2013年2月21日木曜日

警官がマージャンやって何が悪い!!



 最近、愛知県の交番で、警察官が勤務中に賭けマージャンをしていたというニュースが新聞やテレビで報じられた。 以下は、その内容(サンスポより)。

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 愛知県警関係者によると、同県警の巡査部長ら複数人が1月に豊田市美里にある豊田署御立(みたち)交番の一室で、現金を賭けてマージャン賭博をした疑いが持たれている。巡査部長らは「現金は賭けていない」と否認しているという。

 巡査部長らは全員が交代制の交番勤務員で、3日に1度、8時間の休憩を含めて24時間の勤務に就いていた。御立交番には通常2、3人しか常勤者はいないが、マージャンをする際には近隣の交番から、別の署員らが合流していたとみられている。いずれも勤務中で、制服を着たままだったという。1日当たりの賭け金は、数千円だったようだ。

 県警では、署員らが常習的に賭けマージャンを繰り返していた可能性もあるとみて、関わった人数や賭けた金額などについて調べるとともに、関係した署員らの処分を検討している。

 別の署に勤務する警察官が交番に立ち寄った際、署員らがマージャンをしているのを見つけて発覚した。

 御立交番は豊田署管内に18ある交番の中では中規模で、豊田市中心部にあるものの、豊田市駅前交番などに比べると取り扱う事件などの件数が少ないという。
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 ニュース・メディアの報道ぶりは、「警察官が賭けマージャンをやるとはけしからん、しかも勤務時間中に」というところに集約される。 愛知県警は、関係した警察官の処分を検討しているという。

 なんとも違和感のあるニュースだ。 警察官のどこがいけないのか、さっぱりわからないからだ。

 第1に、このニュースを報じた記者たちは、勤務中に賭けマージャンなどやらない清廉潔白な社会の木鐸でもなんでもない。 

 さすがに近ごろは見られない光景になったが、事件記者と呼ばれる連中は、警察署の記者クラブで、事件、事故の発生に備えて待機している間、朝から晩までジャラジャラと大きな音をたてて賭けマージャンをやっていたものだ。

 古き良き時代だった。 警察署を訪れる一般市民もロビーで、その音を耳にしていたが、なにも問題は起きなかった。 記者とはヤクザな連中で、いつも斜に構えて権力の悪を暴こうと窺っているのが本来の姿だった。 若い交番オマワリの賭けマージャンなど歯牙にもかけなかった。 事件記者がこんなニュースを報じるようになったのは、時代がどんどん退屈になっていることを象徴しているのだろう。

 だが、第2に、なぜ警察官が勤務中に賭けマージャンをやっては、いけないのか。 日本社会の常識では、普通のおとながカネを賭けないマージャンをやる姿など想像できない。 警察官が記者たちと同じように、ひまつぶしにマージャンをやっていけないわけがない。 そして、彼らもおとなだ。マージャンをやれば、給料が安くても多少のカネは賭ける。

 しかも、彼らは健気ではないか。 マージャンをやっているときも制服を着ていたのだから。 110番通報があれば、直ちに飛び出せる態勢を整えていたのだ。 報道の中には、「制服を着ていたのがけしからん」というのがあったが、交番の中で勤務中に私服に着替えていたら、もっとおかしいし、いざというとき直ちに出動することなどできるわけがない。

 市民生活を命懸けで守る警察官が多少の息抜きをするくらい許そうではないか。 そんな寛容さが失われていく社会の方が、はるかに恐くはないか。

2013年2月19日火曜日

なんのための防衛駐在官増員



 1994年、当時のアルジェリアは内戦真っ盛りだった。 自由選挙でイスラム政党が第1党に躍進したが、軍はこの選挙結果を拒否し、軍事クーデターによる政権を樹立した。 これに反発したイスラム勢力が軍政打倒を目指し武装闘争を開始した。 

 イスラム勢力は、軍政の国際的信用を失墜させるために、アルジェリア国内で外国人を標的にしたテロを活発化させ、外国人ジャーナリストも標的となった。 武器は銃かナイフ。 首都アルジェの街で頻繁に襲われた。 それでもジャーナリストたちは、歴史の目撃者となるために、危険な通りを命懸けで歩いた。

  おそらく、ひどくかっこ悪い取材ぶりだった。 なにしろ、どこからゲリラが襲ってくるかわからないので、常に目をキョロキョロさせ、道路の建物側にからだをくっつけるように身を寄せ、なかば横這いで歩いていた。 日本の通信社のF記者は、この姿を「アルジェのカニ歩き」と言って、自分自身をからかっていた。 「フクチャン」の愛称でみんなに好かれていた彼は、アルジェでは無事だったが、のちに赴任した平和なニューヨークでストレスが溜まって死んでしまった。

 このアルジェリア内戦のころ、駐アルジェ日本大使館はどんな活動をしていたのか。 見事に何もしていなかった。 危険を理由に外出せず、大使館内にこもっていた。 致し方なく外出するときは、米国製の防弾車に乗り、武装警備員を同行させた。 

 ”ここは地の果てアルジェリア~~”  そのころ、かの古典的歌謡曲「カスバの女」は、大使館内のカラオケでは、誰もが歌いあき、聴きあきてしまったそうだ。

 もちろん、大使館の最重要任務である情報収集などできるわけがない。 したがって駐在する意味はまたくなかった。 唯一の情報収集活動と言えるものは、他国の大使館と横並びで出国するために、こそこそと様子をうかがうことだった。 日本を遠く離れても、日本の役人は日本の役人なのだ。

 2013年1月16日アルジェリアの天然ガス精製プラントをイスラム武装勢力が襲い、アルジェリア軍が逆襲した。 この事件で、人質にされた日本人10人が死亡した。

 この事件以降、日本では、とくに、国会や首相官邸周辺で、軍事情報の収集を充実させるために、大使館の防衛駐在官を増強すべきだという主張が強まっている。

 この主張の論理はよくわからないが、どうやら、大使館に軍事情報の収集・分析を専門とする防衛省出身の防衛駐在官を増やせば、今回のような事件が起きた場合、より正確な情報をより速やかに入手できるという考え方のようだ。

 もし、そうだとしたら、単純すぎる素人考えか、何を目的にしたかわからないが、嘘八百だと思う。

 なぜなら、第1に、防衛駐在官といえども、大使館勤務中は外務省支配下にあり、1人の外交官という身分になる。 つまり、危険な事態になっても大使の命令に従って、大使館内に籠もり、情報収集のために勝手に外出などしてはいけない。 

 第2に、防衛駐在官の普段の情報収集活動というのは、他の外交官と同じで、新聞やテレビなどのマスメディアが流すニュースを丹念に拾うことで、スパイ映画のように独自の情報源から秘密情報が流れてくるようなドラマティックな場面はほとんどない。 したがって、情報収集量を増やしたいなら、防衛省よりも海外勤務に慣れた外務省の職員を増やした方がいいかもしれない。

 第3に、防衛駐在官の最も重要な仕事は、他国の駐在武官たちと親密に付き合うことで、駐在官が独自情報と称している情報のほとんどは、武官コミュニティの中を伝言ゲームのように、ぐるぐる回っているものがほとんど全てと言っていい。 彼ら、military attache たちは、なぜか、どこの国に行っても親密なコミュニティを形成し、胸に勲章をぶらさげたパーティを頻繁に開く。 おそらく、そうやって、自分たちのレゾン・デートルを確認しあっているのだと思う。 

 ただ、防衛駐在官を含め、武官と呼ばれる人たちは、なぜか皆、人が良くて、心根が真っ直ぐで、概して酒も好きなので、つきあっていて楽しい。 だから、ここで武官の悪口を言う気など毛頭ない。

 問題は、何か、わけのわからない彼らに対する買いかぶりが、意図的に進行しているように思えることだ。 

 いったい、それは何なのだ。 政治的なたくらみが臭わないか。

2013年2月12日火曜日

2020オリンピックはイスタンブールで



 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの著作「歴史」は、当時のギリシャ世界を記述したものだが、地理的には、黒海とエーゲ海を結ぶボスポラス海峡一帯に、かなりの重点を置いて描いている。 古代ギリシャ世界とは、実は現代のトルコのほとんどを含んでいることがわかる。

 古代ギリシャ時代、海峡の西がヨーロッパ、東がアジアと呼ばれるようになり、以来、この細長い海峡がヨーロッパとアジアの境界線となった。 この美しい水の景観を見下ろす都市はコンスタンティノープルと名付けられた。 じっくりと醸成された歴史をそのままに、やがてイスラムの風味が加えられ、現在の蠱惑的な街イスタンブールへと豊潤に熟していった。

 ボスポラスに面したオープン・レストランは夏がいい。 水を加えると透明な液体が白く濁るアニス酒「ラクー」のグラスにアイスキューブをひとかけら入れる。 爽やかなラクーの香り、それに、海峡で獲れた小さなカタクチイワシのフライ「ハムシ・タヴァ」。 レモンを絞る。 地中海からの海風がスパイスになって、ボスポラスの味を醸し出す。 そこには、数千年の歴史が詰まっている。

 海峡には、自動車専用の2本の吊り橋が架かっている。 毎年、秋の1日、クルマの通行が止められ、市民参加の「ユーラシア・マラソン大会」が開かれる。 名称のスケールの大きさがいい。 アジア側をスタートし、ボスポラス海峡を渡って、ヨーロッパ側にゴールする。 アジアからヨーロッパへ、ボスポラス海峡を見下ろし、自らの足で渡る感動がたまらない。

 この土地は、日本などというクニが誕生するずっと前から、世界をつなぐ十字路だった。 そして、おそらく今もそうだ。 発展するイスラム世界を代表するからだ。 9・11以降、異なる宗教・文化・人間が、互いにぎこちなさを感じるようになった。 イスタンブールは、長い年月にわたり、そういう差異を受け入れないにしても、認めあい、折り合いをつける歴史をつむいできた。

 今年、2020年オリンピックの開催都市が決まる。 東京もイスタンブールも立候補している(もうひとつの都市はマドリッド)。 この時代の世界、東京でオリンピックを開催しなければならない理由は意味不明だが、初のイスラム都市での開催となるイスタンブールには大いなる意味がある。 日本外務省によれば、トルコは非常に親日的な国だそうだ。 日本人もトルコを大好きだという。 そうであれば、日本人は東京など見捨て、イスタンブールでのオリンピック開催を、そろって応援しようではないか。

2013年2月8日金曜日

女子柔道へエールを送ろう



 日本人のどれだけの人々が本当に驚いているのだろうか。 実は、誰もが身近で見聞きし、知りすぎるほど知っていた醜悪な光景だ。 われわれ日本人には当たり前すぎたことが、なぜ突然、大きなニュースになったのだろうか。

 全日本女子柔道や大阪・桜宮高校バスケットボール部で明らかになった選手に対する指導者による暴力のことだ。 従来見て見ぬふりをされていたことが問題視されるようになったのは、明らかに、時代が変わったからだろう。

 かつては、「かつて」というのはどこまで遡るのか、よくわからないが、学校生活の中で、体育会系部活の暴力は、日本で生まれ育った日本人なら、誰でも日常茶飯事のこととして知っていた。 よほど度が過ぎなければ、黙認されていた。

 体育会系が幅を利かせた国士舘大学の学生は、東京・世田谷の三軒茶屋を支配する暴力団みたいなものだった。 警察だって黙認していた。 普通の女子学生が入学して普通の大学に見えるようになったのは、20世紀も終ろうとするころだった。

 日本のスポーツ選手が、無論、例外はあるが、おおむねバカにみえるのは、長いあいだ温存されていた異常で特殊な暴力支配世界に生き、自由な思考をする訓練をしてこなかったからであろう。 種目によって、バカさ加減、暴力度はかなり異なるが、ここではそこまで言及しない(それに、知性と教養のあるアスリートだって、もちろん存在する)。

 女子柔道選手たちが、指導者の暴力、ハラスメントを告発したのは、日本のスポーツ史上、革命的な出来事と言っていいだろう。 おそらく、告発された側は、まだ罪の意識を十分感じていない。 内心、告発を憎々しく思っているはずだ。

 柔道以外のスポーツ種目の団体・組織も反応はにぶい。 これをきっかけに、積極的に自ら内部浄化に乗り出すべきなのに、彼らは知らんぷりを決め込んでいるようにみえる。

 スポーツ団体幹部というのは、おおむね政治的には単細胞の保守派だ。 保守系政治家からすれば、こんなに操りやすい連中はいない。 大いに利用して、オリンピックを招致すれば、大喜びで言うことをきいてくれる。 国会議員にでもしてやれば有頂天になる。

 東京オリンピックというのは、こういうシステムの中で推進されている。 バカものたちにカネを使わせ、スターに祭り上げる茶番劇。 それによってナショナリズムを煽り、反動的保守支配を固めようとする政治的陰謀。

 女子柔道選手たちは、単に暴力を嫌悪しただけだったのかもしれない。 だが、彼女たちの意図にかかわらず、日本の支配体制の暗部を暴くという禁じ手を仕掛けることになったのだ。 この技は、一端仕掛けてしまうと禁じ手ではなくなってしまう可能性がある。 しかも大津波に育つ危険性を秘めている。

 スポーツ新聞や週刊誌のスキャンダラスな報道に引きづられてはいけない。 本質的問題から目をそらそうとする姑息な手口なのだ。

 注意深くみつめ、目をそらせないでいよう。