2013年8月13日火曜日

暑い夏のアラカルト


 ペルシャ暦の元旦ノールーズ=3月21日、イランの沙漠はうっすらと緑色に染まる。 この土地の冬は突然終わり、夏が突然やって来る。 ノールーズ前後の2週間ほどは寒くもなく暑くもなく、1年で最高の季節、 そして灼熱の夏が始まる。

 首都テヘラン。 気温40℃。 暑くても乾燥した夏の生活は、それほど悪くはない。 ペルシャ湾で獲れた鯖を開いて室内に置いておけば、わずか半日で旨い干物になる。 禁酒国で密造した白ワインとの相性が実にいい。

 南部アフワーズで気温50℃を経験したことがある。 照りつける日ざしだけでは50℃は実感できない。 乾燥しているので、日陰にいると爽やかさすら感じる。 だが、エアコンの壊れたバスの車内は走るサウナ風呂だった。  堪らなくなって窓を開けるや否や、高熱の衝撃が顔を襲った。 ヘアドライヤーを顔に直接吹きつけられたようなものだった。 あわてて窓を閉め、サウナを選択する。

 インドの首都ニューデリーの7,8月は、日本の夏に似ている。 雨季のせいで湿度があり気温は32℃くらい。 日本人に違和感はない。 だが、この国には2種類の夏がある。 もうひとつの夏は4,5月、暑くて乾いている。 気温は45℃に達し、インド人に言わせるとクルマのボンネットでタマゴを焼ける。 

 この暑さを体感してみたくなって、デリーでエアコンのない安ホテルに泊まったことがある。 従業員たちは、涼しい屋上や裏庭にベッドを持ち出して寝ていた。 その光景を見て、チェックインしたものの眠る自信を失った。 暑さへの恐怖すら覚えながら、意を決してベッドに寝転ぶ。 熱い! 耐えられないほどではないが、マットの表面は熱かった。 だが、熱さに慣れてくると決して不快ではない。 空気が乾燥しているので、汗は瞬く間に蒸発して肌はさらさらしている。 結局、朝までぐっすり眠ることができた。
 (インドでは、どんなに暑い日でも「hot」とは言わず、「warm」と言う。 「hot」は料理の「辛い」にしか使わない)


 ペルシャ湾岸、アラブ首長国連邦のアブダビの8月。 気温は40℃に達し、晴れていても湿度は100%近くになる。 夏の熱気が海水を蒸発させるためだ。 平坦な沙漠に海が面するという単純な地形のせいで、ビーチの風は向きと強さが一定している。 おかげで快適なウインドサーフィンを楽しむことができる。 昼下がり、ビーチ沿いの道路はサーファーたちを除けば閑散としている。

 ここはサウナというよりスチームバス。 スチームバスのジョギングなど、世界のどこでもできるというわけではない。 というわけで、人通りのない街を走ってみた。 やはり想像した通り。 シャワーを浴びているように汗をかいた。 だが、思ったよりは、はるかに快適に感じるジョギングだった。 からだにやさしい湿度のせいだったかもしれない。 なにより、走ったあとのビールがとてつもなく旨い。
 (アブダビ在住日本人たちは、暑い夏の間、家にこもって動かないので太ってしまう。 無論ビールのせいもある)

 2013年8月、日本の首都東京。 異常と言われる暑さが続く。 どう楽しもうか。 熱中症などクソくらえ。 だが、面白そうなことがなかなか思いつかない。

 都会の男たちは”クールビズ”という名の夏用半そでシャツを着て、せっかちに働いている。 テレビは、暑苦しくて汗臭い高校野球が騒々しくて鬱陶しい。 東京の夏が不快なのは、余裕のない雰囲気が充満しているせいかもしれない。 だとすれば、不快なのは今年だけではなく毎年のこと、異常気象のせいではなく東京の存在そのもののせいか。 東京よりはるかに暑いテヘランやデリー、アブダビでゆとりを感じることができたわけが少し見えてきた気がしてきた。

 (今年同様に暑い夏だった2010年、クルマのボンネットで目玉焼き作りに挑戦したが、タマゴがまったく固まらず失敗した)  

2013年8月8日木曜日

1000頭ラクダで平和運動だ!


 二十数年ぶりに、横浜・桜木町駅で降りた。 東横線はなくなってJRの駅だけ。 横浜港側の光景に昔の面影はない。 「みなとみらい」のせいだ。

 だが、反対側、野毛のあたりは、それほど変わっていなかった。 うろうろしていると、記憶にある小さくて汚らしいタン麺屋があった。 引き込まれるように、なつかしい「三幸苑」の暖簾を分けて入る。 名物のたんめん(770円)は、野毛の街のように昔のままだった。 こってりとした濃厚なスープ。

 それにしても、この店は、資本主義発展の根本原則である拡大再生産という概念が欠落している。 何も変わっていない、何も発展していない。 「みなとみらい」の対極にある。 そして、それはとてもいいことだと思った。

 野毛坂を上って、入場無料の野毛山動物園に入る。 対費用効果は無限大。 ここには年老いたラクダがいて、イベントを企画していた。 

<野毛山動物園では、世界最高齢のフタコブラクダ「ツガル(メス・推定37 歳)」を飼育しています。人間に例えると100 歳を超える当園の名物おばあちゃん「ツガル」の長寿を願い、9 月16日(月・祝)の敬老の日に、千羽鶴ならぬ千頭ラクダを「ツガル」にプレゼントする「1000頭ラクダプロジェクト」を8 月1 日(木)から実施します。これは、来園者の皆様に折り紙で折っていただいたラクダを集めて、千頭ラクダを作りあげるという企画です。ぜひ「ツガル」への思いを込めて、たくさんのラクダを折ってください!!> 

 折り紙とラクダの折り方を説明するパンフレットを無料で配っている。 さすが無料が売りの動物園。 子ども相手には面白いイベントかもしれないなあ・・・。 

 が、帰途、野毛坂を下っているとき思いついた。 「1000頭ラクダプロジェクト」を横取りしたら、もっと面白くなるぞ。

 千羽鶴は長寿ばかりでなく平和のシンボルでもある。 多くのラクダが飼われ、生活の一部になっている西アジア・中東は、紛争、戦争、殺戮の絶えない地域だ。 「1000頭ラクダ」を、平和を祈願するために、紛争国の在日大使館に送るのはどうだ。 「ツガル」のための折り紙もイベントのあとは譲ってもらって、大使館に送れるかもしれない。

 きっと、これは、日本発の新しい平和運動になる。 マスコミにも協力を頼もう。 とりあえず、このブログを読んだら、ラクダを折って以下の住所に送ろう。 「三幸苑」のたんめんでパワーをつけたら、こんな凄いプロジェクトが誕生したのだ。

<<ラクダの折り方は「折り紙 ラクダ」でネット検索すると、いくつもみつかる。折り方はひとつではないようだ>>

<アフガニスタン・イスラム共和国大使館>
Embassy of Islamic Republic of Afghanistan in Japan
〒106-0041 東京都港区麻布台2-2-1
電話:03-5574-7611

<パキスタン・イスラム共和国大使館>
Embassy of the Islamic Republic of Pakistan in Japan
〒106-0047 東京都港区南麻布4-6-17
電話:03-5421-7741、03-5421-7742

<イスラエル国大使館>
Embassy of Israel in Japan
〒102-0084 東京都千代田区二番町3
電話:03-3264-0911

<イラク共和国大使館>
Embassy of the Republic of Iraq in Japan
〒150-0047 東京都渋谷区神山町14-6 ラビアンパレス松濤
電話:03-5790-5311

<イラン・イスラム共和国大使館>
Embassy of the Islamic Republic of Iran in Japan
〒106-0047 東京都港区南麻布3丁目13-9
電話:03-3446-8011、03-3446-8015

<シリア・アラブ共和国大使館>
Embassy of the Syrian Arab Republic in Japan
〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目19-45 ホーマット・ジェイド
電話:03-3586-8977、03-3586-8978

2013年8月2日金曜日

お盆のシーズンだから


     がしじょうぶつどう みょうしょうちょうじっぽう
     きょうみしょもん せいふじょうしょうがく
     りよくじんしょうねん じょうえしゅぼんぎょう
     しぐむじょうどう いしょてんにんし
     じんりきえんだいこう ふじょうむさいど
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本語だか、なんだか見当もつかない意味不明のお経を、僧侶の声に合わせて唱和、というより口をモゴモゴさせているだけの参列者たち。 

     なーまーんだーぶー なーまーんだーぶー
     なーまーんだーぶー なーまーんだーぶー
     なーまーんだーぶー

 このお経は浄土真宗のウエブからダウンロードしたが、日本の仏教各宗派の法事では、ごく普通の光景、 誰もお経の意味など意に介さない。 仏教がどのような教えの宗教なのか知りもしない。

 それにもかかわらず、日本人のほとんどは、自分を仏教徒だという。 日本中のいたるところ寺院がある。 観光ツアーに参加した外国人観光客は、あちこち連れていかれても、寺ばかりなのでうんざりし疲れた顔でホテルに帰る。

 だが、普通の日本人が仏教に接する機会は、人の死に関わる法事、お盆、お彼岸、それに大晦日の夜に響く除夜の鐘くらい。 日々の生活に深く関わってくるキリスト教、イスラム教と比べると、日本の仏教は宗教と言えるのか疑問にすら思えてくる。 

 キリスト教の聖書、イスラム教のコーランは、それぞれの宗教の根本であると同時に、読み物としても、歴史や文化人類学、民俗学の資料としても興味深く、面白い。 だが、仏教には、われわれ”信徒"が親しんでいる教典がない。 

 なぜか今年は前半だけでも、知り合いがずいぶん亡くなった。 それに、もうすぐお盆。 そのせいか、すっかり通い慣れてしまった寺と坊主と仏教を知らない仏教徒への興味がじわりと湧いてきた。
 
 興味のきっかけは、もうひとつあった。 多摩川下流域に点在する玉川八十八ヶ所の寺を散歩がてら三十まで回ってみた。 どこも同じような寺なので興味を失ってやめてしまったが、気になったのは、どの寺も同じように、財力が十分あるようにみえたことだ。 多くの寺には警備会社ALSOKのスティッカーが張ってあった。 カネをかけても守るべき財産があるということだろう。 信者の信仰心は薄いが、寺は金持ちになる。 不思議なメカニズム。

 お経など唱えても仏教の真髄など理解できるわけがない。 仏教を極めようなどとは決して思わないが、今夏のお盆期間中は、仏教の古典を読んでみよう。

 原始仏教の経典「スッタニパータ」の労作日本語訳「ブッダのことば」(中村元訳・岩波文庫)を、とりあえず開いてみよう。 そこでは、ブッダがやさしい言葉で直接語りかけている。

 こんなことをほざいていると、危険な原理主義思想の持ち主と胡散臭く見られるかもしれないが。