ている姿をよく見る。たいていは、脱サラか失業か定年退職後の第二の人生という風情。

 こういう店というのは概して、味は悪くないが、壁に「蕎麦の食べ方」などという能書が貼ってある。オヤジのツラは客に向かって、いかにも「おめえらに蕎麦の味がわかるのか」と言っている。こんなところで蕎麦を食うのは疲れる。たかが蕎麦なのだ。気楽に食わせてくれよ。

 こういう「能書蕎麦屋」の大親分みたいな人物が、故・新島巌だ。蕎麦研究の大家とされ、蕎麦屋を始めたいという素人を集めて研究会を開き、経験や知識を 惜しみなく伝授したという。2001年に80歳で亡くなったときには、朝日新聞「惜別欄」でも取り上げられ、「そば研究に身を捧げた巨星逝く」と報じられ た。新島は、早稲田大学を卒業し、新宿で蕎麦屋を始め、現在の「さらしな総本山」(東京・中野、田無)の礎となった人物だ。

 元信濃毎日新聞記者の中田敬三という人が書いた「物語 信州そば事典」を読んでいたら、新島巌を引用している部分があった。その孫引きだが、日本には、「蕎麦粒山」いう名の山が四つある。静岡県(標高 1,627m)、東京都・埼玉県境(1,627m)、岐阜県(1,297m)、長野県(1,065m)の四つだそうだ。

 友人Cは山と蕎麦が大好きで、日帰り山歩きの締めは蕎麦屋で一杯と決めている。話が長くなったが、Cに「さすがに蕎麦粒山なんて知らなかっただろ」とメールを送ったら、なんと「知っていた」と返事が来た。オタク世界の計り知れない奥深さを思い知らされた。

2009年3月6日金曜日

地球温暖化


 「日本全国が雨」という天気予報にもめげず、東京から中央高速にのって、スキー場に向かった。どこかに雨が降っていないところがあると信じて。

 今シーズンはついていない。北海道や長野、5回もスキーに行ったのに、毎回コンディションが悪かった。行くたびに、真冬とは思えない暖気に見舞われた。スキーは雪煙というより水しぶきをあげるという方が近かった。水上スキーじゃないのに。

 きょうは、「今度こそ」と気負ってでかけたが、運に見放されていた。雨の勢いは強まる一方だった。だが、車の中から、長野県・白樺湖の「2 in 1」という変な名前のスキー場に携帯で訊いてみると、「今は雪です」と、うれしい返事。とにかく雨ではない!

 行ってみると、確かに雪が降っていた。スキーもできた。とは言え、雪は限りなく雨に近い水気を帯び、全身がぐっしょりと濡れた。やはり、ついていなかったのだ。

 今年は異常な暖冬と言われた。今シーズンのスキーが面白くなかったのは、そのせいだろう。だが、何度行っても悪コンディションに巡り合ったのはなぜか。もしかしたら、これは運が悪かったのではなく、暖冬が異常ではなく通常になっているのではないか。

 やがて雪がもっと減って、スキーなどというスポーツが歴史的、あるいは考古学的存在になってしまう日が来るのだとしたら、きょうの不運は、実は、未来の先取りだったのかもしれない。

(写真は、「ブランシュたかやま」のパンフレットから)

2009年3月5日木曜日

コシャリを知っているかい?


 エジプトの街の食堂には、コシャリという丼ぶり飯風の奇妙な食べ物がある。ご飯とマカロニとスパゲティを混ぜてトマト味にしたものだ。決して美味いとは思わないが、安さのせいか、日本からのバックパッカーたちには好まれている。

 見た目は、やや誇張して言えば、一昔前、いや、もっと前の日本で当たり前だった犬や猫に与えた食事。当時は、人間のあらゆる食べ残しをひとつ皿にぶちまけて動物たちに食わせていた。わけのわからない気味の悪い見かけになったが、元は人間の食べ物なのだから不味くはないはずだ。

 コシャリとは、エジプトという国の混沌と魅力を象徴する食べ物だと思う。

 規則と慣習と人の目でがんじがらめになって委縮した日本人が、意識の奥底に隠して、その存在すら忘れていた野性の自由、ジャングルの掟を思い起こす土地、それがエジプトだ。

 独裁国家というのは、最高政治指導者が法権力を恣意的に使うことができる国だ。だから、ムバラク独裁政権に支配されるエジプト人も法律などに、あまり拘らない。いや、尊重はしているが、拘っていては生活ができない。つまり、順法精神などというものは、あまり意味を成さない。(エジプトの民主化運動とは、煎じつめれば法の支配確立を実現することで、エジプト人もそんなことはよくわかっているが、現状は法が支配していない)

 こういう社会で生きていくには、法律に従うことよりも、個々人の臨機応変さが重要だ。誰もがそういう生活をしている国に、規則に飼い慣らされた日本人が放り込まれると、そこはまさに「混沌の世界」となる。そう、コシャリの皿に飛び込んだ小さな昆虫みたいなものだ。

 たいていの日本人は、裏世界にでも関わっていないかぎり、規則や法律を無視して生活することに慣れていない。だが、エジプトでは多かれ少なかれ、”アウトロー”にならざるを得ない。手っ取り早く慣れるには、車がひしめく首都カイロの街を自分で運転して移動してみるのが一番だろう。

 カイロの通りは、まさに無政府状態だ。交通警官はいるがドライバーになめられて相手にされない。渋滞になれば、2車線の道路は割り込みで、たちまち3車線、4車線にふくれあがる。信号は単なる目安で誰もきちんと守ろうとはしない。一方通行を逆行してくる車はざらで、自分が正しいと思っても強気に出なければ負けだ。窓を開け、相手に向かって手を振り回し「エンタ・マフィーシュ・モホ(お前は脳なしだ)」と叫ぶ声の大きい方が勝つのだ。酒酔い運転取り締まりなどは、もちろんない。

 道路は弱肉強食社会を体現している。大きい車、高価な車ほど威張ることができる。カローラはメルセデスに服従しなければならない。つまり、道を譲る。

 こういう道路での運転、あるいは生存競争に慣れてくると、自分の身は自分で守るしかない、国家や法律に頼ることはできない、という生き方が皮膚感覚でわかってくる。

 これこそ、究極の「自己責任」だ。混沌の中で、人間とは何か、を考えさせられる。これが現代エジプトなのだ。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、きのう、人も車も通らなくなった寒い深夜の東京の交差点に若い女が一人たたずんでいた姿が印象的だったからだ。

 男を釣り上げようとするストリートガールではないかと思ったが違った。歩行者用の信号が青に変わると小走りで横断歩道を渡っていった。単に信号待ちをしていただけだったのだ。赤信号でも車が来ないなら渡ってしまえばいいのに動かない。これは物凄い順法精神ではないか。

 そう、それが日本なのだ。エジプト人はきっと、ここがとても奇妙な国だと思っているに違いない。

2009年3月4日水曜日

雪はどこへ行ったの?


 きのうの夜の天気予報は自信たっぷりに、「東京も雪だ」と言っていたのに、朝起きてみたら、いつもと同じ、くすんだ街の光景。
 なぜ、テレビに登場する「気象予報士」という人たちは皆、まったく同じ予報をするのだろうか。彼らが個々に独自の予報を出せば、天気予報はとてもエキサイティングになると思うのに。
 都会に住んでいる人々は、おとなでも子どもでも、一夜にして風景を一変させる雪に興奮する。それぞれの心の中の「雪まつり」なのだ。
 期待していた雪がなかった朝、遠足や運動会が雨で中止になってがっかりした子どものころの思い出がよみがえった。
 (写真は、昨年2月3日多摩川で)