2013年11月19日火曜日

フィリピンの友人たちを助けよう


 フィリピンで最大のサトウキビ生産地ネグロス島。 中心都市バコロドから島の東側を海岸沿いに路線バスで南下した。 午後遅い時間だった。 バスは終点の小さな町に着いた。 降りてホテルを探そうと停留所の付近を見回したが、うらびれた雑貨屋しかない。

 
 腹をくくって、砂浜で野宿することにして、サンミゲール・ビールと食い物の缶詰を買おうと1軒だけの雑貨屋に入った。 すると、たまたま店の中に、買い物に来た近所の男がいた。 背は低いがしっかりした体格の50がらみの男だった。

 多少の会話をかわすと男はいきなり言った。 「野宿なんかしないで、うちに来い」。

 男の家は、砂浜に面していて、かなり大きな建物だった。 訊けば、男は網元で、毎日、自宅の目の前に漁師のボートが着いて、釣った魚を降ろしていくという。

 すごい幸運。 その夜は庭先の煉瓦で作った囲炉裏で、新鮮な魚と貝を焼いて、たらふく食べて、きちんとしたベッドで寝ることができた。

 見返りを求めるわけでなく、見ず知らずの人間との会話を楽しむ。 そう、それが典型的なフィリピン人だ。 同じような親切と人の良さは、旅をしたフィリピン各地で経験した。

 深夜、マニラの歓楽街マビニ・ストリートを歩いていたら、タクシーが寄ってきて運転手が「遊びにいかないか」と声をかけてきた。 飲みにいくだけだから結構だと断ると、近くに馴染みのバーがあるという。 

 初めて会った下心満々のタクシー運転手と知らないバーに入る危険は承知していたが、それも一興と、お薦めのバーに入った。 ところが、そこは本当に、普通の安いカウンターバーだった。 運転手は一緒に飲みながら話しているうちに上機嫌になって、なぜか飲み代をおごってくれた。 しかも、酔っ払い運転だったが、タクシーでホテルまでカネを取らずに送ってくれた。 底抜けに気のいいポン引きだった。

 最近のことは知らないが、日本の男たちの集団買春ツアーが盛んだったころ、成田―マニラ間フライトの機内は品位のかけらもないスケベ男たちで溢れていた。 彼らは客室乗務員を「オーイ、ネエチャン」と呼んでいた。

 そんなケダモノたちの一人の心情を知る機会があった。

 独身。 日本では女たちに鼻も引っかけられない。 いつも冷たくあしらわれる。 あるとき誘われてマニラへのセックス・ツアーに参加した。 マニラでは、団体でバスに乗り、置き屋のようなところへ行き、女を指名する。 その女を連れて再びバスに乗ってホテルに戻る。

 
 男は女に惚れてしまった。 カネの関係とはいえ、日本の女が彼に示したことのない優しさで接してくれたからだという。 

 日本に帰ってからも彼女に会いたくてたまらなくなった。 だが、男は外国語がまったくできない。 一人で飛行機に乗って、彼女がいた置き屋を探す、などということは到底できない。 結局、再びセックス・ツアーに参加し、恋する女をカネで買うしかなかった。 彼女と会うために、何度も繰り返していた。

 
 こんなツアーの存在を許すべきではない。 だが、誤解を承知で言えば、フィリピン人のホスピタリティがあってこそ成立する悲しい純情買春物語だったと思う。

 フィリピン・レイテ島が未曾有の巨大台風に襲われ、既に4000人の死亡が確認されている(2013年11月19日現在)。 親切にしてくれた彼らに何かをして、お返しをしたい。 いつも明るい笑顔をふりまくフィリピン人が泣き叫んでいる姿をテレビ画面で見るのは堪らない。

 今、東京の街のどこでもフィリピン人と会う機会がある。 お父さんの行くパブでも、お母さんが買い物をするスーパーのレジでも微笑んでくれる。 とても身近な隣人たちだ。  3・11でも援助の手を差し伸べてくれた。 今度はわれわれが、せめて、ほんの少しのおカネだけでも送って、力になろうではないか。

2013年11月14日木曜日

化粧品メーカーが作る美の基準


 化粧品メーカーのポーラが、「美肌県グランプリ総合年間ランキング2013」なるものを発表した。 昨年2012年から始め、今年で2回目。 日本全国47都道府県の女たちの美肌度を調べ、順位を付けたものだ。

 トップは、2年連続で島根県。 ベスト10は、以下、2位石川県、3位高知県、4位富山県、5位山形県、6位宮城県、7位東京都、8位香川県、9位山梨県、10位愛媛県。

 島根のトップをはじめ、この順位を納得できるかどうかは別にして、すぐに出てくる好奇心は、「それじゃあ、ビリはどこ?」。

 ポーラの発表によると、ワースト10の10位は山口県、以下、9位広島県、8位京都府、7位茨城県、6位大分県、5位栃木県、4位静岡県、3位滋賀県、2位岐阜県。

 そして、”栄光”のワースト・ワンは群馬県。 ベスト10もワースト10も6県が去年と同じ顔ぶれになっている。 ちなみに、群馬県は昨年はワースト2だった。

 しかし、島根県が美肌No.1と言っても、たいていの日本人は、島根と鳥取が地図のどっちかわからないのだから、美肌15位の鳥取の女を見ても、「さすが島根の女」と感心するかもしれない。 東京の女は美肌7位になっているが、東京には日本中の人間が集まって混血が深化しているのだから、何を以って東京と言うのかわかったものではない。

 こんなランキングでも毎年発表して宣伝すれば、順位の上下に一喜一憂する現象が生まれるかもしれない。 きっと化粧品メーカーの狙いはそこにある。 そもそも、このランキングに信憑性はあるのか? 単にポーラ化粧品の都道府県別売り上げ順位なのかもしれない。 群馬県は実は、資生堂の牙城なのでビリにしたのではないか? 

 だいたい、美しさの基準を化粧品メーカーに決められてしまうのは不愉快ではないか。 いや、実は、化粧という行為自体がそういうものなのかもしれない。 女たちの知性と教養を盲目にし、商業的な美の基準を無自覚に追い求めさせる魔術。 

 そんなペテンに免疫力を持つ本当に美しい女に会いたいものだ。

2013年11月13日水曜日

深遠なるクルミ割り


 暇つぶしでネットをあちこち覗いていて、山梨県甲府市郊外、昇仙峡に近い辺りのリゾート・マンションが手ごろな価格で売りに出ているのが目に留まった。 それで、紅葉見物を兼ねて、クルマで現地に行ってみた。 結局、色々と気になることがあって、価格は安かったが購入は見送った。 もともと真剣に考えていたわけではなかったので、紅葉を楽しみながら帰途についた。

 途中、地元農家の婆さんが街道沿いで自作の野菜を売っていたのでクルマを停めた。 旨そうな太ネギ4本、大きな柿の実2個、キウィ2個、それに網袋に入ったクルミ500グラム程度を買った。 全部で800円。 安いものだ。

 うちに持って帰って、どうやって食べようかと戸惑ったのはクルミだった。 売ってくれた婆さんは、そのままナマで食えばいいと言ったが、硬い殻を割る方法がわからない。 日本に自生するオニクルミというヤツで殻は簡単には割れない。 試しに金槌で叩いたら、こなごなになって殻も実も飛び散ってしまった。 

 とりあえず、クルミの殻を割る「クルミ割り」という道具は、「クルミ割り人形」などというものがあるくらいだから、面白い工夫を凝らしたものがあるに違いないと思って、近所の百円ショップに行く前にネットで検索してみた。

 すると色々、安いのから高いのまで出てきた。 ところが、どれを選ぼうかとネット商品の「コメント」を見て困った。 あの硬い殻をうまく割れる「クルミ割り」がそう簡単にはみつからないらしいのだ。 たかがクルミの殻を割る単純な道具の奥の深さが、そこには滲み出ていた。 

 「クルミ割り」へのコメントのいくつかを紹介しよう。 

 「クルミを割ろうとしたらクルミを入れる部分(鋳物製?)が割れてしまいました。それも、最初の1個目でです。信じられますか。笑い話にもならない。」

 「道具よりクルミのほうが固いので、先に道具が割れます!炒った銀杏なら割れそうです。」

 「胡桃が粉々になる位何回も潰さないと実が取れませんでした。」

 「20個位使用したら、ひび割れしてもう使えません。購入して失敗しました。買ったクルミがまだ500個以上あり、違うタイプの物を買うことも検討しましたが、どうせ同じ様な結果だろうなと思うとクルミと、いっしょに捨てちゃって忘れちゃおうと思っています。」

 「これは久々に失敗した商品でした・・・。クルミのサイズと全然違う為、ガチっとクルミは挟めないし、全然割れないし・・・。完全なる設計ミスだと思います・・・値段が高いのに大失敗でした・・・。」

 「クルミの殻を割るのに購入したのですが、殻と一緒に実までつぶれてしまいます。器具としては、もっと工夫が必要です。 クルミ割りとして発売しているのは如何なものか」

 英語の”foolproof”。 「バカでも大丈夫」。 使い方を間違えようのない単純な道具のことだ。 例えば金槌。 何かを叩くしか使い道はない。 クルミ割りも実に単純な”機械”。 クルミを挟んでギュッと手で力強く握って割るだけだ。 ところが、こんな”バカの道具”がうまくいかない、というところが面白い。

 そこで、ネットには、「クルミの簡単な割り方」という色々な知恵が紹介されている。 フライパンで炒めたり、電子レンジで加熱したり・・・。 だが内容を熟読してみると、どうやら様々なアイディアのどれも十分満足できるものではないらしい。 You tube の動画にいたっては、「簡単」ではなく「困難」を紹介しているかのようだった。 結局、クルミ割りのうまい方法はわからず仕舞い。

 リゾート・マンションを購入するはずだったのに、クルミ割りの深遠さを学んで、秋の夜は更けていった。

2013年11月7日木曜日

ストーカーにならないために

(画像とブログの内容は無関係)
近ごろ、高齢者のストーカーが増えていると、朝のNHK番組が伝えていた。 番組の趣旨は、基本的には「困ったことだ」といったところか。 しかし、そう悪いことではないんじゃなかろうか。

 年寄りが元気になった証しに思えるからだ。 だとすれば、それは良いことだ。 世界には、スケベな年寄りがいくらでもいる。 イタリア政治への影響力をしぶとく維持している元首相シルヴィオ・ベルルスコーニは今年77歳だが、未成年買春で訴追されている。 こんな政治家を称賛はしないが、あきれるほど元気なジジイだ。

 歴史をちょっと遡って、元気なジジイの有名人と言えば、あのスエズ運河掘削を主導したフランスの外交官・実業家フェルディナンド・レセップスがいる。 運河が完成した1869年、64歳のとき21歳の女性と結婚し、なんと12人の子どもを作った。

 日本で高齢者のストーカーが目立つようになっているとしたら、きっと人間関係作りでボタンの掛け違いみたいなことが起きているのだと思う。 近ごろの若い女たちは、同年齢の男は幼稚で退屈、中高年のオジサンたちと話している方が楽しい、などと平気で口にする。 まあ、オジサン相手のお世辞でもあるだろうけど。

 
 オバサンたちも元気だし、老若男女入り乱れて楽しくやる時代になっているのは間違いない。 だから、いろんな形態の人間関係が生まれることになった。 オジサン×オバサン / オジサン×若い女 / オバサン×若い男・・・。 世代を超えた男と女。 友情×友情 / 友情×恋愛感情 / 反感×恋愛感情・・・。 楽しいけれど、結構複雑な組み合わせ。

 恋愛感情の表明とストーカー行為の境界線を引くのは難しい。 ジジ・ババといえども同じだ。 洗練された人間関係を楽しむには、痴性を知性で覆う微妙なさじ加減が必要にちがいない。 それを身につけるには、きっと経験を積むしかない。 さあ、みんなで頑張って練習しよう。 ストーカーにならないために。  

2013年11月2日土曜日

石川県土産の北海道産蕎麦を東京で食べる旅

 
 
 
 
 
 
 
  2009年5月8日、ゴールデンウイーク直後に、こんなブログを掲載していた。 以下はその一部。

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 純朴な都会人を狡賢い田舎者が騙して金儲けに精を出す”黄金週間”が今年も終わった のどかな5月の田園地帯の街道筋には、「農産物直売所」のノボリがはためき、地元農家の新鮮な収穫物が売られている。だが、「直売所」と名乗るにもかかわらず、都会のスーパーと同じで日本中の生産物もそこでは売られている。
 泥の付いたジャガイモを直売所で見れば、産地表示をチェックしないかぎり、誰だって、そこいらへんの畑で獲れたと信じてしまう。でも、この程度なら、まだ可愛げがあるかな?
 落花生で有名な千葉県内の「道の駅」では、堂々と格安の中国産落花生が売られているし、ブドウで有名な山梨県内の中央高速SAでは、チリ産の干しブドウが「巨峰の里」の名で売られている。

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 そう、わかっているのに、また、狡賢い田舎者に騙される純朴な都会人になってしまった。

 10月初めに石川県の金沢へ遊びに行った。 歴史を感じさせる雰囲気、美味い酒と肴に会話が楽しい金沢人。 楽しい旅だった。 それから1か月。 みやげに買った蕎麦を茹でて食べた。 

 有名な一向一揆が最初に起きたという石川県白山市の里にレンタカーで行って、地元の「道の駅」で買ったものだった。 袋の表には、「<加賀の国> 霊峰白山 国内産そば粉使用 山麓そば」と書いてある。

 味はまあまあ、普通の乾麺の味だった。 だから、200g(2人前)に420円も払ったのは、ちょっと高かったかな、と思った。 それで、蕎麦をすすりながら、何気なく袋を裏返して貼ってある内容説明の小さな文字を読んでみて、また騙されたのに気が付いた。
 原産地は「国産」となっていたが、「製麺地 北海道」となっていた。 白山市は、まるで地元産であるかのような包装をしている小賢しい販売者の住所が存在しているだけだった。 その名前もいかがわしい。 自分で打った蕎麦を売っているわけでもないのに、「そば工房 おきな」などと名乗っている。

  金沢くんだりまで飛行機で行って、北海道産の蕎麦を高い値段で買わされ、東京に持って帰って食う。 結局、これが楽しい旅の結末になってしまった。 素晴らしい「お・も・て・な・し」ではないか。 ナイーブになりすぎると、この国の旅は楽しむことができないのは、わかっていたのだが。

2013年11月1日金曜日

お控えなすって、”みずほ”でござんす


 みずほ銀行が暴力団へ融資していたことが大きなニュースになった。 お堅いと世間で思われている銀行員だが、実際は普通か、それ以上に生臭いみたいだ。 なんだか銀行員を身近に感じられるようになった。 そんなわけで、後学のために、みずほ騒ぎの記事をいくつかかき集めてみた。
 
 それにしても、こうした記事を読むと、日本資本主義は、安倍政権が自讃するほど盤石ではないような気もしてくる。


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<2013年10月14日J-CASTニュース>
   金融庁の業務改善命令によって暴力団員らへの融資が明るみとなった問題で、みずほ銀行の佐藤康博頭取自身も「報告を受けていた」という事実が明らかになった。 銀行が組織ぐるみで隠ぺいしようとしたとさえ思えるお粗末さだ。
  過去、みずほ銀行は不祥事のたびに「旧3行」の覇権争いがその原因と指摘されてきたが、その体質は治っていなかったらしい。
  2013年10月8日の記者会見で、暴力団員ら反社会的勢力に230件、2億円超を融資していたことを、西堀利元頭取(旧富士銀行出身)も現在の佐藤康博頭取(旧日本興業銀行出身)も知っていたことがわかったが、その融資を銀行で改めて審査するよう指示したのが西堀元頭取だったこともわかった。
   問題融資の情報を把握していながら、なぜ2年間も放置するようなことになったのか――。考えられるのが、自動車ローンの提携先であり、契約前の審査にあたったオリエントコーポレーションの存在だ。
   オリコは、みずほグループの一員ではあるが旧第一勧業銀行の出身者が社長に座る。そもそも、問題融資のきっかけはオリコにある。小口の提携ローンなので、銀行に当事者意識が欠如していたのは間違いなく、西堀元頭取ら、当時の経営陣は次回から契約を承諾しないようオリコに求めただけで、取引停止などの対応を取らずに先送りした。
   加えて、銀行内では「旧第一勧銀系が起こした問題なのだから、その関係者が解決しろ」といった、責任のなすり合いが起こったり、あるいは事態を把握した旧第一勧銀出身者が穏便に事態を収集しようと画策したりしたことも、旧3行の「覇権争い」が背後にあったと仮定すれば、容易に推察できる。
   そうこうしているうちに、西堀元頭取は2011年3月に引き起こした2度目の大規模なシステム障害で引責辞任。後任の頭取には塚本隆史氏(現会長、旧第一勧銀出身)が就いたが結果的に事態を先送りしていたようだ。
   経営統合したみずほ銀行は、不祥事が相次いだ。2002年4月、大規模なシステム障害が発生。08年7月には写真週刊誌が斎藤宏頭取(当時、みずほコーポレート銀行)の女性スキャンダルを報じた。また、11年3月には東日本大震災の義援金の振り込みが原因で、再び大規模システム障害を起こしてしまった。
   不祥事のたびに、旧3行の派閥争いが背景にあるといわれてきた。
   元銀行員で経営コンサルタントの大関暁夫氏は、今回の問題融資について、「経営幹部が臭いものにフタすらせず、見て見ぬふりをした」とみている。
   そのうえで、前出の大関暁夫氏は「経営幹部に、銀行の組織や出身銀行の立場を守るため、また自らのポジションを守るための『保身』が働いたのではないか」という。
   組織の中で声をあげれば、処理を任され、責任を負わされ、「面倒なことに巻き込まれる」といった意識が働く。役員というポジションゆえ、そんなリスクを率先して負いたくないのかもしれない。
   また、外資家金融機関での勤務経験のある国際経済アナリストの小田切尚登氏は、「問題の融資案件は、1件あたりは数百万円という小口のもの。元来、メガバンクは一流企業と取引する、エリート意識の高い行員ばかりです。小口の融資といって軽く見ていたところがあるのではないでしょうか」と指摘する。
   一般に融資案件は取引を停止するにしても、すぐに返済してもらえないなど対応が厄介だ。「このくらい(少額)なら、誰かが処理してくれる」「問題さえ起らなければ、いずれ取引(返済)が終わる」と思っていたフシもある。
   そもそも、2億円の小口融資を金融庁が検査することが稀だ。内部かどうかは不明だが、「通報者がいた」との見方は少なくなく、これも「旧3行」の内部抗争がもとになっているといった憶測も飛んでいる。
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<2013年10月18日ロイター通信>
 3行統合の弊害を指摘されてきたみずほフィナンシャルグループの体質を抜本的に変えようとしてきた佐藤康博社長が、暴力団向け融資の放置問題で窮地に立っている。
 傘下の2銀行を合併し、1バンク体制を構築した強力なリーダーシップで業績回復を図ろうとしたが、足元で展開されていた不祥事を未然に防ぐガバナンスの強さは行内に浸透していなかったかたちだ。金融庁が強く経営責任を追及する事態になれば、佐藤社長が変えようとしていた古い体質に「逆戻り」するリスクをはらんでいる。
<道義的責任から、経営責任へ>
「満月は欠け始めると、後は早い」――。みずほFGのある役員OBは、平安時代に権力を握り、わが世の春を謳歌(おうか)した藤原道長が詠んだ和歌になぞらえて、佐藤社長の現状を指摘した。
 今年7月にはグループ傘下のみずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併を実現させ、政府の産業競争力会議には唯一の金融界代表として参加し、存在感を発揮していた。3行統合の後遺症で、他行に比べコスト圧縮の対応が手ぬるいと指摘され、「3メガバンク中の4位」と揶揄(やゆ)されてきた業績も、足元では回復基調を示していた。「みずほの中興の祖として足場を固めていたはずだった。こんなことで足元をすくわれるとは」と、この有力OBは残念がる。
 暴力団への融資を放置してきた問題は、今月8日になって急展開する。この日、佐藤社長は問題の発覚後はじめて記者会見に臨み、これまで同グループが説明してきた事実関係を一転させた。
 佐藤社長は、取締役会に反社勢力との取り引きが報告され、自分自身も「知りうる立場にいた」ことを明らかにした。旧日本興業銀行出身で、国際業務や大企業取引を得意としてきたが、リテール業務に潜む反社会的勢力に対するリスク認識に抜かりがあったとの批判も出ている。
 この発言内容は「それまでの道義的責任から、自らに経営責任を生じかねさせない事態となった」(ライバル行役員)と、金融業界では注目を集めた。
<佐藤社長のリーダーシップ>
 佐藤社長が、持ち株会社のみずほFG社長に就任したのは2011年。東日本大震災直後の大規模システムトラブルに伴う人事刷新で、旧みずほコーポレート銀行頭取から、持株会社社長を兼務し、経営トップの座に座ることになった。「弁舌巧みで、発想も豊か。金融庁としても佐藤氏を推した」と、同庁関係者は話す。
 さらに傘下2行を合併させる1バンク体制を敷き、自らがCEOとして1トップに収まる体制も確立した。
 銀行は通常、企画部がお膳立てし、社内の関係者に根回して新たな方針を打ち立てるボトムアップ方式による意思決定が多い。だが、佐藤社長は自ら旗を振る「トップダウン経営」が信条。「側近も重用せず、自ら方針を立案して決めることもあり、企画部が後から慌てふためくこともある」(同行関係者)という。
 母体である旧日本興業銀行、旧富士銀行、旧第一勧業銀行の確執が金融界の「常識」と批判されてきたみずほの旧弊。旧3行のバランス人事の払しょくにも腐心し、今年4月の役員人事では副社長、副頭取7人を一気に退任させるなど、大幅な刷新にも踏み込んだ。
 「旧興銀出身の佐藤社長に配慮して、旧興銀出身者を大目に配分した人事案を蹴られた」(同行関係者)というエピソードもある。旧富士、旧一勧出身者の中にも「スタンドプレイが過ぎるなど短所がないわけじゃないが、佐藤社長を支えるほかにみずほが浮上する道はない」と、佐藤社長への求心力が高まる局面になっていた。
<見えない「ポスト佐藤」>
 だが、虚偽の報告をして、誤った前提に立った行政処分を金融庁に出させることになったみずほに対し、同庁が経営責任を強く求めてくる可能性も否定できない。佐藤社長が就任以来の窮地に立っていることは間違いない。
 一方、佐藤社長が進めてきたみずほの改革路線は、未だに「道半ば」だ。佐藤社長が何らかの経営責任を負うことになれば、みずほの経営方針に大きな影響が出かねない。
 「三井住友フィナンシャルグループや三菱UFJフィナンシャル・グループは、現トップの後任がなんとなく下馬評に上っている。しかし、みずほはまだ見えない」――。金融当局のある幹部は、こう語る。
 1トップ体制の確立は、ポスト佐藤体制が整っていない現状の裏返しでもある。今回の事件を契機に佐藤社長がグループ内での求心力を失えば、「後任体制をめぐる3行のさや当てが、また浮上しかねない」(みずほ役員)と危惧する声もある。
 (布施 太郎 編集;田巻 一彦)
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<2013年10月29日 毎日新聞朝刊>
 みずほフィナンシャルグループ(FG)傘下のみずほ銀行が暴力団員向け融資を放置した問題で、みずほがまとめた改善計画は、現体制の維持を前提にした、抜本改革からはほど遠いものだ。みずほ前身の第一勧業、富士、日本興業出身者の「旧3行意識」も背景にあるとみられており、取引先などからは処分の内容が「手ぬるい」との批判も出ている。信頼回復の道のりは依然として険しい。【工藤昭久、山口知、浅野翔太郎】
 「(トップ辞任を)思ったことはございません」。28日の記者会見でこう強調した佐藤氏は旧行意識について、「心の奥底までは分からないが、旧行意識が入り込む余地は相当払拭(ふっしょく)されている」と否定した。
 ただ、第三者委員会の中込秀樹弁護士は同日の記者会見で、頭取間の引き継ぎの不十分さに言及し、問題の一因として反社会的取引の管理を行う部門と他の部署とのコミュニケーション不足を批判した。佐藤氏も「縦割り意識が原因の一つにあったと思う。その払拭や企業理念の見直しを進める」と認めざるをえなかった。
 みずほは、旧3行の統合後も、持ち株会社のみずほFG(2003年1月までみずほホールディングス)と、傘下の旧みずほ銀、旧みずほコーポレート銀の幹部を旧3行で分け合うたすき掛け人事を続けてきた。問題融資発覚時のみずほ銀頭取は、旧富士銀出身の西堀利氏、後任の頭取は旧第一勧銀出身の塚本隆史氏、佐藤氏は旧興銀出身だ。「オリコの問題は勧銀案件とも呼ばれ、他の2行が口を挟みづらい。問題の背景に旧行意識がある」(大手行幹部)との見方は根強い。
 みずほFGは今年7月、中小企業・個人向けの旧みずほ銀と、大企業向けの旧みずほコーポレート銀を合併させて新みずほ銀行を誕生させた。FG社長の佐藤氏が頭取を兼務し、ようやく旧行のたすき掛け人事から決別したはずだった。
 旧行意識が噴出したかのような出来事があった。佐藤氏が今月8日の会見で「西堀氏が(10年当時)この問題を認識していたとしっかり確認できた」と説明し、自分は「知りうる立場にいたが、詳しく説明を受けた記憶はなく認識するに至らなかった」と釈明。これに対し西堀氏が「対応はした。説明があろうとなかろうと私は徹底して中身を見ていた」と反論したのだ。みずほは、同じ合併行である他のメガバンクに比べ、「旧3行の力関係が拮抗(きっこう)していたために勢力争いや、意思疎通の悪さはなかなか改善されない」(別の大手行幹部)との指摘もある。
 ただ、みずほ内部からは「ワンバンクを誕生させた佐藤氏の手腕は高い」(みずほFG幹部)との声は多く、進退問題を阻止したいというムードは強かった。7月に大幅な人事刷新を行ったため、「次期トップの候補が思い浮かばない」(金融庁幹部)という背景もある。
 また、佐藤氏の処分は報酬を半年間ゼロにするものだが、13年3月期の有価証券報告書によると、佐藤氏の報酬総額は1億1600万円。半年間無報酬でも5000万円以上を受け取る可能性が高い。佐藤氏は「給与水準は業界他社と比べて突出しておらず、今回の責任を考慮しても妥当な水準。批判があることは認識している」と説明したが、庶民感覚とかけ離れていると言えそうだ。
 一方、塚本氏はみずほ銀会長を辞任するものの、持ち株会社のみずほFG会長は続投。「責任を取ったのかどうか分かりにくい」(みずほ銀との取引のある東京都内の中小企業役員)との批判も出ている。
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<2013年3月17日 週刊ダイヤモンド>
  みずほフィナンシャルグループ(FG)の佐藤康博社長が、満を持して発表した新たな中期経営計画は、銀行と信託、証券を「あたかも一つの組織として運営する」(佐藤社長)という、経営の一体感を前面に押し出した内容だった。
  グループ内連携の強化に向けて、これまで弱かったFGの機能を大幅に強化。6人の副社長を、人事、財務、システムなどのグループ長や大企業、個人、国際などのユニット長に据え、それぞれが銀行、信託、証券すべてを横断して管理しグリップを利かせる仕組みに改めている。
 「Oneみずほ」という中計のテーマが示す通り、縦割りだった組織体系に横串を刺すことによって、ガバナンス(統治)の強化と意思決定の迅速化につなげていくのが狙いだ。
 その意気込みは、言葉だけでなく役員人事にも鮮明に表れた。
 佐藤社長が「旧3行の背番号を徹底的にはずす」と宣言したように、出身行に関係なく、1976~79年入行組の大半が退任し、80年組を中心に副社長に昇格させた。システム障害で引責辞任した西堀利・元みずほ銀行頭取の後を受けてFG副社長に就いた80年組の西澤順一氏が退任するなど、随所に「佐藤色」が滲む人事だった。
 人選に当たっては、タワーズワトソンなど外部のコンサルティング会社を活用し、上司や部下、同僚にヒアリングをかける360度評価を実施。評価を参考に、佐藤社長と社外取締役の計4人で構成する指名委員会で作業を進めたが、当初は「身内に甘い評価が散見され、扱いに困るものもあった」と、取締役の1人は明かす。
 それでも、各役員の「はっきりとした将来の可能性が出てきた」(佐藤社長)ことで、今春以降の新体制が固まったという。
 監督当局がかねて強く求めていた、グループのガバナンス強化に向け前進した一方で、中計が組織変更など「どうしても内向きの内容が中心になってしまった」(FG幹部)面は否めない。
 記者会見の席上でも、海外での買収・提携戦略については、さらっと触れただけ。むしろ、組織や3年後に控える次期システムの開発状況といった説明に時間をかけざるを得なかった。
 佐藤社長が「まだ旗を降ろしたわけではない」と話す、銀行と信託の統合や、本質的な解決策が見いだせていないみずほ証券の機能強化などにも、ある程度踏み込んだ中計を当初は模索していたとみられるが、あえて課題として残している。
 そこには、課題の解決や新たな組織の運営を軌道に乗せられるかどうかは、「ポスト佐藤」次第だ、という思いが込められているのかもしれない。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 新井美江子、中村正毅)
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<2013年7月3日Business Journal>
 みずほフィナンシャルグループ(FG)傘下のみずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併し、新しい「みずほ銀行」の営業が7月1日にスタートした。この合併にともなうシステム移行作業で、6月29日午前0時から、7月1日午前8時までの56時間、全国の現金自動出入機(ATM)が一斉に停止した。
 日本経済新聞の7月1日朝刊によると、今回のシステム移行はコーポ銀の店名をみずほ銀に合わせる作業が中心で、銀行システムの中核には手を加えておらず、「できて当然」の内容だったという。このように比較的容易な作業内容だったにもかかわらず、みずほは通常の2倍のテストを重ね、4月には障害発生に備えた訓練も実施。さらに、29、30日には朝晩2回の会議で移行状況を確認し、佐藤康博社長は会社に泊まり込み、異例の厳戒態勢でシステムの移行に臨んだ。
 同行が、慎重を重ねたシステム移行の背景には、過去二度の大規模なシステム障害がある。5月26日付の朝日新聞のまとめによると、第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行の三行を統合、みずほ銀とコーポ銀に再編した2002年4月、システム統合がうまくいかず、大規模な障害を起こした。さらに、東日本大震災後の2011年3月には、義援金振り込みが集中したのをきっかけに、振り込みの遅れや店舗でのサービス停止、ATMの取引停止などが発生。収束までに10日間を要し、金融庁から業務改善命令を出される結果となった。三度目の失敗を犯すようなことがあれば、「みずほはなくなるかもしれない」という緊張感が漂う中、今回のシステム移行が行われたようだ。
 そして、度重なるシステム障害の裏には、各メディアで繰り返し指摘されてきた、旧三行の派閥争いがあると見られる。朝日新聞は旧三行の派閥意識を払しょくできず、人材の融合が進まなかったことがシステム障害の一因だと分析している。
 みずほの人事は02年の発足からこれまで、みずほFGとみずほ銀、コーポ銀のトップを旧三行出身者が分け合う「三頭立て」だった。そのため、グループ間の意思決定が曖昧になり、古いシステムが温存された結果、発足時のトラブルの経験が生かされず、二度目のシステム障害につながった可能性が指摘されている。
 しかし、二度のトラブルで第一勧銀と富士銀出身のトップが相次いで失脚し、11年6月からは興銀出身の佐藤氏がみずほFGとコーポ銀頭取を兼務。さらに、今回の合併でみずほFGと新・みずほ銀頭取を兼務することになり、佐藤氏がみずほグループを統治する仕組みが整った。
 さらに、佐藤氏は今年2月に中期経営計画を発表すると同時に、旧三行の派閥意識払しょくを目指した新人事を発表している。6人の副社長を各分野のトップに据え、それぞれが銀行・信託・証券すべてを横断して管理する仕組みに改めた。縦割りだった組織体系に横串を刺すことで、ガバナンスの強化と意思決定の迅速化につなげていく――ダイヤモンドオンラインは3月7日配信の記事で、この人事を佐藤社長の「旧三行の背番号を徹底的にはずす」と宣言した意気込みが鮮明に現れたものだと評価している。
 しかし、現場からは旧弊からの脱却に懐疑的な声も出ているようだ。転職情報サイト・キャリコネは3月11日配信の記事で、みずほFG関係者の「新銀行では中年以降は旧三行の争い、若手はみずほ銀とコーポ銀で争いの構図が見えている」とのコメントを掲載。今回の合併によって、派閥争いが収束するどころか、拡大する可能性もあるというのだ。
 新・みずほ銀が7月1日に誕生し、サービス再開からこれまでトラブルは発生していないが、今回の移行作業はシステムの一部にすぎず、当面はみずほ銀とコーポ銀の二行のシステムをつないだ状態で業務が続けられる。7月1日配信のロイターの記事によると、本格的なシステム統合が行われるのは16年3月になる見込みだという。
 新たなスタートを切ったみずほ銀行は、新体制のもと派閥の勃興を抑え、メガバンクに相応しい強固なガバナンスを築くことができるのか。ネット上で「ATMの停止を知らず、ボーナス後なのにお金が下ろせなかった」という小さな騒動が起こっている裏で、金融庁の目が光っている。 (文=blueprint)