2010年2月15日月曜日

スノボ国母の”快挙”


 オリンピックに出場する日本人選手が成田空港を出発するテレビの光景をセピア色にして、どこかの鉄道駅に場所を移すと、太平洋戦争中の出征兵士の姿といかほどの違いがあるだろうか。


 オリンピックは、最高の能力を持つアスリートたちによる世界最大の運動会だ。それだけで十分楽しめるのに、オリンピックは国家間の擬似戦争の色彩も帯びる。日本では、マスコミやマスコミに煽られた人々が、選手たちに、オリンピックという戦場での日の丸を背負った玉砕精神を求める。


 だから、選手たちは清く正しく礼儀をわきまえた”皇民”であらねばならない。成田空港での出発に際しては、「お国にためにがんばってきます」風の言葉と態度が当然であり、要求されるのだ。

 そこに突然、”非常識な”ガキが登場した。2月9日、バンクーバー冬季大会に出場するスノーボード代表・国母和宏が成田に現れた姿がテレビに映されると、マスコミによれば、非難の嵐が巻き起こった。

 ゆるめたネクタイ、ズボンの外に出したシャツのすそ、ズボンはずり下げた腰パン、ようするに、学校帰りにコンビニの前で”ウンコ座り”して屯している高校生、近所のオジサン、オバサンたちの顰蹙を買っている連中の一人が、オリンピック代表でござい、と出てきてしまったからだ。


  その後の記者会見でも、ふてくされた態度で反省したとはみえない。これでは国家主義的マスコミと世論の袋叩きにあってもしかたない。が、このガキは、間違いなく、日本のオリンピック史に残る”快挙”を成し遂げた。


 東海大学に在籍しているというが、とても大学生とは思えない態度、振る舞い、言葉の稚拙さ。むしろ、世間を知らない、知ろうともしない幼稚さが歴史を作ったと言える。

 その「歴史」とは、間違いなく本人は意図していなかっただろうが、日本代表として、オリンピックにおける国家主義を真正面から否定したことだ。無理やり引っ張り出された記者会見で、「反省シテマ~ス」などと子どもじみた発言をせずに、「オレの何が悪い!」と居直れば、もっと劇的な展開になったが、あのオツムでは不可能だったろう。

 だが、もし国母が居直り、これに対して日本側が出場取り消しを決めたら、どうなっただろうか。かなり面白いことになり、国際的関心も呼んだであろう。

 国母が一部世論の怒りを買った理由は、煎じ詰めれば、日本国代表の気概をみせなかったところに行きつくと思う。しかし、この批判はあたらない。 オリンピック憲章は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と、堂々と宣言しているからだ。

 さらに、憲章には、「出場取り消し」に関して、国母ケースを念頭に置くと、きわめて興味深い項目がある。

 「正式にエントリーをした代表選手団、チームもしくは個人が、IOC(国際オリンピック委員会)理事会の同意を得ることなく出場を取り消した場合、このような行為はオリンピック憲章違反であり、査問の対象となり、また懲戒処分の対象となることもある」

 ここでは、JOC(日本の国内オリンピック委員会)が査問の対象となり、国母を出場停止にするには、IOCの同意を得なければならないと解釈できるようにも思える。
 
 その一方、憲章は、国内オリンピック委員会の任務として、オリンピックの選手エントリーを決定することが挙げられている。さらに、その決定は「選手の技量のみならず、自国のスポーツをする若者の模範となるような能力に基づいて行われるものとする」とも規定している。これを適用すれば、国母の生殺与奪権はJOCにあると解釈できる。
 
 だが、ファッションばかりでなく、生きるスタイルなど、すべてが多様化する世界で、果たして、IOCばかりでなく国際社会が「服装の乱れ」という特殊日本的な理由を受け入れるかどうか。
 さらに、JOCが出場取り消しを決定した場合、憲章によれば、国母にやる気があれば、スポーツ仲裁裁判所に提訴する道もある。

 あの洟垂れ小僧は、「国家とスポーツ」のあり方について、重大な問題提起をしたのだ。ぜひ戦ってもらいたいが、あやつに、そんな知性と根性はないだろう。きっと、JOCは、国母がアホだったこと、橋本聖子・選手団長の仲介という形で出場停止決定を回避できたことで、ほっとしているに違いない。

 結局、この騒ぎは、メダルをさして獲得できもしない冬季オリンピックに玉砕精神で大選手団を送り込んだ国家主義と薄っぺらな若者文化の双方が舞台でこけた猿芝居でしかなかった。

 これで国母がメダルを取ったら大笑いだ。

2010年2月10日水曜日

トヨタはすごい!


 先月、新聞の折込広告をパラパラとめくっていて、トヨタの中古車店の広告が目に留まった。 車に興味はなかったが、来店者にタジン鍋をプレゼントというのに惹かれた。


 タジン鍋というのは、北アフリカ・モロッコの伝統的な鍋で、ふたが富士山のような形状をしている。 なぜか近頃、日本で流行っている。 それがタダで貰えるというので、トヨタに行ってみた。

 店の駐車場にマツダを乗り入れると、すぐに従業員が近づいてきた。 

 「すみません、タジン鍋もらえるという広告、見たんですけど」
 「そうですか、どうぞこちらへ」

 中古車店のオフィスに案内され、すぐにタジン鍋、それに鍋料理に使うネギ、ニンジンまで手渡してくれた。 さすが世界のトヨタ!

 こちらは、そのまま帰るほど図々しく振舞えなかったので、一応、展示場の中古車を見ることにした。

 たまたまハイブリッド車のプリウスの前で立ち止まった。 そのとき、年配の案内担当者が非常に興味深い説明をしてくれた。 「ガソリン車と比べ、燃費はいいんですが、どなたにも勧められるかどうか、というと難しいですね」と言うのだ。

 その説明によれば、問題はプリウスというクルマの核、バッテリーにある。 ガソリン車でも駐車場に置きっぱなしにしているとバッテリーがあがり、寿命が短くなる。 プリウスのバッテリーはガソリン車と比較にならないほど大きいが、日常あまり運転しなければ同じことが起きる。 しかも、大きいだけに交換となると費用はただごとではない。

 さらに、プリウスの燃費の良さが発揮されるのは、混雑した都会の道路だという。 低速走行のとき、動力源としてバッテリーが多用されるためだ。 逆に、快適な高速道路などではバッテリーで重くなった車体をガソリンエンジン主体で動かすために、普通のコンパクトカーなどと燃費の差があまり出ないそうだ。

 そういうわけで、その担当者は、都会をひんぱんに運転する人にはプリウスを勧められるという。 だが、たまの休みにしか運転しないという大多数のサラリーマンには、価格も維持費も高くつくかもしれないと非常に率直に語った。

 ハイブリッドカーが本当にエコなのか、ecology と economy の両面から、「プリウス問題」が騒がれている今、考えるのはいいことだ。

 それにしても、ブレーキのリコール騒ぎでマスコミから叩かれているが、トヨタはすごいと思う。 車を買う気のない客にタジン鍋をプレゼントし、プリウスの使い勝手まで正直に説明してくれるのだから。 

 とはいえ、面白みと個性のないトヨタ車を買う気は、まったく起きない。 トヨタを買うときは、冒険に満ちた人生という夢を捨て、安心に身をゆだねるときだろう。 

 きっと、誰もがそうなのだと思う。 そして、たいていの人は安心を求める人生を生きている。 だから、トヨタは売れ、ちょっとした欠陥で世の非難を浴びるのだ。