2017年8月18日金曜日

多摩川サイクリング


 膝痛でジョギングができない。 テニスもダメだ。 からだを動かさないでいると、どんどん太っていきそうだ。 仕方ない。 食べるのも飲むのも好きで、運動をしなくても飲み食いの量は減らないのだから。

 というわけで、久しぶりに自転車に乗り始めた。 膝に負担がかからない有酸素運動で体重増加を食い止める手近なスポーツは自転車しかない。 ホームグラウンドは多摩川土手のサイクリングコース。 羽田空港あたりの河口から、玉川上水の起点で知られる羽村までの多摩川両岸。 全コースを往復すれば100キロ以上になるが、通常は往復30~40キロ程度をのんびり走る。 ママチャリの通学高校生にすいすいと抜かれていく。 体重減に必死のデブおやじにもかなわない。

 多摩川のサイクリングコースは、「青少年サイクリングコース」という看板をずっと掲げていたが、近ごろは消えてしまった。 ひとつには、サイクリングをするのが青少年ばかりでなく中高年も多くなったためだろう。 昭和30年代に、サイクリングの歌謡曲があった。 その歌のイメージは、若者たちが颯爽と自転車に乗る姿だが、今では団塊世代ジジババの姿の方が多いかもしれない。

 もうひとつの理由は、そもそもサイクリングコースと呼ぶのは間違っていると役所の誰かが気付いたからだろう。 サイクリングコースといいながら、自転車専用道路ではなく、ウォーキングやジョギングの人もいるし、通勤通学にも使われている。 そして、この混在ぶりが、ちょっと怖い。

 土手のコースは幅3メートルほど。 自然にできたルールは人も自転車も左側通行。 だが、誰もがこれを守るわけではない。 右側を歩く腰の曲がったお年寄りもいるし、道幅いっぱいに横並びとなって、おしゃべりに夢中になっているオバサンたちもいる。 

 自転車に乗って、このコースを走っていると、人間の行動というのは実に予測不能だということがわかる。 真っすぐ一人で歩いているのに、突然止まったり、突然曲がったりする。 何か考えているのかもしれないし、道端に百円玉が落ちているのをみつけたのかもしれない。 自転車で歩行者を追い越すときは常に緊張を強いられる。 だから、かなり遠くからでも警告のベルをチリンチリンと鳴らすようにしている。 

 最近は、歩きスマホが危険を増幅している。 とくに怖いのはヘッドフォンを装着している歩きスマホだ。 歩行者ばかりでなく、ジョガーやサイクリストも要注意だ。 後ろからの警告がまったく聞こえない。これでは都心の交差点とさしたる違いがないではないか。

 のんびりサイクリングをしているときは、爽やかに風と戯れていたいものだが、気が付けば、世間の縮図みたいなところに入り込んでいたのだ。 大都会周辺では、自然と遊ぶサイクリングは、もはや不可能になっているのかもしれない。 最近、自転車事故の傷害保険などというものに入ってしまった。 年間保険額は1960円という安さだが、なんだか、自分がちまちまと生きている気がしてきた。


2017年8月16日水曜日

ブログ再開

1月戸狩温泉
2月富良野
5月オマーン
6月鳥取砂丘

6月出雲大社
6月広島
6月下蒲刈島
今年のブログは、1月にタンザニアに行ったあとに2本、3月に1本。 ひどく怠惰になっている。 たかだかブログ1本をまとめるだけの集中力、持久力がなくなっているのかもしれない。 このままでは、物事への関心、好奇心がどんどん薄れて、ぼんやり生きているだけの世捨て人になりかねない。

 そう思って、ブログ再開を試みてみることにした。 どこまでできるか。

7月石垣島。 
今年は、タンザニアのあとでも、1月には毎年恒例の戸狩温泉スキーツアー、2月にも富良野へスキーに行った。

 そして、5月には中東で唯一訪れたことのなかったオマーンへ行くという個人的イベントがあった。 政治的混乱が当たり前の中東で、オマーンは昔から落ち着いて平和な国だった。 海や山が美しいことは聞いていたが、ニュースのないオマーンをジャーナリストが訪れる機会はそうあるものではない。 日本からの観光客も非常に少ない。 格安航空券、格安ホテルを探してみると、なかなかいい旅行ができることに気付き行ってみたら、想像通り素敵な国だった。 自然の景観が美しいばかりでなく、人々の心が優しかった。


 6月には、日本国内でも”初めてツアー” をした。 鳥取からレンタカーで出雲大社、広島、瀬戸内海の下蒲刈島を回った。 どこも初めての土地で好奇心をそそられたが、この旅行は失敗だったかもしれない。 たった3日間だったので、土地の人たちと接する機会が十分なかったし、居酒屋探索も物足りなかった。 広島が大都会なのには驚いたが、広島人と戦争を語る時間はなかった。

 7月の石垣島は、妙な味わいのある旅行だった。 石垣の人たちはよそ者をすんなりと受け入れてくれる。 道端で会ったさとうきび畑の農民、田舎町で食堂を経営する女性、いろいろな人が初対面なのに自分の身の上話をしてくれた。 本州からの移住者が多い理由はこんなところにあるのかもしれない。

 こうして振り返ってみれば、旅に関してだけでもブログの材料は十分あった。 世の中の動きに目を向ければ、以前から先天性虚言症と疑っていた安倍晋三の政治基盤にやっとほころびが見えてきた。 米国には、とんでもない大統領が登場して世界に不安が広がっている。 中東ではシリアが注目されているが、独裁色を強めるトルコのエルドアンが気になる。 中国は間違いなく、21世紀の世界で揺るぎない地位を築くだろう。 この新現実を受け入れられない日本人はどうなるのだろう。

 ブログ再開の意欲がどこまで持続できるかわからないが、力まず、のんびりとブログを綴ってみよう。