2011年5月21日土曜日

ジャンクフード




 インドネシアの村では、ニワトリが飛ぶ。 2,3mの高さの木の枝へ軽々と舞い上がる。 日本で見慣れたニワトリより小柄で痩せている。 市場に行くと、生きたまま売られている。 ブロイラーと比べれば、限りなく野生に近いトリと言えるかもしれない。

 これがインドネシア伝統のフライドチキン、「アヤムゴレン」になる。 数種類のスパイスで下味を作って揚げたアヤムゴレンは引き締まった肉と深い味わいの逸品だ。

 1983年、首都ジャカルタ中心部メンテン地区の繁華街アグス・サリム通りに、ケンタッキー・フライドチキンの店KFCがインドネシアで初めてオープンした。 典型的ジャンクフードのぶよぶよしたブロイラーのフライを、アヤムゴレンに親しんでいたインドネシア人が受け入れるとは思えなかった。 ところが、かなりの人気になってしまったのだ。

 当時のインドネシアは現在につながる経済発展は動き出しておらず、貧富の差は絶望的な大きさで、ケンタッキーといえども庶民には高嶺の花だった。 結局、あの人気は、チキンよりも、金持ちたちが目新しい”アメリカ文化”を味わうために群がったことで成立したのだと思う。

 そして、経済発展で庶民にも”文化”を味わう余裕が生まれ、今では、ぶよぶよチキンの店が地方都市にまで進出している。 アヤムゴレンという素晴らしい伝統料理がありながら、なぜ醜悪なケンタッキーが好まれるのか。 この背景には、Americanization という名のglobalization という我々が考えなければいけない問題が潜んでいるのかもしれない。

 これは日本でも同じことだ。 実は、きのう、ケンタッキーは昔より美味くなったと誰かに言われ、10数年ぶりにケンタッキーの店に行って、クリスピー、つまりカラッと揚がってパリパリという触れ込みのフライドチキンを注文して食べた。 だが、相変わらず、クリスピーとは言えず、しかも、見事にジャンクフードであり続けていた。 トイレに行って吐きたくなった。

 自作の和風唐揚げの方がはるかに美味い。 鶏肉を酒、醤油、にんにく、胡椒に漬け、片栗粉をまぶして揚げる。 味がしみ込み、パリンパリンのクリスピーが出来上がる。

 昼時のケンタッキーの店は、若者のグループや家族連れで賑わっていた。 だが、よく見れば、誰も美味そうに食べている顔ではなかった。 とりあえず安い食い物で腹をふくらませているという無表情さだ。

 貧しいからケンタッキーに行くのか、ケンタッキーに行くから心が貧しくなるのか。 あのまがい物のハンバーガー、マクドナルドと同様、食べると気持ちが萎えるKFCには、もう2度と行くまい。  

2011年5月17日火曜日

原発・ユッケ・バンジージャンプ




 昔から度胸試しの儀式だったとされるバンジージャンプを、商業娯楽スポーツとして確立したのはニュージーランド人だ。 彼らに言わせると、バンジージャンプは世界で一番安全なスポーツだそうだ。 死亡率だか事故発生率で計算するとそうなるという。 ちなみに世界一危険なスポーツはスノーボードになるそうだ。

 身がすくむような高所から飛び降りることが安全だと主張するには、からだに結ばれたゴムのコードが絶対に外れない、絶対にちぎれない、伸びすぎたり長すぎたりして地上に脳天を激突させることは絶対にない、等々の信頼できる根拠が前提になろう。

 しかし、どんなに度胸があっても、今の日本人がバンジージャンプに挑戦することはない。 どんなにもっともらしい安全保証でも信じない方が身のためだという猜疑心を持つ必要性を学んだからだ。

 安全神話が捏造されていたことが判明した原子力発電、そして殺人ユッケの発覚。 これで十分だ。

 日本人も、個人が自分の頭で考え判断して生きていくことを学ぶ機会を得た。

 新幹線が暴走することはないのか?

 魚の刺身を食って死ぬことはないのか?

 タワーマンションがぱたりと倒れることはないのか?

 レインボ-ブリッジがクルマの重みで崩壊することはないのか?

 富士山大噴火はまだか?

 自衛隊はクーデターを起こさないのか?

 北朝鮮の日本への核ミサイル攻撃はないのか?

 大彗星の地球衝突は?

 宇宙人の襲来は?

 とりあえず、自分の配偶者や恋人を信頼している根拠を(もし信頼しているなら)冷静に吟味するのは、猜疑心を研ぎ澄ませる手ごろな訓練になるだろう。

 それにしても、原発よりバンジージャンプの方が安全だと思う。

2011年5月3日火曜日

ビンラーディンの死




 白土三平の壮大な歴史劇画「忍者武芸帖 影丸伝」は、戦国時代を舞台に、忍者・影丸が農民一揆を指導し、支配層へ苛烈な戦いを挑む物語だ。 影丸は殺されても殺されても生き返る不死身の存在である。 この不思議な現象によって白土が描くのは、同じ社会的矛盾が続くかぎり、それを是正しようとする民衆の行動は必然であり、とどまることがないという史観だ。

 オサマ・ビンラーディンがついに、米国のパキスタンでの軍事作戦によって殺害された。

 ビンラーディンがイスラム大衆の全面的支持を受けたことはない。 だが、彼の無差別殺人をも厭わない狂気は別にして、中東イスラム世界の人々は反米意識を共通して分かち合っている。 そこに、ごく少数の若者がテロという極端な行動に走る土壌がある。

 民衆との接点がないビンラーディンは影丸ではない。 だが、ビンラーディンが死んでも、米国が世界、とくに中東地域の秩序作りを主導するかぎり、彼の思想に共鳴しテロリスト願望を抱く若者たちは、影丸のごとく決して消え去ることなく再生産されていくであろう。

 いちどきに3000人を殺した9・11テロを遂行したビンラーディンの死は、歴史的出来事として米国民を歓喜させた。 だが、テロは決してなくならない。 人間が生きているかぎり癌の発病を根絶できないように、価値の多様性に鈍感な世界覇者・米国の存在そのものが、テロを生んでいる。   

2011年5月1日日曜日

Canonは大砲じゃない





日本を代表するカメラメーカーCanonの社名は、1935年、世界で通用するブランド名として採用された。 キリスト教の「聖典」「規範」を意味し、精密工業にふさわしいというのが理由とされる。


 英語で1字違いのスペルcannon(画像下)は、発音は同じだが、意味がまったく異なる。 戦場で昔から使われてきた代表的な大砲のことだ。


 近ごろ、野生動物の撮影のためと称して、兵士のように迷彩服で身を固め、長大な望遠レンズを担いでいるマニアックな人々を見ると、Canonは、社名をCannonに変更してもいいのではないかと思ってしまう。 なぜなら、あの望遠レンズは、命を脅かす武器にもなるからだ。 


 川崎市・平間のベテラン写真家K氏が語るカメラ・フリークたちの生態はおぞましい限りだ。


 この冬、東京・大田区の多摩川河川敷にトラフズク(画像上)が棲みつき、カメラを担いだ人間たちが群がった。 彼らは、夜行性のトラフズクが樹上で休んでいる昼間、情容赦なく望遠レンズ=大砲の集中砲火を浴びせた。 K氏によると、動物へのいたわりの気持ちがかけらもない連中の存在は、今に始まったことではない。


 約10年前までは、多摩川の川崎側でトラフズクを見ることができたという。 当時も、その存在が知れ渡り、カメラ人間たちが群がった。 昼間は眼を閉じて休んでいるトラフズクを長い棒でつついて起こして、眼を開けた写真を撮ろうとするヤツまでいたと、K氏は憤慨する。


 このころは、コミミズク (画像中)も多摩川に棲んでいた。 コミミズクは昼間も行動するので様々な絵柄の写真を撮れる。 狙い目は、河川敷に巣食う野ネズミを急襲する瞬間だ。 だが、水辺ぎりぎりまでゴルフ場の芝が敷き詰められた河川敷の餌場は限られている。 ところが、狼藉者たちは、ずかずかと餌場に入り、ネズミの巣穴の上に立ってカメラを構える。 これではコミミズクがネズミを捉えることはできない。


 K氏は「鳥の気持ちを少しは考えろ」とたしなめた。 すると、その相手は「オレは鳥じゃないからわからん」とうそぶいた。 それでもK氏は、群がる無法者たちに丁寧に説明して、餌場の外で撮影するというルールだけは守るようにさせた。
 それからしばらくして、その餌場は多摩川の大水で冠水した。 以来、川崎側ではトラフズクもコミミズクもみかけなくなったという。


 ちょうど、聳え立つCanon本社を眺めることができるあたりの出来事だ。 Canonが武器商人でないなら、カメラを野生動物迫害の兵器にさせない努力をすることが企業責任というものだろう。