2009年4月20日月曜日

ホームレス


 世界第2位のスーパーマーケット、フランスのCarrefourが日本での展開に失敗して2005年に引き揚げたとき、新聞か雑誌に面白い分析が出ていたのを記憶している。

 「フランス人は、メルセデスに乗って百円ショップに買い物に行くような日本人の消費動向を理解できなかった」

 こんな内容だったと思う。これが正しいとすれば、スーパーカーが一世を風靡した時代、ランボルギーニで銭湯に行く若造を見ていたら、フランス人はもっとうまい商売をできただろうに。

 フランス人に限らず、確かに、外国人からすれば日本人の金持ちと貧乏人の見分けは難しいに違いない。小便臭い小娘がカルチエだのルイヴィトンといった高価なブランドものを身に着けているのを街でみかけても、日本人なら驚きもしないが、欧米人なら目をむくかもしれない。

 日本人の生活は収入の差にかかわらず、驚くほど均質化している。

 多摩川の河川敷をジョギングしているときに見かけるホームレス男は、近所のスーパーで普通の家庭の奥様方にまじって、彼女たちと同じ「本日特価」の鶏肉を買っていた。別の男は、疲れたお父さん方が飲むのと同じ栄養ドリンクの6本パックを買っていた。

 2007年9月に多摩川が何十年ぶりかの洪水に見舞われたとき、頑丈に作ったブルーハウスのひとつが壊れずに土手まで流れ着いた。

 中を覗いてみると、3畳ほどの広さで、想像したより小奇麗に整理され、手作りの棚にはステレオのラジカセと韓国の人気歌手・桂銀淑のテープがきちんと並べられていた。さらに驚かされたのは、最高級のものではないにしても、’MOET &CHANDON’ラベルのシャンパン・ボトルが口を開けずに置いてあったことだ。

 「いったい、どんなヤツが棲んでいたんだ!」 

 居心地の良さそうな内部から想像するかぎり、社会のセイフティ・ネットから零れ落ち、かろうじて生きながらえている人間の棲み家ではない。

 「ホームレス」とは経済的困窮生活の典型だろうが、中には、ボヘミアン的な、生きるスタイルとして選択した少数の変わり者もいるに違いない。

 昨年(2008年)9月のリーマン・ブラザーズ破綻ショック以来の「百年に一度の経済危機」は、ホームレスの生活を直撃した。彼らの主たる収入源がアルミ缶の回収で、リーマン・ショック以降、アルミ相場が国際的に暴落したからだ。

 コンビニやゴミ置き場をあさって、空き缶をかき集め、業者に持ち込む。だが、昨年夏に1kg当たり180円だった相場は下がり続け、今年2月には40円という底値に達した。この価格は、多摩川のホームレスから聞き出した数字で、地域によって多少異なる。集められたアルミ缶は回収業者に買い取られ、卸業者のもとへ運ばれる。日本アルミニウム協会のホームページに載っている「アルミニウム地金市況」の価格は、末端ホームレスの2~3倍だが、暴落は同じだ。

 昨年の秋、回収業者と世間話をしていたら、価格の下落もさることながら世界のアルミの需要が激減して売れなくなったので、ホームレスの持ち込みは断っていると言っていた。彼らは国際的経済危機に直接曝され、暖冬とはいえ心が凍る冬を過ごしたはずだ。

 東京のホームレスは2009年1月時点で、3,428人、1年前より368人減少した(厚生労働省の発表)。この数字をどう読むか。

 河川敷の管理を業務としている国土交通省の河川事務所なるところが、きちんとした科学的動向調査を実施しているとは思わないが、ひとつの見方として、生活が苦しくなってホームレスをやっていけなくなり、生活保護を受けるようになったという減少理由をあげている。(ホームレスは生活保護者より経済レベルは上なのだ!)

 この通りだとすると、未曾有の経済危機でホームレスを”脱落”したのは、前年比で10%以下ということになる。とは言え、この冬が苦しくなかったはずはない。

 4月、桜の花も散って、このところ汗ばむ日もある。

 ホームレスのジジイに声をかけてみた。2月にキロ40円だったアルミ缶が3月には45円、4月には60円、まだ上がりそうだと嬉しそうだった。国際経済はこんなところでも解読することができるのだ。日本経済新聞の展望が今後にやや明るさを取り戻してきたときと軌を一にする。

 だが、ジジイは言った。「俺は去年、180円も経験しとる。まだまだ」。この欲張りめ!

 

2009年4月17日金曜日

タイ人はとても不思議


 タイ料理は日本にすっかり定着したらしい。本場と比べればギョッとする値段だが、東京のレストランは結構はやっている。日本の物価水準からすれば許容範囲なのだろう。しかし、バンコクの道端で小銭を使って買うような食い物が、皿の上に小ぎれいに載せられただけで、えらいカネを要求されるのには、いまだに違和感を覚えざるをえない。

 典型的なのは、ソムタム(青パパイヤをスライスしたサラダ)、ガイヤーン(焼き鳥)、それにカオニャーオ(もちごめ)といったところか。屋台に並べられたのを注文すると、車の排気ガスで真っ黒になったような顔のおばさんが、ビニールの袋に入れて手渡してくれる。これで昼飯として十分。いずれもイサーンと呼ばれるタイ東北部の料理だ。

 イサーンみたいなところへ普通の日本人観光客は行かない。見るべき名所はないし、土地は乾いて痩せていて、人は貧しい。彼らに東京のレストランの値段を教えて驚かせてみたいものだ。ちょっと悪趣味か。

 タイがめざましい経済発展を遂げたと言っても、その恩恵は大都会から地方へは、なかなか及ばない。その大都会だが、実はタイにはひとつしかない。首都バンコクだけなのだ。

 この国の人口分布はかなりいびつだ。全人口6,500万人の1割に当たる650万人がバンコクに集中し、日本で言えば東京に次ぐ大阪とか名古屋にあたる都市がない。第2の都市はバンコクのわずか15分の1程度のサムットブラカン、あとは推して知るべし。つまり、首都を除けば全部いなか町。

 このいびつさは、経済発展、富の配分のいびつさ、後進性を反映するものだが、バンコクで増えてきた中産階級と呼ばれる小金持ちたちが、そんなことを気に病んでいる様子はかけらもない。

 それどころか、彼らは、無論だれもがそうだとは言わないが、貧乏人を見下す傾向がある。そして、貧乏人の代表はイサーンの人々だ。

 バンコクのホワイトカラー人種は概して見栄っ張りだと思う。ファッションや見てくれには、かなりカネを使う。その同じ尺度で、イサーンや貧しい隣国のラオスやカンボジアの人たちを馬鹿にする。

 抜き差しならない差別意識だ。これなしではタイ社会を語れない。「微笑みの国」もいいが、どんな人間にも醜悪な裏の表情があるものだ。

 今も続いているタイの政治危機を生んだ背景には様々な社会的、政治的要因が複雑にからまっている。それを解きほぐそうとするとき、どうしても無視できないのは、タイにはびこる貧乏人を蔑む差別意識だ。

  現在の対立の色分けは、赤と黄色の2色。赤いシャツを着た群衆はタクシン元首相を支持、黄色は現政権を支持する反タクシン派。単純な色分けに合わせて単純化すると、タクシン派にはイサーンに代表される貧乏人、反タクシン派にはバンコクの中産階級に代表される小金持ちが集結している。

 タイの政界は肥溜めみたいに臭くて、政治家や政党の対立はウジ虫の共食いみたいなものだが、現在の政治危機の特徴は、政界の外では「持たざる者」と「持てる者」の階級闘争が展開されていることだ。発展に取り残された貧しい人々が富の再配分を要求し、発展の恩恵を受けている都会人たちは既得権を維持しようとしている。

 貧乏人がタクシンを支持する理由は、カネのばらまきとかポピュリストと批判されようと、タクシンがイサーンにまともに目を向け、貧しくても病院に行ける「30バーツ医療」に象徴される大規模な貧困対策をを打ち出したからだ。

 都会人たちが大衆動員と軍に頼って、「腐敗したタクシン」を首相の座から引きずり降ろし、国外へ追い出した行動は「タイ式民主主義」に則れば、正しかったのかもしれない。だが、貧しいイサーンの農民たちにすれば、貧困から脱出するための希望の星が失せたことになる。

 「それじゃあ、誰がいったい、俺たちの面倒をみてくれるんだ」

 この答えは、まだ見えていない。現状の「バンコク支配」という、いびつな社会経済構造が続くかぎり、何も変わらないのだ。

 利権にまみれたタクシンを排除したあと、新たな、根本的な貧困対策を誰も描くことができない。それでも、ヘラヘラと微笑んでいるタイ人は、とても不思議な人たちだ。

2009年4月13日月曜日

カゼヲキル


 「手鼻」=指で片方の鼻孔を押さえて、鼻息で鼻汁を吹き出すこと。「ーーをかむ」(スーパー大辞林)

 身も蓋もない露骨に汚らしい表現だが、「手鼻」の的確な説明としては、ケチのつけようがない。なんだか迫力もある。ゴリラみたいなごっついからだの肉体労働者風の男が「ブシュー」っと地べたに鼻汁を吹き飛ばしている姿が浮かんでくるではないか。たまたま近くを通りかかった無垢な普通の家庭の奥様はギクッとして首をすくめる。

 だが、ジョギングやアウトドアなるものがファッションになって、平均的日本人の日常生活に浸透してくると、「手鼻」のテクニックをカタギの方達も身につけなければならないだろう。とくにジョギングとなると、走るにつれ生理現象で鼻水が出てくる。サイクリングでもそうだ。そこで「手鼻」が役に立つ。

 コツは、一気に「スパッ」と吹き出すことだ。慣れないと鼻水がだらだらと垂れ下がって、納豆みたいに糸を引いて着ているものにまとわりついて、汚らしいし、みっともない。気持ち良く成功させるには、多少の練習が必要だ。

 言わずもがなだが、回りの人に気を使うマナーを忘れてはいけない。国道246号線を自転車で走っていたときに手鼻をかんだら、ちょうど追い越そうとしていた黒塗りのセルシオのフロントガラスに鳥の糞のように見事に命中したことがある。スローダウンして幅寄せしてきたセルシオの中の男たちがこっちを睨みつけていた。みんな、亀田親子かEXILEのATSUSHIみたいなヤーサン風。慌てて、車が入り込めない狭い路地に逃げ込んだ。ヤバカッター!

 日頃、疑問に思っていることがある。テレビ中継のマラソン大会に出場する選手たち、とくにトップグループで頑張れば、スタートからゴールまで、ずっとテレビカメラに曝される。だが、有力選手が手鼻をかむシーンを見たことがない。いったい、どうしているのだろう。

 元マラソン選手で今では解説者として人気のある増田明美は、「カゼヲキル」という小説まで書いている。主人公の長距離選手は半分くらい過去の自分なのだろう。ときどき登場するマラソン解説者は現在の自分。アスリートの食事や練習内容、生活ぶり、レースの心理などの描写はディテールがすごくいい。ストーリー展開も切れ味がある。全3巻を半日で一気に読んでしまった。

 この小説の中に、主人公・美岬が、テレビに写らないように鼻をかむには、どうしたらいいのかと知りたがる場面がある。この点こそ、かねがね解き明かしたかった疑問だ。作者の増田明美も現役時代に、この問題で悩んでいたことを物語る状況証拠を発見してハッとした。

 だが、残念ながら、この長編小説は、美岬の疑問に触れただけで、最後まで、その答えに言及していない。色々な興味深いディテールを描きながら、なぜ、この重要な点に触れなかったのか。

 テレビの前の視聴者だって、美人ランナーが手鼻をかむのかどうか、絶対に知りたいはずだ。”手鼻愛好家”としては、「カゼヲキル」の重大な欠落を絶対に許すことができない。

2009年4月1日水曜日

チュニジアは天国だった


 地中海のビーチに面したオープン・レストラン、パラソルが作る影の下で飲む冷えた白ワインはこたえられない。酔うにつれ、心もからだも無防備にだらしなくなる。これ以上何もいらない、時間がこのまま永遠に止まればいいと思う。

 北アフリカ・チュニジアの首都チュニスの郊外。世界遺産に登録されている古代カルタゴ遺跡まで遠くない場所だが、観光客の姿はない。地元の人たちだけが昼下がりの静かな、けだるい時間に身を任せている。

 ある年代以上の人たちなら誰でも知っているセクシーなイタリア女優クラウディア・カルディナーレは、この近くのユダヤ人街で生まれ育った。

 いっしょに飲んでいたチュニジアの女友達が「あの人を見てごらん」と言って、二つ三つテーブルが離れたところに一人座っている50代とおぼしき男に目を向ける。「彼は財産家で、これまでの生涯で働いたことが一度もないの」。男はビキニの水着に腹の肉をどっぷりとのせて、気持良さそうにワインを飲んでいる。

 働いた経験のない人生って、どんな感じなのだろう。そうか、ここは天国なのだ。財産家は財産家らしく、のんびりしていればいい。

 途上国の都会は多かれ少なかれ人間の吹きだまり、貧民街の光景を欠くことができない。しかし、チュニスはどうだろう。どこかに貧民街があるのだろうが、まったく目につかない。道行く人々の誰もが、財産家ではないにしても、豊かで満ち足りているように見える。

 街は小ぎれいで洗練されている。イスラム文化の伝統とヨーロッパ的生活様式が絶妙のバランスで調和している。イスラム世界に慣れていない外国人観光客でも宗教戒律に戸惑わされることはほとんどない。

 隣国アルジェリアは、第2次世界大戦後に広がった民族解放運動の先頭に立ち、1990年代にはイスラム勢力と軍事政権の激しい内戦に突入した。チュニジアは同じフランスの支配下にありながら、その歴史に派手なドラマはない。近代化=西欧化も、イスラムの伝統とうまく折り合いをつけ、政教分離の社会と国家の形成に成功してきたようにみえる。
 
 治安が良くて、見るものがたくさんあって、地中海料理がおいしくて、物価が安くて、チュニジアは海外旅行の穴場だと、メディアの影響でイスラムに恐怖感すら抱く日本の友人たちには言ってきた。チュニジアはイスラム世界を旅するための入門に一番いいと思っていた。

 だが、ひとつの数字が、何かを、チュニジアを見るための要素の何かを見落としていたことに気付かさせてくれた。

 国連安全保障理事会はテロリスト名簿を作成している。そこには、9・11事件を引き起こしたアル・カーイダと関わる254人の実名が記載され、公表されている。これを国籍別に数えてみた。二重国籍者や国籍を変えた者がいて、数え方によって多少異なるが、こんなことになった。

 チュニジア         39人
 アルジェリア        20人
 サウジアラビア      14人
 フィリピン          14人
 エジプト           13人
 インドネシア        13人
 ヨルダン・パレスチナ    9人
 イラク 8人
 パキスタン 8人
 モロッコ 6人
 イエメン 5人
 国籍不明 43人  


 なんと、天国のように平和でのんびりしていると思っていたチュニジアが、他を断然引き離してトップだったのだ。自分の目が節穴だったのか。いや、欧米のメディアだって「ソフト・イスラム」と呼んで、優等生の穏健イスラム国の代表と見ていたではないか。

 この数字をどう読むか。

 9・11事件のあと、米国のブッシュ政権は、過激イスラムを生む温床は非民主的なイスラム諸国の政治体制にあると結論を下して、それまで米国自身が積極的に親しい関係を維持してきたサウジアラビアやエジプトの独裁政権に民主化の圧力をかけた。

 自由があれば、国民は政治的不満を表明し、政権は合理的に対応する。政治批判が抑圧されれば、批判者は地下に潜り、過激な行動をとるしかない。米国の圧力で民主化が実現してはいないが、この論理に従えば、チュニジアにも過激イスラムを生む温床があったのだ。

 だが、それが目に見えない。チュニジアでも上からの政教分離政策は伝統イスラムからの反発を生み、過激な反政府グループが生まれた。2000年代になると、爆弾テロ事件も散発的に発生した。しかし、それが、かつてのアルジェリアのように大きなうねりにはなっていない。

 いや、果たしてそうだったのか。

 「アルジェリア人はとかく極端に走るけど、チュニジア人はいつも穏健なの」と、女友達は言う。

 彼女はイスラム教徒だが、酒は飲むし礼拝などやったことがない。日常会話はアラビア語よりフランス語が中心で、典型的な都市の西欧化した知識階層に属する。つまり、この体制を擁護する側にいる。こういう立場で「穏健」と表現する政治的意味は、国民の大多数は極端な変化を望まず現体制を支持しているということだ。

 確かに、チュニスの街の光景から受ける印象はその通りだ。

 だが、大多数が「極端な変化」を望まないにしても、「緩やかな変化」は望んでいるとしたら、どうだろう。「穏健」とは、静かだが着実に変化を実現することだと言うこともできる。

 そうであれば、短期間しか滞在しない外国人が、チュニジア人の変化への願望に気付かなくてもおかしくはない。

 とは言え、「チュニジアは天国」が、単純すぎる思い込みだったのは明らかだ。

 記憶を辿ってみると、1990年代半ば、チュニスで会った文化大臣ヘルマッシが妙なことを自慢をしていると感じたことを思い出した。

 マイケル・ジャクソンがチュニスのオリンピック競技場で65000人の大観衆を集めてコンサートを開き、「我が国は、なんの混乱もなく終わらせ大成功した」と鼻高々だったのだ。マイケルが世界的なアイドル歌手にしても、一国の政府閣僚が自慢するほどのことではない。

 今にして思えば、ヘルマッシは、伝統的イスラムからすると退廃した西欧文化の象徴でもあるマイケルのコンサートを、イスラム国家で開催することに見事成功したと言いたかったのだろう。

 裏返せば、近代化=西欧化が根付き、外国人観光客が安心して歩けるように見えても、実は、この国の底流に何が蠢いているのか確信を持てないでいたという心情を、一閣僚が図らずも口に出したのだと思う。

 今でもチュニスのビーチでワインを楽しむことはできるだろう。だが、もはや、能天気に酔いに身を任せることはできないに違いない。なにしろ、世界一アル・カーイダが多い国なのだ。