2010年1月19日火曜日

イエメン危機は来るのか


   「ありとあらゆるメディアが今、イエメンに来ている。 大手メディアは、イラク、パレスチナ、アフガニスタンなど、この地域のあらゆる紛争地から私の国へ特派員を送り込んだ。 私は傷ついた動物になったような気分だ。ハゲワシが空中を旋回し、ご馳走にありつこうと、われわれの死を待っているかのようではないか」

 イエメンの良心とも言える英字紙「イエメン・タイムズ」の編集長ナディア・アルサッカフが、1月11日付けで書いた社説だ。 12月25日、クリスマスにアムステルダム発デトロイト行きデルタ航空機で爆破テロ未遂事件が起きるや否や、欧米を中心とする世界のメディアが、一斉にイエメンに注目した。 きっと、今ごろ、首都サナアの最高級ホテル「シェラトン」はジャーナリストたちで、ごったかえしていることだろう。 その光景を前にしたナディアの気持ちが痛いように伝わってくる。

 確かに、事態は深刻なのだろう。 犯人のナイジェリア人は、サナアでアルカーイダ組織から爆薬と指示書を受け取ったことが判明した。 そして、イエメンでアルカーイダが地歩を固めつつあることが明白になったからだ。 背景には、アフガニスタン同様、中央政府に十分な統治能力が欠如していることがある。

 果たして、イエメンは第2のアフガニスタンになるのだろうか。

 昨年11月、イエメンで誘拐された日本人技師が8日ぶりに解放された。記者会見で、とりあえずシャワーを浴びたいなどと語っていたが、いったん日本に帰国して、またイエメンに戻りたいと言っていたのが印象的だった。 地元の人間に誘拐されるという災難に遭いながら、この人、きっとイエメンという国が好きなのだ。

 イエメンなどという国をたいていの日本人は知らない。だが、実は、日本には、「隠れイエメン・ファン」というごく少数の人々がいる。

 イエメンは、四角い形のアラビア半島の南西角に位置し、インド洋に面していて、最近は沖合にソマリアの海賊が出没して騒がれている。そう言われれば、だいたいの位置は思い浮かんでも、平均的日本人には、国としてのイメージなどさっぱり湧いてこないだろう。

 だから、イエメンに1度でも行って好きになった人は、日本人への説明が面倒になり、イエメンについてあまり語ろうとしない。こういう人たちを「隠れイエメン・ファン」という。

 なぜ日本人がそんな遠くの国を好きになるかを説明するのは、確かに面倒くさいけれど、第1に景色がいい。沙漠だけでなく山もあって地形が起伏に富み、その上、適当に緑もあってメリハリがある。第2に、イエメン人の性格はどこかウエットで、アラブ人だが日本人に親しみやすい東南アジアの人々のような感触がある。つまり、日本人がするっと入り込みやすい雰囲気があるのだ。

 日本人が大好きな19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーは、放浪の末、イエメンにたどりつき、南部の港町アデンの貿易会社で働いていた。ここを拠点に、今海賊がうろついている紅海を渡って、ソマリアあたりで商売をしていた。ランボーが働いていた会社の建物は今も残っていて、フランス領事館になっている。

 もっと歴史を遡れば、東南アジアに初めてイスラム教を伝えたアラブ商人とは、未知の世界へ旅することを物ともしないイエメン人だった。そのまま住みついたイエメン人も多い。 1980年代から90年代にかけてインドネシアの外務大臣を務め、国際的に尊敬されたアリ・アラタス(故人)は、その末裔として知られる。 第2次世界大戦後、インドネシアを独立に導いた民族運動は末裔たちを通じて、イエメンに新たな政治思想として影響を与えた。

 さらに古代にまで遡れば、あの有名な「シバの女王」の王国は現在のイエメンだったとされる。 そう言えば、モカコーヒーの原産地がイエメンだ。 つまり、イエメンというのは、なかなか味わい深い国なのだ。

 こういう国が第2のアフガニスタンなどには、絶対になってほしくない。

 だが、それは希望的観測かもしれない。あまりにアフガニスタンに似ているからだ。 山が多く景色が似ていてイエメン・ファンとアフガニスタン・ファンが日本では一部重複していることだけではない。

 最も懸念すべきは、両国とも中央政府の統治能力が弱く、人々の生活は部族社会の中で完結し、国家というものがあまり信用されていないという点だ。

 これまでもイエメンでは外国人の誘拐事件が頻繁に起きていた。 そのほとんどは過去数年イラクで起きたようなテロ組織によるものではない。 部族社会の国家に対する要求実現が目的だ。 それも先進国の概念からすると他愛なくも思える。 

 例えば、村の道路や橋を作れ、といったものだ。 それを中央政府に要求し、実現可能になるまで人質を拘束する。 とはいえ、村人からすると、人質は村の生活向上を実現するための大事な客人でもある。人質たちはたいてい、解放まで衣食住に不自由しない歓待を受ける。

 そんな誘拐なら一度体験したいものだと、首都サナアからタクシーで誘拐頻発地帯に行ったことがある。 村々の入り口では銃を持った男が通る車を検問していた。 だが、われわれの車は運転手があいさつと、すんなり通過できてしまった。 運転手にきくと、彼はその土地の出身でみんな仲間だというのだ。 なんてことはない。 誘拐(される)目的には運転手の選択が間違っていたのだ。

 こんなのんびりした誘拐は今もあるようだが、アルカーイダの組織化が進むにつれ、殺害される外国人も少しづつだが増えている。

 国家の恩恵も統制も受けていない村落でアルカーイダの影響力が拡大することは、国際社会にとっての悪夢だが十分起こりうるだろう。

 しかも、複雑な地形はゲリラ戦にもってこいだ。 1960年代アラブの混乱した政治情勢の下で、イエメンの国内対立に介入したエジプト軍は、なす術もなく敗走したという。 

 一説には、真っ平らなナイル・デルタから来たエジプト兵は、軍事車両の坂道発進が下手糞で、山だらけのイエメンで十分に動くことができず軍事的失敗を重ねたとも言われるが。

 現代のハイテク武器を装備したアメリカ兵が坂道発進をできないとは思わないが、イエメン情勢に妙な反応をして派兵し、成功する保証はまったくない。

2010年1月8日金曜日

アバター!?



 最近、3Dと呼ばれる立体映画が注目されている。 あの間の抜けたトンボめがねをかけないと画像が立体化しないという欠点はあるにせよ、家庭用テレビでも3Dが普及するかもしれないという。 家族そろってテレビを見ながら夕食をとることが習慣になっている日本で、全員が大きな色つきめがねをかけている光景は不気味でもあろう。


 その3D映画として、今、最も注目されているのが「アバター」だ。 新聞の映画評でも評判がいいので、正月の暇つぶしに、つい見に行ってしまった。 
 客席はほぼ埋まっていて人気の高さがわかる。 館内が暗くなると、すぐに飛び出す画面が目の前に広がった。 なるほど、すごい迫力だ。 だが、結論からすると、残念ながら、映画の内容にはがっかりさせられた。


 こどものころ、便所の臭いが漂う場末の映画館で見たアメリカ西部劇の中には、ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」とかアラン・ラッドの「シェーン」のような名画があった。 ほかに、西部劇のジャンルには、”騎兵隊もの”というのもあった。 こちらの方は、白人の頭の皮を剥ぐ野蛮なインディアンの襲撃を、勇猛かつ規律のとれた正義の味方・騎兵隊が最後に追い払い、ハッピーエンドという結末。 今では、先住民の命と土地に対する略奪行為を、これほど単純・露骨に賛美することは不可能になった。


 (だが、アメリカ白人の心象風景を覗けば、おそらく今でも血沸き肉踊る”騎兵隊もの”への憧れが蠢いていることだろう。 恐ろしいことに、ほんの数年前には、本当に”騎兵隊”をイラクの”野蛮人退治”に派遣してしまった)
 

映画の世界では多分、ベトナム戦争の影響が大きかった。 米軍のベトナムでの残虐行為、あげくの果ての屈辱的撤退。 あの敗北はアメリカ人のトラウマとなって、1970年代、「アメリカ人は正しい」という自信は揺らいだ。 そういう時代が生んだ西部劇が「ソルジャー・ブルー」であろう。 騎兵隊のインディアンに対する残虐行為を、目を覆いたくなるリアルさで描いた。 ベトナム戦争が、正義の西部開拓史にも疑問を投げかけたのだ。


 「アバター」は、古典的騎兵隊西部劇の焼き直しにすぎないのだ。 ただし、「ベトナム後」を踏襲し、善悪を逆にして、騎兵隊にあたる地球人は悪者の侵略者、インディアンに相当する衛星パンドラに住むナヴィが美しい星を侵略から守るというハッピーエンド。


 つまり、仕掛けはおどろおどろしいが、ストーリーは見え透いていて、安っぽい。 映画というより、むしろ遊園地を楽しむのに似た感覚かもしれない。 いかがわしい見世物小屋の呼び込みに騙されたみたいだ、とまでは言わないが。


 とはいえ、とにかく子ども騙しなのだ。 それでは、おとなのための3Dはどうすればいいのか。 きっと、とりあえずの安易な選択は、ポルノに違いない。 こいつは、きっと迫力がある。 だが、これは矛盾だ。 制作者にとってのポルノ映画のメリットはカネがかからないことだが、「アバター」は、とてつもない巨額投資の産物なのだ。


 きっと、バーチャルの世界を現実に近付けることに努力するよりも、われわれは現実の世界をもっと楽しくすべきなのだろう。

2010年1月5日火曜日

780円で時空を旅する


 酒を飲むにしても、飯を食うにしても、チェーン店には行きたくない。 大量生産・消費システムの末端に組み込まれ、口を動かすことが楽しみではなく、単純労働のように味気なく思えてくるからだ。

 きょう、たまたま昼時に自由が丘駅近くを歩いていて、なぜか無性に豚カツを食いたくなった。 そこで、その一帯をうろついて豚カツ屋を探した。 だが、みつからず、目に留まったのは、有名な和食チェーン「大戸屋」だけだった。 いったん食べたいと思い込むと欲求が止まらない。仕方なく、入り口に出ていたメニューの「豚カツ定食780円」を食べようと中に入った。

 出てきた豚カツはメニューの写真から受けたイメージより、かなり小さく思えた。まあ、780円じゃあ仕方ないか、といったところ。 味は可もなく不可もなし。 大好物の豚カツを食った!という感激はあるわけがない。

 だが、テーブルに置いてあった大戸屋のパンフレットをなにげなく広げてみたら、その中に、なかなか読ませるコラム記事があった。 「食をみつめる温故知新」というタイトル。 原文を引用してみよう。



 お食事の際に使う「いただきます」と「ごちそうさま」。
本来の意味をご存知ですか。

 「いただきます」とは、「自分のために動植物の命を頂 く」ことから感謝の気持ちを込めた食事の際の挨拶として伝えられてきました。
 人は古くから自然の恵みをもらって生きてきました。 しかし、それは数々の動植物の生命を頂くということを意味します。 人間のための食料となる動植物へ、私たちは感 謝する気持ちを込めて、心から「いただきます」と言います。
大切な生き物の命を粗末にしてはいけません。
(以下、「ごちそうさま」は省略)



 これを読んでいるうちに、雪原でマンモスを倒そうとヤリを握る旧石器時代人の姿が浮かんだ。 そうか、そういうことだったんだ。 人間はずっと動物を殺し、森林を荒らし搾取しながら、地球の支配者にのし上がってきた。

 「いただきます」という言葉がいつから使われ始めたのかはわからない。きっと、その当時の日本人は動植物の命を頂くことに、「人類」として、現代人より、はるかに生々しいものを感じたに違いない。

 今、普通の都会人なら、牛や豚のような大動物はもちろん、ニワトリをさばくことすらできないだろう。

 何年も前、中央アジア・キルギスの山奥で泊まったコテージで、ヒツジを料理してくれたコックを思い出した。 あれは、ある種のクッキング・ショウだった。 だが、日本の民放テレビのグルメ番組などで取り上げられる代物ではなかった。

 夕方、コテージの庭でショウは始まった。 コックが三日月形のナイフでヒツジの喉をすぱっと切る。 料理は、まさに殺すところから始まったのだ。 そして解体。

 ヒツジには食えない部分はないという。 大きなアルミニウムのタライのような容器に、肉も骨も内臓も脳みそも、なにもかもを放り込んで煮る。

 食堂のテーブルに座ったわれわれの前に、筋骨隆々としたコックは大きなタライを軽々と運んで置いた。 そして、タライの中に手を突っ込み、内蔵をわしづかみにして持ち上げ、われわれに解剖教室の教師のように説明する。 彼は言った。 「神に感謝し、ヒツジを食べ残してはいけない」。

 冗談じゃない、現代文明の人間たちは、吐き気をこらえるのが精一杯だった。
 
 そう、きっと、あれが、自然に向かって「いただきます」と感謝の言葉が心から出てくる食事だったのだ。

 ちまちました大量生産定番料理を提供する店のテーブルで、心は石器時代へ、中央アジアへと時空を超えてさまよっていた。

 豚カツ定食を食べ終わってみれば、780円で、ずいぶんお得な旅をしていた。