2010年6月9日水曜日

心優しい中国人


 ”ナマ”の中国人を初めて見たのは、1980年代、ネパールと中国領チベットの国境だった(ナマというのは、日本や東南アジアに住む華僑や台湾人などではなく、本土に住む中国人という意味だ)。


 カトマンズからヤマハのレンタル・バイクで北へ向かった。 ヒマラヤの山ふところを縫う未舗装の道路を数回転倒しながら数時間。 たどり着いたところが国境だった。


 ネパール側の検問所から中国側の検問所までは、谷川をはさんで100mほど。 大きな中国語の看板には「友誼関」、つまり「友情の門」と書かれていた。 写真や映像でしか見たことのなかった青い人民服を着た数人の男女が、こちらに顔を向けていた。


 そこで、「友情」の意を表明するために、彼らに手を振ってみた。 すると、なぜか顔をそむけた。 さらに、大声で「ニーハオ!」と、3つしか知らない中国語のひとつを叫んでみた(あとの2つは、ウォーアイニーと謝々だから、この場にはそぐわない)。 だが、反応はなし。


 そむけた顔は感情を殺したような表情を保ち、彼らは「友情の門」の後ろの小さな建物に消えていった。 なにが「友情」だ。 クソ食らえ。


 最初に遭遇した中国人の印象は最悪だった。 そして、それ以降、何度か中国人との接触があったが、印象はさして改善されなかった。


 1989年、天安門事件の直後、初めて中国へ行った。 このとき驚かされたのは、北京の雑踏で人とすれ違うとき、中国人はからだを半身にしてよけるという習慣がないことを発見したことだ。 どうするかというと、まるで喧嘩を売るようにぶつかるのだ。 上海のホテルでは、エレベーターに乗ろうとする人がいても、すでに乗っている中国人は決して<開>のボタンを押して待ってあげるということをせず、ニヤニヤしているだけだった。


 その後の経済発展で、世界各地で騒がしい中国人観光客が目立つようになった。 彼らのマナーはどうにもいただけない。 結局、右傾化する日本社会で見られる反中国感情には反発しつつ、今まで、中国人をどうしても好きになれずにいた。


 だが、最近、中国人はどんなにマナーが悪くても、気取った日本人より、はるかに人間的だと感じさせられる光景に出会った。


 きっと、ラオックスあたりで大きな買い物をした中国人旅行者たちだったのだと思う。 山手線の秋葉原駅から、どやどやと乗り込んできた。 日本の駅前商店街の古臭い洋品店で売っているような野暮の骨頂といった服装の男たちが10人ほど。 集金人の持つような黒いショルダーバッグを下げているのも同じ。 例のごとく、大音響の会話。 


 その1人が空いた座席をみつけて座り、立っている仲間と夢中で会話を続けていた。 だが、すぐそばに日本人の老婆が立っているのに気付くと、さっと立ち上がって席を譲った。 他人のことなど意に介さない連中だという固定観念が、突然壊された。


 老婆の前には、きちんとした身なりのOL、サラリーマン風の男女が座っていたが、当然の権利とばかりに平然としていた。 あるいは、とぼけていたのか。


 世界で顰蹙を買っても心優しい人々、見てくれは大事にするが心貧しい人々。 人間としての底力が違うのではないか。 たった1回見ただけの光景だから、これだけで、すべてを判断してはいけないのだが…。