2010年9月28日火曜日

多摩川両岸の品位


 昼下がり、多摩川の川崎側、丸子橋付近のサイクリング・コースを自転車で散歩しているうちに、携帯電話を落してしまった。 電話会社に連絡すると、GPSの位置情報で、川崎市中原区小杉1丁目の半径1.5km以内にあると教えてくれたが、半径1.5km、つまり1.5×1.5×3.14(円周率)=7.065平方kmの範囲のいったい、どこを探せばいいのだ。


 警察に遺失物届けをしたものの、発見はほとんど諦めていた。 ところが、みつかったのである。 夕方、自宅の固定電話にかかってきた男の声が、携帯を拾ったので渡したいというのだ。


 男は、自分の居場所は河川敷のテントだと説明した。 どうやらホームレスらしい。 その日は暗くなっていたので、翌日行ってみた。


 指定された場所には、想像していたブルーハウスではなく、小奇麗なコールマンの一人用テントがあり、外から声をかけると、50がらみのよく日に焼けた男が、ニコニコ笑いながら顔を出した。


 テントの中には、小さなテーブルがあって、「白鶴まる」の200mlカップ酒、「KIRINのどごし<生>」の350ml缶がそれぞれ数本、空になって転がっていた。 奥の方には、4ℓのペットボトル焼酎「大番頭」も見えた。

 

 「きのう、酒を買いに出かけたときに拾ったんだよ。持っていきな」。 あっさりと携帯を渡してくれた。


 丁重にお礼を言って、どうやら酒が好きらしいので、テーブルの上のカップや缶の数から酒代を頭の中で計算して、ちょっと少ないかなと思いつつ千円札2枚を握らせた。


 すると、男は「そんなつもりじゃねえ」と強い力でカネを突っ返してきた。 しばし押し問答をした末、結局、「今度、酒を持って遊びに来るよ」と言うと、相手はやっと満足してくれた。


 ホームレスだって礼節はわきまえているんだというプライド、矜持と言ったら、優越感で男を見下したことになろう。 そうではない。 普通の人間の普通の行為だった。 なにしろ、ホームレスの男も携帯を持っていたのだから。 


 秋晴れの下、河川敷には野球に興じる子どもたちの声が響き渡っていた。 気持ちの良い、さわやかな1日だった。


 多摩川の向こう側に見える河岸段丘のあたりは田園調布。 数年前のことを思い出す。 そのときは財布を落とした。 このときも運良く、田園調布警察署から「みつかった」と連絡があった。


 拾い主は田園調布の住民だった。 まずはお礼を言おうと電話をした。 だが、相手の応答で、すっかり厭な気分にさせられた。


 東京を代表する高級住宅地・田園調布の財力と知性、教養のある住民という先入観が大間違いだったのだ。 いきなり、「それ相応の謝礼を出すんだろうね」と露骨にカネを求めてきたのだ。 このときは本人に会って、皮肉を込め多過ぎる額の現金を渡し、あとで反省した。


 多摩川の両岸。 河川敷と高級住宅地。 人間の品格には関係ない。 

2010年9月22日水曜日

特捜検事の逮捕とメディア


 日本で優秀な新聞記者とは、役人や政治家の行動や決定をいち早く察知し、それを「トクダネ」として報じる者をいう。


 そうなるための精神的、肉体的苦労は生半可なものではない。 役人たちの帰宅後の深夜、出勤前の早朝、自宅に押しかけ情報を聞き出そうとする。 「夜討ち朝駆け」という。 世間一般の人から見れば、いつ寝るのかと訝しく思うかもしれない。 だが、それは問題ではない。 彼らは暇なとき、ところかまわず惰眠を貪っているのだ。 そんなことより、非常識な時間に他人の家の玄関ベルを押すむ無神経さ、暗闇の中で役人の帰りを待つしぶとさが凄い。


 役人たちに食い込めば、夜討ちのときには酒を振る舞ってもらえるし、朝駆けついでに朝飯もご馳走になる。 ここまでの関係になれば、たいていの情報は流してもらえる。


 重要なのは信頼関係を築くことだ。 例えば、自衛隊に批判的な朝日新聞の記者が懸命に防衛省の役人に食い込んでも、自衛隊擁護派の読売や産経の記者にかなわないかもしれない。(ただ、内部告発の場合は逆になる可能性もあろう) 


 だが、こうやって情報を得る行為は、物乞いと大きな違いはない。 物乞いが差し出されたものを拒否しないのと同様、記者たちは「トクダネ情報」を有難く頂くのだ。


 これが、日本の新聞記者の伝統的取材手法と習性である。


 役人や権力者側からすれば、目の前をうろうろする記者たちの存在は鬱陶しくもあるが、彼らの習性がわかれば利用するのも容易い。 こちらに都合の良い情報をトクダネという餌にしてばら撒けば、食らいついて宣伝してくれる。


 こうした日本型報道には当然、構造的問題が指摘されている。 とくに怖いのは、警察・検察の報道だ。


 事件で逮捕された被疑者の取調室での言動は、警察・検察の独占情報だ。 記者たちは、普段から情を通じ合っていた警察官・検察官に夜討ち朝駆けをし、”犯人”の自供内容を聞き出す。 そして、”官憲”からの情報だからと裏付けがないまま、それを「真実」として報じる。 この時点で、記者と警察官・検察官は、まるで一心同体であるかのようだ。


 こうして、過去、どれだけの冤罪事件がもっともらしく報じられてきたことであろう。


 9月21日、大阪地検特捜部のエリートと言われた主任検事が、こともあろうに前代未聞の証拠隠滅容疑で逮捕された。 この検事は、さる10日に無罪を言い渡された厚生労働省元局長・村木厚子の事件を担当していた。


 日本の新聞、テレビは、「地に落ちた特捜地検の威信」を連日報じている。 それはいい。 だが、昨年6月、特捜部によって村木が逮捕されたときは、どのように報じたのか。 特捜部の検事が一方的に流した情報を鵜呑みにして報じてはいなかったのか。 


 もはや、こんな指摘は「王様は裸だ」と叫ぶほどのことではなく、今や誰もが口にする「つぶやき」だと思う。

2010年9月14日火曜日

平和すぎる八丈島


 澄んだ青い空と熱帯樹林の濃い緑。 その光景は東南アジアのどこかなのだ。 だが、人々は皆、日本語を話し、その上、道路を走るクルマのナンバープレートは「品川」ばかり。 ここは、一体どこなのだ? そういえば、空港ではパスポート・チェックも税関もなかった。

 羽田空港からANAのフライトでわずか50分、喧騒の東京の一部とは思えない別世界・八丈島の第一印象。

 伝説の女護が島。 女しか住まず、彼女たちは外部世界から訪れた男たちを夢み心地にさせる歓待をしたという。

 今も平和の島であることに変わりはないようだ。

 泊まった民宿でクルマを借りた。 宿のオヤジさんは言った。 「駐車するときは、暑いからクルマの窓は閉めなくていい。 鍵もつけっぱなしでいい。 泥棒なんて、この島にはいないから」
 だから、島に滞在していた5日間、言われたとおり、ずっとそうしていたが、何も起きなかった。(おかげで、東京(騒がしい23区の方の)に戻ってから、しばらくの間、クルマをロックするのにひどく煩わしさを感じた)
 こんなところに警察などが果たして必要なのだろうか。 島の中心、三根地区には八丈島警察署の立派な建物がある。 島の各所には、真新しくて小奇麗な駐在所が設けられている(”駐在さん”の姿は5日間に1度も見なかったが)。
 彼らは毎日、何をして過ごしているのだろうか。
 島の人たちにきくと、「何してるんですかねえ」と言って、ニヤニヤ笑う。 彼らにも、ある種のミステリーであるらしい。 だが、いくつかの答えはあった。
 「酔っ払い運転の検問は、夜ではなく早朝にやる。 二日酔いを捕まえるんだ」
 「警察の取り締まりは、酔っ払いを除けば、シートベルト着用くらいかな」
 「警察官の転勤時期のあと1,2か月は新任が張り切って、取り締まりが厳しいよ」

 二日酔いとシートベルトの取り締まりだけでは、警察の存在意義を認めるわけにはいかない。
 なにしろ、人口8200人の八丈島で、年間(2009年)の人身交通事故はわずか10件(八丈島警察署ホームページ)。 比較のために人口1000人当たりの年間発生率に換算すると、1.19件。 ちなみに警視庁警察署索引でたまたま隣りに並んでいる八王子警察署管内では7.9件。 八丈島は、その7分の1。
 八丈島にクルマ泥棒がいないわけではない。 だが、昨年1年間で3件。 これも八王子と1000人当たりの発生率で比べると、7.9対0.36. わずか22分の1。 威張ることもないが、車上狙いだって、ちゃんと存在する。 だが、昨年はたった2件。
 車上狙い2件という数字は、限りなくゼロに近い。 統計的意味があるとは思えないが、八丈島警察署ホームページは、「車上狙い施錠別割合」として「施錠なし100%」という”統計数字”を掲載し、さらに、熱心な仕事ぶりを強調するがごとく、「鍵かけロック運動推進中」とうたっている。 冗談だろ、たかだか2件のために。
 交通事故にしても犯罪にしても、発生数が絶対的に少ないのだ。 まさか、警察も含め誰だって、安全が警察の努力のおかげとは思っていないだろう。 クルマで1周2時間ほどの島で、悪いことなどやる余地はないし、離島から逃げ出すリスクを考えれば犯罪者には割が合わない。
 平和すぎる島の警察官は可哀そうだ。 犯罪者を捕まえるのが仕事なのに、犯罪者がいないのだから。 魚のいない池で釣りをしているようなものだ。
 とはいえ、仕事のない警察官に給料を払い続けることが税金の無駄使いだと決め付けるのは難しい。 いつか何かとんでもないことが起きる可能性は誰も否定することができない。 そのための保険と考えることはできる。 
 ただ、問題は危険発生の確率だ。 掛け捨ての保険は安全を担保できても高くつく。 
 残念ながら、八丈島で警察は自分たちの役割を住民たちに十分納得してもらっていないように思える。  

 もっとも、警察自体がそんな努力をしたことはないだろう。 人のいるところ犯罪あり、犯罪のあるところ警察あり、という性悪説を基盤とする組織なのだから。