2010年12月27日月曜日

フクロウの運命


 <フクロウ5羽が、大田区の多摩川河川敷にねぐらを作り、住民らの間で「散歩の楽しみが増えた」などと話題になっている。 日本野鳥の会(品川区)によると、「トラフズク」というフクロウの仲間。 雪が苦手で、冬に数羽から数十羽の群れで本州以北の寒冷地から温かい地域へ南下してくるが、都心部で見つかるのは珍しいという。 ネズミやモグラ、小鳥などの餌を捕まえやすい河川敷で、身を隠す常緑樹があるなど条件がそろっているためではないかとしている。 同会自然保護課の葉山政治さん(53)は「人が集まったり、フラッシュを使って撮影したりすると、ねぐらを放棄してしまう恐れがある。 移動する春まで静かに見守ってほしい」と話している。> (12月23日付け読売新聞)


 この記事の見出しは、「多摩川河川敷にフクロウ『静かに見守って』」。


 それから数日後、ジョギング代わりにしているマウンテンバイクのサイクリングで、いつもは人気のない多摩川の川岸を走っていたら、見慣れない集団に出くわした。 誰もが長い望遠レンズを装着した一眼レフ・カメラを持っている。 それが冒頭の写真だ。

 彼らは皆、頭の真上の樹木をみつめていた。 見上げてみると、見慣れない姿の鳥が数羽、枝にとまっていた。 どうやら、新聞に出ていたフクロウらしい。 フクロウたちは、静かに見守られてはいなかった。

 自宅のまわりに人だかりがして一斉に双眼鏡で居間を覗いていたら、頭がおかしくなる。フクロウだって同じだろう。たまったものではない。

 「静かに見守って」と新聞が報じれば、騒がしくなるに決まっている。 とはいえ、この珍しい光景は、やはりニュースであろう。

 この報道は正しかったのか否か。 答えはこの記事の中にあると言っていいのではないか。

 フクロウがねぐらを放棄して姿を消したら新聞の負けだと思う。

 それにしても、新聞は報じる前に、その是非を検討したのだろうか。 まさか、していないとは思わないが。 

2010年12月23日木曜日

ニッポンを守るスモーカーたち


 かつてのスキー場はスモーカー天国だった。 リフトを待っているあいだに一服、リフトに乗るとまた一服、吸殻は積もった雪の上に放り投げるだけ。 吹きさらしのスキー場でも火の付けやすいZIPPOのライターを雪中で取り出せば、仲間の前でちょっとはカッコをつけられたものだ。 だいたいマナーもいいかげんだった。 ゲレンデの隅では、くわえタバコで立ち小便も平気でやっていたんだから。

 今ではスキー場も世間と同じで、禁煙が当たり前になっている。

 過去10年近く、12月に初滑りをしている北海道・富良野スキー場に今年も行って、ひとつのことに気付いた。

 このスキー場では、いつもスキー訓練をしている自衛隊員の集団といっしょになる。 今年も技術向上に懸命になっている彼らの姿があった。

 昼食時に食堂の窓から、なにげなく外を眺めていたときのことだった。 食堂もゲレンデも禁煙のスキー場では、喫煙できるのは屋外の駐車スペースに面した場所だけだ。 吹雪であろうが喫煙者は他に選択はない。 そこに目を向けていると、たむろしているのは迷彩服の自衛隊員だけだったのだ。 無論、兵隊以外に民間人もいないわけではないが、自衛隊に占拠されているという状態であった。

 これは非常に興味深い光景ではないか。

 統計学的にはおそろしくいいかげんな推測だが、富良野スキー場の喫煙場所で観察するかぎり、自衛隊員の喫煙率は日本社会で頭抜けて高い。 スキー場のスキーヤーの数では民間人がほとんどなのに、喫煙場所では自衛隊員がほとんどなのだから。

 なぜなのだろうか。 組織内の生活が強いストレスをもたらしているからだろうか。 単に、世間の動きに遅れ、いまだにタバコを吸うのがマッチョでかっこいいと信じているのだろうか。 もしかしたら、世間から隔絶した生活を送っている彼らは、マッチョだがタバコを吸わないランボーすら知らないのかもしれない。

 昔の戦争では最前線の塹壕でも兵隊たちはタバコを吸った。 マッチの火を3秒以上付けていると敵に狙撃されると言われたくらいだから。

 自衛隊が知らない砲弾飛び交う実戦の取材体験からすると、喫煙者は前線で緊張するとタバコを吸いたくなる。 それがわかっているからタバコを欠かさないように必ず荷物に入れる。 余計な手間がかかるのだ。 それに、いざというとき走って逃げると息がきれる。

 富良野の自衛隊は、ゲレンデでの滑りは、ダサくてどん臭いが、旭川に本拠を置く自衛隊第2師団、自称「北鎮師団」という精鋭部隊なのだ。 第2戦車連隊、第3地対艦ミサイル連隊、第4特科群を基幹部隊とし、自衛隊の中で最新鋭の装備を誇っている。

 この部隊ラインアップを見れば、日本防衛の最前線死守の重責を担っていることが一目瞭然であろう。 ミサイル連隊は敵艦からの攻撃を食い止め、特科群は敵の空挺部隊や特殊部隊など最精鋭による上陸に対応、戦車連隊は侵入した敵との地上戦を受け持つ。

 北からの敵軍攻撃があれば、致死率の最も高いのが第2師団であろう。

 おそらく、自衛隊や防衛庁(省)の最高幹部たちも、第2師団ならどこに出しても恥ずかしくないと思っているのだろう。 これまでの自衛隊海外派遣では、旭川の第2師団が必ず顔を出した。 カンボジア、モザンビーク、ルワンダ、東ティモール、そして2004年のイラク。

 まあ、考えてみれば、彼らは本当に凄い。 安い給料で、1箱400円以上もするタバコをブカブカ吸って、戦場だろうが肺がんだろうが死ぬのは同じと居直っているみたいだ。 ほんの少し、自分たちの生き方をみつめてみてもいいんじゃないかという気もしないではないが。 

2010年12月11日土曜日

劉暁波を獄中に置く中国モデル


 中国共産党政権は、民主活動家・劉暁波へのノーベル平和賞授賞を断じて受け入れようとしない。 だから、どうしようというのか。 中国を批判する民主主義国家も、実は、本当の解決策を見出してはいないはずだ。


 なぜ劉暁波は”国家政権転覆扇動罪”で獄中にいるのか。 政権が民主化を拒否しているからだ。 なぜ民主化を拒否するのか。 民主化すればソビエト連邦のように中華人民共和国も瓦解してしまうと恐れているからだ。


 1989年ベルリンの壁崩壊に続くソ連・東欧の動乱は社会主義圏そのものを消し去り、1991年ソ連は分解してしまった。 


 このプロセスをじっと観察していたのが、非ヨーロッパの社会主義諸国であるアジアの中国や北朝鮮、ベトナム、 中南米のキューバなどだった。


 当時、ベトナムの首都ハノイで会った政府中枢の人物は、中国やキューバと情勢分析を共有し、ソ連・東欧のように民主化を進めれば共産党支配が危うくなるとの結論に達し、ヨーロッパとは異なる道を選んだと語った。 つまり、民主化要求の押さえ込みによる共産党独裁の維持だ。


 だから、スムーズな民主化を実現し、「ビロード革命」と呼ばれたチェコスロバキアなどに、彼らは興味をまったく示さなかった。 彼らが参考にしたのは、冷戦時代に独裁を堅持し経済成長に成功した東南アジアの開発独裁モデルと呼ばれるインドネシアやシンガポールの例だった。(北アフリカのアルジェリアは中途半端な民主化で血まみれの内戦に突入してしまった)


 開発独裁とは、政治的自由を制限することによって秩序を保ち、社会的エネルギーを政治ではなく経済に向けるというものだ。 この選択は、中国とベトナムに著しい成功をもたらした。 アジア的社会主義の知恵と言えよう。


 冷戦時代、米国は、インドネシアのスハルト、シンガポールのリー・クアンユー、フィリピンのフェルディナンド・マルコスといった独裁者たちに人道的批判など浴びせなかった。 彼らの「非人道的独裁」が、曲がりなりにも経済的豊かさを生み、貧困につけこむ共産主義の浸透を食い止めると判断したからだ。


 中国は今、東南アジアで成功した開発独裁モデルを忠実に実行している。 その経済的成果を誰も否定することはできない。 もはや、中国という巨大な産業団地兼消費市場が世界経済を動かす最大の要因のひとつになっているからだ。 


 だから、われわれは中国の抑圧的体質に不快感を覚えても、経済的混乱を引き起こしかねない政治動乱には二の足を踏まざるをえない。 


 劉暁波を獄中から解放し、自由な行動を許すことは、取りも直さず、中国共産党政権が民主化を受け入れ、自らの絶対的立場を放棄することを意味する。 それによって何が起きるか誰も予断を持つことはできない。


 平和的な民主国家への移行というのは、楽観的すぎるだろう。 最悪事態は、チベット人、ウイグル人、蒙古人など非漢民族の独立による中華人民共和国の崩壊、そして混乱か。


 中国の混乱による世界経済のパニックをわれわれは甘受できるのか。


 世界経済が、中国の「人質」にとられているのが現実なのだ。 獄中にいるのは、劉暁波だけではない。 居酒屋で酔っ払っているオレも、お前も、誰もが例外じゃない。


 それでも、中国のアルマゲドン的終末があるなら、覗いてみたいという怖いもの見たさの好奇心は誰でも持っているに違いない。 だが、きっと、覗くだけでは済まない。 今、世界中は、不愉快この上ないが、誰も第三者になれない見えない糸でつながっているのだ。

2010年12月9日木曜日

灼熱のカタールW杯をどう楽しむか


 ペルシャ湾岸諸国に住む日本企業の駐在員たちは、真夏になると太ってしまう。 気温は40度以上になり湿度も高い。 文字通りのサウナ状態になる。 試しに昼下がりのアブダビでジョギングをやってみたことがある。 頭の芯に痺れを感じる熱さ(暑さ)だった。 駐在員たちは、そんなキチガイじみたことはやらない。 室内から外へ、ほとんど出ない。 当然、運動不足になり、しかも、暇つぶしと欲求不満解消のために酒を飲む。 まさに、太り方のお手本だ。

 2022年サッカーW杯の開催地がカタールに決まった。 日本も立候補したが、スポーツ・ジャーナリズムが表向きの報道ではなく腹の中の本音で予想したとおり、簡単に落選した。 それにしても、あんなクソ暑いところでサッカーの試合が本当にできるのだろうか。 

 カタールが発表した計画によれば、スタジアムは太陽熱発電を利用する冷房を備え、外部の気温が40度でも27度に保つことができるという。 豊富なオイル・マネーで屋内スキー場を作ったり、沙漠に雨を降らせてしまう湾岸諸国のことだから、冷房付きスタジアム建設など難しくはないだろう。 そもそもカタール人はおそらく、金を出すだけで、技術や設計は欧米人、建設労働者はパキスタンやバングラデシュからの出稼ぎ、外国人客のもてなしはフィリピン人のホスピタリティに頼るということになるだろう。

 だが、このことは、カタール人が札束で外国人の面をひっぱたいてW杯を実現しようとしているということを必ずしも意味しない。 彼らは金持ちだが、素朴な人々なのだ。 数世代前までは石油もなく、アラブ世界の片隅に住む貧しい遊牧民や漁師だったのだ。

 カタール開催が決まった直後、NHKのカメラに向かって、町の普通の中年カタール人が叫んでいた。

 「今どんな気持ちかって? 泣けちゃうし、笑えるし、全部だよ!」

 身振り手振りで歓喜を精一杯表現する男の姿は感動ものだった。 

 こうして、中東・アラブ・イスラム世界初のW杯が動き出した。 世界的な経済権益と複雑怪奇な国際政治がちょこちょこと首を突っ込むであろうサッカー+α のエキサイティングなゲームの幕開けだ。

2010年12月4日土曜日

やられた!!!


 WikiLeaksが米国政府の大量の外交公電を公開している。 米国務長官ヒラリー・クリントンをはじめ、世界の政府当局者たちが、自分たちの内緒話を暴露され、おたおたしている。

 本来、公開されるべきではない秘密文書をウェブ上に流し、誰もが閲覧できるようにすることが、良いことか悪いことかの議論は別にして、凄い出来事であるのは間違いない。

 情報収集を職業とする世界中のスパイやジャーナリストたちが、WikiLeaksの”偉業”をどう受けとめているか、本音を聞きたいものだ。

 「国家の安全保障、利益を損なう行為だ」などという表向きの解説ではない。 彼らの心中にあるのは<嫉妬>以外の何物でもないと思う。

 「チクショー、やられた!!!」

 それが、情報を生業とする者たちの素直な気持ちに違いない。

2010年11月29日月曜日

ベトナムもすごかった


 中国・広州の第16回アジア大会で、福島千里が陸上女子100mと200mの2冠を達成した。 中国、韓国の後塵を拝するばかりの日本選手の中で、見事な活躍ぶりであった。

 あの二つのレースを伝える日本のテレビは福島だけに注目し、他国の選手は無視するも同然の国粋主義報道に徹していた。

 それでも、2位、3位の選手の名前はともかく国名くらいは、なんとか画面を見ながら把握することができた。 それで、ちょっとした驚きは、同じベトナムの選手が100mで3位、200mで2位に入っていたことだ。 福島同様、一人で二つのメダルを獲得したのだ。

 ベトナム人は貧しく痩せていて、一流アスリートのイメージとはかけ離れていた。 そんな先入観念が、ぽろっと壊れてしまった。

 ウェブで探索してみると、その選手の名は、Vu Thi Huong。 国際陸上競技連盟の選手名鑑によると、24歳、身長165cm、体重51kg。 ベスト記録は、100m11.34秒、200m23.30秒。 世界レベルには届かないが、アジアではトップ・クラスのスプリンターだった。 当然、ベトナムでは超有名なヒロインだった。

 実際、2008年の北京五輪100m1次予選では、福島と同じ組で走り、福島より上の3位で2次予選に進んだ。 今回のアジア大会の両レースでも、福島のライバル高橋萌木子には勝っていた。 200m決勝で、ゴール前にトップの福島に背後からせまって、ひやりとさせたのがHuongだ。

 彼女のようなベトナム女性は、経済発展で変貌するベトナムを象徴しているのかもしれない。 そういえば、Huongが生まれた1986年はベトナム共産党が改革政策ドイモイを開始した年だ。

 活躍したベトナム選手は他にもいた。 女子の中距離800m、1500m両種目でも、Truong Thah Hangが2位に入り、二つの銀メダルを獲得した。 男子10種競技ではVu Van Huyenが銅メダル、女子空手の組み手55kg級では、Le Bich Phuongが、優勝候補、日本の小林実希を破って堂々の金メダルに輝いた。

 欧米人崇拝、アジア人蔑視=近代化の歴史を作ってきた日本人は、今でこそ口に出しては言わないが、アジア大会で「中国や韓国ごときに」負けて、プライドをいたく傷つけられた。 それでも、メダル獲得競争ではなんとか韓国くらいは抜きかえしたいと思っている。

 だが、前ばかり見ていていいのだろうか。 日本人が中国、韓国よりも見下していた東南アジアをはじめとする他の諸国も、じわりじわりと日本に近付いているのではないか。 経済発展と同様に。

 アオザイ姿の優雅なベトナム女性にみとれていると、200mで福島を脅かしたHuongが秘めていたような強靭さの存在を見落としてしまう。

2010年11月22日月曜日

スー・チーは解放されたが...


 公園の広場を腕力の強いガキ大将グループがいつも占領して野球をやっている。 ほかの子どもたちには広場を絶対に譲らず、自分たちが土地の所有者みたいな顔をしている。 ガキ大将は言う。 「オレたちが広場を隣町の連中から守っているから、この公園では騒ぎが起きないんだ」。

 トルコ軍は、建国の父アタチュルクが基礎を作った西欧型近代国家の守護者を自任し、歴史上何回かクーデターを起こして政治に直接介入した。 

 タイの伝統的特権階級は、成り上がりの企業家・政治家タクシンの政権を倒し、国外へ追い出した。

 82歳にもなってエジプト大統領ムバラクは、まだ引退せず、来年の大統領選挙に出馬し6期目を目指す。 この独裁者への最大の脅威である政権批判集団「ムスリム同胞団」の政治活動を抑え続けているから、当選に不安はまったくない。

 イランのイスラム教シーア派聖職者たちは、革命を実現したアヤトラ・ホメイニというカリスマ指導者亡きあと、知識と指導力にかなり疑問のあるアリ・ハメネイを次の最高指導者に選出し、イスラム国家体制の名目を保った。 これによって、聖職者たちは単なる政治家に成り下がった。

 北朝鮮の金正日は、飢餓に苦しむ国民に目もくれず、父親から息子へと3代にわたる王朝を築きつつある。

 ビルマの軍事政権は、1990年の総選挙で圧勝したアウン・サン・スー・チーが指導する政党・国民民主同盟(NLD)の政権掌握を阻み、スー・チーに長い軟禁生活を強いた。 

 いずれも、広場を独占するガキ大将グループと同じ論理で権力を手放そうとしない。 重要なのは既得権なのだ。 既成事実を作れば、理屈などどうにでもなる。

 美しすぎる囚人、スー・チーが11月13日、自宅軟禁から解放された。 これで、軍事独裁政権が支配するビルマの政治状況が好転するわけではない。 独裁者たちが、スー・チーをこの時点で解放した方が、既得権維持には都合がいいと判断しただけのことだ。

 日本外務省の役人たちの「外交」なるものは、基本的には、権力者たちとの良好な関係維持が最重要課題のひとつになっている。 かつてトルコに駐在した女の大使は、日本の外務大臣が訪問する前に、欧州各国が批判しているトルコの人権問題を大臣が絶対話題にしないよう根回しをしたそうだ。

 ビルマに関しても、軍事独裁政権とのパイプを維持することが大切だとして、真正面からの非難は避けている。 政権と妥協しないスー・チーについては、頑固すぎるという評価だ。 ガキ大将に殴られても蹴られても歯を食いしばって涙をこらえる子どもに対して、「謝れば楽になるよ」というのも同然だ。

 日本外務省が期待しているのは、ガキ大将の仲間で、あまり乱暴を働かないヤツによる権力奪取と思われる。 国際社会の批判も多少和らぐし、従来通りに政権とのパイプも続くというわけだ。だが、これは、つまり、クーデターだ。 物事の本質に、なんら変化はない。

 ガキ大将グループを一掃するには、ちょっと離れた盛り場に巣食う本物の暴力団に手を出させるという方法もある。 だが、このやり方がうまくいかないことは、ベトナムでも、イラクでも、アフガニスタンでも立証されている。

2010年11月10日水曜日

顔のない医師


 コンビニとか銀行の監視カメラに写っているマスクを付けた人物といえば、強盗とか詐欺師のイメージだろう。 犯罪者たちは悪事をするとき顔をみられたくないからマスクをする。

 だが、世間から尊敬され非常にまともな職業とされる医師たちも人前でマスクをしている。 ニセ医師だとか麻薬を横流ししている悪徳医師が人相を隠している可能性も否定はできないが、そんなのは例外だろう。 むしろ、地元住民との信頼できる人間関係構築が、いわば医療行為の一部にもなると思われる町のクリニックで、医師が顔を見せないのはなぜか。 「顔のない医師」は不気味でもある。

 もちろん、マスクをしていない医師もいるが、近ごろは大多数の町医者がマスク着用のまま患者に対応しているという印象だ。

 マスク着用の理由は容易に想像がつく。 感染症の患者も多く訪れる場所で、最も感染の危険に晒されているのは他ならぬ医師だ。 だからマスク医師は十分納得できるのだ。

 ただ、それにしても、医師といえども客商売なのだから、ちらっと顔をみせたっていいじゃないか。 彼らは、対人恐怖症なのか、口裂け女(医)なのか、あるいは、単にマスクを外すのを面倒臭がる横着者なのか。

 いや、待てよ。 もしかしたらマスクの常時着用は「医師就業規則」みたいなもので決められているのかもしれない。

 これは確認を取る必要がある。 それで日本医師会に電話してみた。 すると、「くだらんことで電話するな」という横柄な態度ではなく、非常に丁寧に説明してくれた。 

 その説明によると、新型インフルエンザの流行時などには、飛沫感染防止のために、国からマスク着用の通知があるが、マスク常時着用は規則ではない。

 面白い話もきかせてくれた。 小さな子どもはマスクをした医師を見ただけで怖がって泣き出してしまうのでマスクを外すという。

 日本医師会は知らないのかもしれないが、おとなだってマスクをした医師は薄気味悪く感じるのだ。 まさか泣き出しはしないが。

 近所を歩いていて、行きつけのクリニックの医師とすれ違ったことが、あるのかないのか知らない。 大事な自分の健康を預けている相手の顔を知らないというのは、社会のあり方からしてもいびつではないか。

 日本医師会に質問してみた。「先生、顔を見せてくれませんか」と訊くのは失礼ではないかと。

 嬉しいことに、答えは「問題ない」。

 メタボのオジサン、更年期のオバサン、妊娠中のヤンママ、銃撃を生き残ったヤーサンの皆さん、マスクの医師に出会ったら、「顔を見せてください」と言ってみよう。

2010年11月8日月曜日

もうひとつの韓流ドラマ


 韓流ドラマに登場する男たちの魅力は、日本の女たちの心を揺さぶり続けているようだ。 そこには、軽薄な日本の女たちのオツムでは及びもつかない、もう一つの韓流ドラマがある。

 その事実抜きには、現在の韓国社会を語ることはできない。

 国連人口基金は11月、世界人口の最新統計を発表した。 1位中国13億5410万人、2位インド12億1450万人...10位日本1億2700万人-という例の統計だ。 このとき同時に発表された合計特殊出生率、つまり1人の女性が一生に産む子どもの数が国別で発表された。

 韓国のメディアは、こちらの方に注目した。 それはそうだ。 韓国は調査した世界186カ国中、184位、下から3番目の1.24人だったからだ。 韓国の下はボスニア・ヘルツェゴビナ1.21人、香港1.01人だけ。 韓国は全体の平均2.52人の半分以下だった。

 韓国の少子化傾向は日本より深刻なのだ。 少子化の理由はいろいろ指摘されているが、よく言われるのは教育熱を反映する高額の教育費だ。 

 問題は、この先だ。 日本よりも儒教の伝統が強く残る韓国では、子どもを1人しか育てないとなると、女の子より男の子が選択される。 この結果、韓国における出生時の男女比率は、男の方が1割以上多くなってしまった。 こうした傾向は既にかなり以前から始まっている。

 韓国社会は今後、男が女より多い人口構成がさらに固まっていく可能性が高い。 そういう社会で生きていく男たちは、パートナーの女を獲得するための懸命の努力をする。 男たちは、好むと好まざるにかかわらず、子孫を残すために女の前で魅力的であらねばならない。

 韓流スターが女たちの目にきわめてセクシーに見えるのは、韓国の男たちが日夜涙ぐましい努力をせざるをえない社会の反映なのだ。 

 これは、韓流スターにかなわない日本の男たちの負け惜しみではないと思う。

2010年11月4日木曜日

イエメンは第2のアフガニスタン?


 国際的な宅配会社UPSとFedEXを使って、イエメンから米国シカゴのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)宛てに二つの航空小包が送られた。 だが、一つは英国中部ミドランズ空港で、もう一つはアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ空港で押収された。

 中身は、プリンターのトナーカートリッジに仕込まれた高性能爆薬で、携帯電話による遠隔操作で起爆する装置が取り付けられてあった。 

 10月29日、米国大統領オバマが自らの声明で発表した。

 それによると、イエメンを拠点とする「アラビア半島のアル・カーイダ」による米国本土攻撃を目的とするテロの一環だという。 オバマはさらに、この情報を提供し、テロ発生の事前防止に貢献したサウジアラビア政府に謝意を表明した。 

 のちの報道によれば、爆発物は航空機を破壊するに十分な威力があり、阻止されなければ大惨事は免れなかった。 欧米各国は、他にも危険な航空便が発送された可能性を否定できないとして、イエメン発の航空機の着陸を停止するなど、あわただしく対応した。

 日本ではさほど注目されていないが、戦慄すべき新たな国際無差別テロの開始と受け取れよう。

 ただ、公式発表された一連の情報には、まだ疑問点もある。

 UPS、FedEXそれぞれの現地事務所は規定通りのセキュリティ・チェックをしていたのに、なぜ爆発物が通関したのか。 極秘のテロ作戦の情報を、サウジ当局がどうやって入手したのか。 米国がアル・カーイダの拠点として厳重に警戒しているイエメンが、なぜ敢えて爆発物の発送地に選ばれたのか。 

 現時点で、こうした疑問への明確な答えは出ていないが、今回の”出来事”によって、国際テロ発信地としてイエメンの危険性が劇的にアピールされたのは間違いない。

 イエメンは、世界的な歴史遺跡、美しい山岳風景のある愛らしい国だ。 だが、近代国家としての統治基盤が脆弱で、地方の隅々まで中央政府の権威は行き渡らない。 そして、1人当たり国民総生産800ドル、失業率40%という貧困。 国際的テロ組織が安住の地に選ぶ条件は整っていた。 実際、1990年代から、アフガニスタンを脱出した多くのアラブ人たちがイエメンに渡っていた。

 テロリストの温床となったのは、サナア政権の自業自得でもある。 冷戦時代、南北が別々の国だったイエメンは1990年に統一イエメンとなったが、北主導の統一に南が反発し、94年には内戦となった。 このとき、北のサナア政権は南の軍事攻略にアフガニスタン内戦で実戦経験のたっぷりあるアラブ人たちを前線でおおいに活用した。 以来、現在”テロリスト”と呼ばれるアラブ人たちはイエメンに確固たる足場を築いてきた。

 アフガニスタンやイラクに派兵した米国や英国を筆頭とする欧州各国は今、イエメンが「第2のアフガニスタン」になると警戒している。 

 米国CIA長官レオン・パネッタは昨年1月、就任直後に、「イエメンはアル・カーイダのsafe haven(安全な避難場所)になりうる」と警告し、その後、米国は様々な支援をイエメンに与えてきた。 軍事面では、専門家50人を派遣し、イエメンの反テロ部隊の訓練・指導にあたっている。

 英国の新聞The Independent によれば、米国のイエメン援助は2006年に1億8500万ドルだったが、今年は5億8400万ドルに膨れ上がっている。

 同紙によると、旧宗主国である英国もイエメンに深く関与しており、2009年にはアフガニスタンに駐留していた特殊部隊SASがイエメン、イエメンと紅海をはさんで対岸のソマリアへ移動してきた。 また英国政府による破綻国家への支援はイエメンを最優先とし、2009年には3000万ポンドが下水設備、学校・病院建設に援助された。

 だが、今回の爆弾テロ未遂事件がイエメンにおけるアル・カーイダの健在ぶりを示すものだとするなら、これまでの援助の意味は当然問われるべきだ。

 「テロとの戦いは、自由と人権への抑圧を正当化する手段になってしまった」

 10月にサナアで開かれた人権団体の集会のあと、人権活動家のアマル・アルバシャがイエメンの新聞The Yemen Times に語った。

 Amnesty International が今年8月に公表したイエメン報告によると、2009年初め以来、テロリストを標的とした治安部隊の作戦で113人が死亡した。 治安部隊は容疑者の身柄を拘束しようとせず、非合法の処刑を行ったと指摘している。 アマルが言及しているのは、法律が無視され人が殺されているこうしたイエメンの現状だ。

 2009年12月17日には、東部シャブワ県で治安部隊のテロリスト容疑者への攻撃で41人が死亡した。だが、死亡者のうち14人が女性、21人が子どもだった。 この1週間後には南部アビヤン県の民家がミサイル攻撃を受け30人が死亡した。 この2件に関してはAmnestyも、イエメン議会も調査を要求しているが、政府当局は反応していない。

 イエメン大統領アリ・アブドゥラー・サレハの対テロ政策は国民のあいだで評判が悪い。 反感を強めているのは、急に存在感を増してきた治安部隊の強引なテロリスト狩りばかりではない。

 治安部隊の背後には米国がいると目されていることが、もう一つの理由だ。 アラブ諸国では概して、イスラム教徒の一般大衆は異教徒米国の介入を嫌悪する。 大統領サレハは、その米国と手を組み、対テロ軍事作戦を遂行している。 つまり、この作戦を続ければ続けるほど、国民の反政府感情は高まるのだ。

 10月の人権団体集会でも声が上がったが、こうした汚い作戦に米国人が治安要員の訓練という間接的関与ばかりでなく、作戦現場で直接関わっているという疑惑も広まっている。 反サレハと反米の感情は対になって高まっているのだ。

 イエメン国民の大多数は、保守的なイスラム教徒で、新種の国際過激主義ともいえるアル・カーイダの思想を受け入れるとは思えない。 しかし、対テロ軍事作戦が国民を反米へと追いやっているとすれば、アル・カーイダに好ましい状況を米国がわざわざ作っているといえよう。

 かつてのベトナムでも、近年のアフガニスタン、イラクでも米国は介入することで嫌われた。 その意味で、CIA長官パネッタが「イエメンはアル・カーイダのsafe havenになる」と言ったのは実に正しい。 

2010年10月25日月曜日

悪さをやろう


 居酒屋の隣りのテーブルに、酔っ払った熟年オヤジ4人がいた。 どうやら中学か高校の同級生らしい。 髪の毛が白いのも、薄くなっているのも、真っ黒いのもいる。 この年代、団塊の世代とおぼしき連中の年齢をみかけで判断するのは実に難しい。 老けたのもいれば、若作りのもいて、50歳と70歳の間としか言いようがない。

 彼らの会話は大声ではないが、店が狭いので、よく聞き取れた。 記憶を頼りに再現してみると、以下のような内容だった。

 ++++++

 「おまえ、無事に定年退職を迎えたっていうが、そりゃ当たり前だよ。 これまでの人生で、そもそも悪事なんて働いたことがないだろ」

 「確かに、色々と反省することはあるが、悪事というようなドラマチックな行動を取ったことはないなあ」

 「みんな同じような平々凡々の人生を歩んできたが、それでも多少の法律違反くらいは経験したぜ」

 「例えば?」

 「交通違反」、「スピード、一時停止、駐車違反」、「最近は下手すると逮捕されるから酔っ払い運転はやらないが、若いころはみんなやってたなあ」、「うん、昔のおまわりは、機動隊を除けば、おおらかだった。検問で引っかかって、『気を付けて帰れよ』って言われたことがあった」

 「子どものころ、近所の駄菓子屋で万引きしたなあ」、「オレは高校時代、エロ本を万引きした」

 「けんかはよくやったけど、人を殴るのは傷害罪だ」、「オレはおまえに殴られたことがある。オレが訴えたら、逮捕されて少年院入りしてたかもしれない」

 「卒業式のあと、体育教師のバカをぼこぼこにしたよな」、「生意気な英語の女教師のハイヒールを靴箱からかっぱらって、ドブに捨てたこともあった。あれは窃盗罪かな?」

 「大学時代は反戦デモに行って、歩道の敷石をはがして細かく割って、機動隊めがけて投げた。あれは政府転覆罪だ、なんちゃって」

 「連日連夜マージャンやってたヤツは、賭博罪の常習だ」

 「社会人になってからだって、いろんな法律違反をやっていなかったわけじゃない」

 「そりゃそうだ、おまえなんか売春防止法違反の常習だったろ」、「まあ、常習は言い過ぎだが、違反を犯したことがないとは言わない」

 「小さな業務上横領みたいなことだって、ないわけじゃない」、「会社のボールペンだのノートを家に持って帰って息子に使わせていた」、「出張経費の多少のごまかしなんかは公然の秘密だったけど、あれだって堂々たる犯罪だ」

 「おまえ、人を殺したことないか? 銀行員だろ、カネを貸し渋って零細企業のオヤジを自殺に追い込んだとか」、「冗談よせよ、オレはそういう部門じゃなかった」

 「東南アジアに行った帰りに、スーツケースにマンゴーを忍ばせて入国するのは検疫だとか密輸の法律に違反するんだろうなあ」

 「ハノイに出張したときに空港の税関で5ドル札を握らせたら、ノーチェックで通関できた。あれは、れっきとした贈賄罪だ」

 「なんだか、過去の些細な悪事を並べ立ててみると、オレたちがいかに小物だったか、よくわかるぜ」

 ++++++

 このあたりから、話はあらぬ方向へ発展していった。

 ++++++

 「これで人生が終わってしまうのは、ちょっと寂しいし、腹立たしい気がする」

 「退職後の暇つぶしに、何か、でかい悪さでもしてみたいもんだ」

 「しかし、オレたちは政治家でもギャングでもないしなあ」

 「オレたちに何ができるか」

 「どうせやるなら、義賊みたいのがいい」

 「ん? 悪党や金持ちから盗んだカネを貧乏人に配るやつか?」

 「ああ、ロビンフットとか鼠小僧次郎吉みたいな」

 「それ、面白い。子どものころ、鼠小僧は東映の時代劇で見た。まあ、オレたちは若いころみたいに身軽じゃないが」

 「それに、義賊のターゲットを選ぶのが難しそうだ」

 「確かに。 昔は金持ちの資本家は労働者の敵で悪人に仕立てやすかった。 今じゃ、不況脱出を推進する英雄になりかねない」 

 「しかし、エキサイティングなテーマだ。 よし、日と場所を改めて、何ができるか再検討しよう」

 ++++++

 彼らは、ここでお開きになって、楽しそうに帰っていった。 単に語り合った夢に酔っていたのか、本気で義賊になるための具体的計画を今後立てるのか、知る由もない。 ただ、警察当局の関心を回避するため、この会話を聞いた場所、彼らの人相風体は明らかにしないでおこう。

 もしかしたら、彼らは既に行動を開始しているのかもしれない。 

2010年10月2日土曜日

白い曼珠沙華を見たことがあるかい?


 毒々しくもある真っ赤な曼珠沙華が、虫の息の夏にとどめを刺し、秋の到来を宣言した。 熱中症で多くの人間を殺したKILLER SUMMERも、ついに死んだ。


 あの曼珠沙華が、もし、あの色でなく、すべて清楚な白だったら、果たして酷暑の夏を死に追いやることができただろうか。


 曼珠沙華、別名、ヒガンバナ。 「全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。 道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある」(ウィキペディア)
 東京・大田区、多摩川近くで白い曼珠沙華に遭遇。

2010年9月28日火曜日

多摩川両岸の品位


 昼下がり、多摩川の川崎側、丸子橋付近のサイクリング・コースを自転車で散歩しているうちに、携帯電話を落してしまった。 電話会社に連絡すると、GPSの位置情報で、川崎市中原区小杉1丁目の半径1.5km以内にあると教えてくれたが、半径1.5km、つまり1.5×1.5×3.14(円周率)=7.065平方kmの範囲のいったい、どこを探せばいいのだ。


 警察に遺失物届けをしたものの、発見はほとんど諦めていた。 ところが、みつかったのである。 夕方、自宅の固定電話にかかってきた男の声が、携帯を拾ったので渡したいというのだ。


 男は、自分の居場所は河川敷のテントだと説明した。 どうやらホームレスらしい。 その日は暗くなっていたので、翌日行ってみた。


 指定された場所には、想像していたブルーハウスではなく、小奇麗なコールマンの一人用テントがあり、外から声をかけると、50がらみのよく日に焼けた男が、ニコニコ笑いながら顔を出した。


 テントの中には、小さなテーブルがあって、「白鶴まる」の200mlカップ酒、「KIRINのどごし<生>」の350ml缶がそれぞれ数本、空になって転がっていた。 奥の方には、4ℓのペットボトル焼酎「大番頭」も見えた。

 

 「きのう、酒を買いに出かけたときに拾ったんだよ。持っていきな」。 あっさりと携帯を渡してくれた。


 丁重にお礼を言って、どうやら酒が好きらしいので、テーブルの上のカップや缶の数から酒代を頭の中で計算して、ちょっと少ないかなと思いつつ千円札2枚を握らせた。


 すると、男は「そんなつもりじゃねえ」と強い力でカネを突っ返してきた。 しばし押し問答をした末、結局、「今度、酒を持って遊びに来るよ」と言うと、相手はやっと満足してくれた。


 ホームレスだって礼節はわきまえているんだというプライド、矜持と言ったら、優越感で男を見下したことになろう。 そうではない。 普通の人間の普通の行為だった。 なにしろ、ホームレスの男も携帯を持っていたのだから。 


 秋晴れの下、河川敷には野球に興じる子どもたちの声が響き渡っていた。 気持ちの良い、さわやかな1日だった。


 多摩川の向こう側に見える河岸段丘のあたりは田園調布。 数年前のことを思い出す。 そのときは財布を落とした。 このときも運良く、田園調布警察署から「みつかった」と連絡があった。


 拾い主は田園調布の住民だった。 まずはお礼を言おうと電話をした。 だが、相手の応答で、すっかり厭な気分にさせられた。


 東京を代表する高級住宅地・田園調布の財力と知性、教養のある住民という先入観が大間違いだったのだ。 いきなり、「それ相応の謝礼を出すんだろうね」と露骨にカネを求めてきたのだ。 このときは本人に会って、皮肉を込め多過ぎる額の現金を渡し、あとで反省した。


 多摩川の両岸。 河川敷と高級住宅地。 人間の品格には関係ない。 

2010年9月22日水曜日

特捜検事の逮捕とメディア


 日本で優秀な新聞記者とは、役人や政治家の行動や決定をいち早く察知し、それを「トクダネ」として報じる者をいう。


 そうなるための精神的、肉体的苦労は生半可なものではない。 役人たちの帰宅後の深夜、出勤前の早朝、自宅に押しかけ情報を聞き出そうとする。 「夜討ち朝駆け」という。 世間一般の人から見れば、いつ寝るのかと訝しく思うかもしれない。 だが、それは問題ではない。 彼らは暇なとき、ところかまわず惰眠を貪っているのだ。 そんなことより、非常識な時間に他人の家の玄関ベルを押すむ無神経さ、暗闇の中で役人の帰りを待つしぶとさが凄い。


 役人たちに食い込めば、夜討ちのときには酒を振る舞ってもらえるし、朝駆けついでに朝飯もご馳走になる。 ここまでの関係になれば、たいていの情報は流してもらえる。


 重要なのは信頼関係を築くことだ。 例えば、自衛隊に批判的な朝日新聞の記者が懸命に防衛省の役人に食い込んでも、自衛隊擁護派の読売や産経の記者にかなわないかもしれない。(ただ、内部告発の場合は逆になる可能性もあろう) 


 だが、こうやって情報を得る行為は、物乞いと大きな違いはない。 物乞いが差し出されたものを拒否しないのと同様、記者たちは「トクダネ情報」を有難く頂くのだ。


 これが、日本の新聞記者の伝統的取材手法と習性である。


 役人や権力者側からすれば、目の前をうろうろする記者たちの存在は鬱陶しくもあるが、彼らの習性がわかれば利用するのも容易い。 こちらに都合の良い情報をトクダネという餌にしてばら撒けば、食らいついて宣伝してくれる。


 こうした日本型報道には当然、構造的問題が指摘されている。 とくに怖いのは、警察・検察の報道だ。


 事件で逮捕された被疑者の取調室での言動は、警察・検察の独占情報だ。 記者たちは、普段から情を通じ合っていた警察官・検察官に夜討ち朝駆けをし、”犯人”の自供内容を聞き出す。 そして、”官憲”からの情報だからと裏付けがないまま、それを「真実」として報じる。 この時点で、記者と警察官・検察官は、まるで一心同体であるかのようだ。


 こうして、過去、どれだけの冤罪事件がもっともらしく報じられてきたことであろう。


 9月21日、大阪地検特捜部のエリートと言われた主任検事が、こともあろうに前代未聞の証拠隠滅容疑で逮捕された。 この検事は、さる10日に無罪を言い渡された厚生労働省元局長・村木厚子の事件を担当していた。


 日本の新聞、テレビは、「地に落ちた特捜地検の威信」を連日報じている。 それはいい。 だが、昨年6月、特捜部によって村木が逮捕されたときは、どのように報じたのか。 特捜部の検事が一方的に流した情報を鵜呑みにして報じてはいなかったのか。 


 もはや、こんな指摘は「王様は裸だ」と叫ぶほどのことではなく、今や誰もが口にする「つぶやき」だと思う。

2010年9月14日火曜日

平和すぎる八丈島


 澄んだ青い空と熱帯樹林の濃い緑。 その光景は東南アジアのどこかなのだ。 だが、人々は皆、日本語を話し、その上、道路を走るクルマのナンバープレートは「品川」ばかり。 ここは、一体どこなのだ? そういえば、空港ではパスポート・チェックも税関もなかった。

 羽田空港からANAのフライトでわずか50分、喧騒の東京の一部とは思えない別世界・八丈島の第一印象。

 伝説の女護が島。 女しか住まず、彼女たちは外部世界から訪れた男たちを夢み心地にさせる歓待をしたという。

 今も平和の島であることに変わりはないようだ。

 泊まった民宿でクルマを借りた。 宿のオヤジさんは言った。 「駐車するときは、暑いからクルマの窓は閉めなくていい。 鍵もつけっぱなしでいい。 泥棒なんて、この島にはいないから」
 だから、島に滞在していた5日間、言われたとおり、ずっとそうしていたが、何も起きなかった。(おかげで、東京(騒がしい23区の方の)に戻ってから、しばらくの間、クルマをロックするのにひどく煩わしさを感じた)
 こんなところに警察などが果たして必要なのだろうか。 島の中心、三根地区には八丈島警察署の立派な建物がある。 島の各所には、真新しくて小奇麗な駐在所が設けられている(”駐在さん”の姿は5日間に1度も見なかったが)。
 彼らは毎日、何をして過ごしているのだろうか。
 島の人たちにきくと、「何してるんですかねえ」と言って、ニヤニヤ笑う。 彼らにも、ある種のミステリーであるらしい。 だが、いくつかの答えはあった。
 「酔っ払い運転の検問は、夜ではなく早朝にやる。 二日酔いを捕まえるんだ」
 「警察の取り締まりは、酔っ払いを除けば、シートベルト着用くらいかな」
 「警察官の転勤時期のあと1,2か月は新任が張り切って、取り締まりが厳しいよ」

 二日酔いとシートベルトの取り締まりだけでは、警察の存在意義を認めるわけにはいかない。
 なにしろ、人口8200人の八丈島で、年間(2009年)の人身交通事故はわずか10件(八丈島警察署ホームページ)。 比較のために人口1000人当たりの年間発生率に換算すると、1.19件。 ちなみに警視庁警察署索引でたまたま隣りに並んでいる八王子警察署管内では7.9件。 八丈島は、その7分の1。
 八丈島にクルマ泥棒がいないわけではない。 だが、昨年1年間で3件。 これも八王子と1000人当たりの発生率で比べると、7.9対0.36. わずか22分の1。 威張ることもないが、車上狙いだって、ちゃんと存在する。 だが、昨年はたった2件。
 車上狙い2件という数字は、限りなくゼロに近い。 統計的意味があるとは思えないが、八丈島警察署ホームページは、「車上狙い施錠別割合」として「施錠なし100%」という”統計数字”を掲載し、さらに、熱心な仕事ぶりを強調するがごとく、「鍵かけロック運動推進中」とうたっている。 冗談だろ、たかだか2件のために。
 交通事故にしても犯罪にしても、発生数が絶対的に少ないのだ。 まさか、警察も含め誰だって、安全が警察の努力のおかげとは思っていないだろう。 クルマで1周2時間ほどの島で、悪いことなどやる余地はないし、離島から逃げ出すリスクを考えれば犯罪者には割が合わない。
 平和すぎる島の警察官は可哀そうだ。 犯罪者を捕まえるのが仕事なのに、犯罪者がいないのだから。 魚のいない池で釣りをしているようなものだ。
 とはいえ、仕事のない警察官に給料を払い続けることが税金の無駄使いだと決め付けるのは難しい。 いつか何かとんでもないことが起きる可能性は誰も否定することができない。 そのための保険と考えることはできる。 
 ただ、問題は危険発生の確率だ。 掛け捨ての保険は安全を担保できても高くつく。 
 残念ながら、八丈島で警察は自分たちの役割を住民たちに十分納得してもらっていないように思える。  

 もっとも、警察自体がそんな努力をしたことはないだろう。 人のいるところ犯罪あり、犯罪のあるところ警察あり、という性悪説を基盤とする組織なのだから。

2010年8月30日月曜日

老人たちの行方


 最近、静岡県某所の人里離れた山道を歩いていたとき、急傾斜地の狭い畑で老婆が一人、野良仕事をしているところに出くわした。 「こんにちは」と声をかけたその時、周辺の暗い森の中から、こちらを窺っている、いくつかの視線を感じた。同時に、落ち葉の上を何人かが歩く「カサカサ」という微かな音が遠ざかっていった。


 日本の過疎地域を研究する専門家や役人たちは、過疎集落の中でも、若者たちが消え、65歳以上の高齢者が住民の半数以上を占め、コミュニティとしての存続が危ぶまれるケースを「限界集落」と呼ぶ。

国土交通省の2006年調査では、全国に7878の「限界集落」が存在する。


 海上保安庁の統計によると、日本は6852の島で成り立っているが、なんと、このうち6415は無人島だ。 知られざる島は意外と多いのだ。


 近ごろ、「限界集落」とされる僻地で、老人の姿がいつの間にか増えたような気がするといった話を聞かないだろうか。


 人が住んでいないはずの無人島近くを夜間に通りかかった船舶から、微かな明かりを見たという目撃談が増えてはいないだろうか。


 100歳以上の高齢者が全国で数十人も行方不明になっていることがわかった。 90歳、80歳、70歳と年齢を下げて調査すれば、行方不明者の数は計り知れない。


 彼らの多くは死んでしまったかもしれないが、どこかで生きているのもいるはずだ。 


 彼らは老人に冷たい日本社会から逃げ出して、自分たちの駆け込み寺となる秘密コロニーを作り、集団生活をしているという噂を耳にしたことはないだろうか。


 カモフラージュ型コロニーは限界集落であり、外部との連絡遮断型は無人島だ。


 秘密コロニーの存在は、まだ公的には確認されていないし、報道もされていない。

  

2010年8月16日月曜日

ラジオ体操のメンタリティ


 夏真っ盛り。 時の流れとともに風景は変わっても、神社や寺の境内、公園、広場で早朝に見られる光景は昔のままだ。 ラジオ体操。 


 親に叩き起こされたような寝ぼけ顔の小学生たちが、とても体操とは呼べないダラダラした動作を嫌々ながら続けている。 大音響のラジカセのわざとらしい元気な掛け声がなんとも空しい。 十年一日のごとく、こうして気だるい夏の一日は始まる。


 ラジオ体操は、まじめにやれば、きっと本当に健康に良いのだろう。 だが、子どもたちはなぜか昔から、適当に体操をやっているふりをして帰っていく。 いやなら参加しなければいいのに、無意味な体操なら止めればいいのに、朝寝の誘惑を断ち切って出席する。


 早起きが苦にならない老人たちには適度な運動になるらしく、彼らは夏だけではなく一年中、積極的に集まってラジオ体操をやっている。 彼らの動作がやる気のない小学生の動作に似ているのは興味深い。 老人たちは一生懸命やっているつもりでも、からだが硬くなっているので、さぼっている小学生程度にしか動けないのだ。 


 老人たちは別にして、たいていの子どもがやりたがらない夏休みラジオ体操なのに、それがえんえん続く。


 ラジオ体操は、1925年、米国のメトロポリタン生命保険会社が宣伝のために放送したのが始まりだ。 当時、米国へ視察旅行した逓信省簡易保険局の猪熊某という人物が帰国後、日本でのラジオ体操実施を提案し、1928年11月1日午前7時、天皇の御大典事業の一環で放送されたのが、日本での事始めとなった。


 NHKで放送を担当した軍人上がりのアナウンサー江木理一はマイクの前でパンツ1枚で体操をしていたという。 だが、照宮成子内親王もラジオ体操にご執心と聞くや、燕尾服の正装で臨むようになったという。 無論、当時テレビはなく、文字通りラジオ体操だったのだが。


 夏休みのラジオ体操会は、1930年7月21日、東京・神田万世橋署の巡査・面高某が神田佐久間町の佐久間公園で「早起きラジオ体操会」を始めたのが起源とされる。


 歴史は、ラジオ体操が昭和という時代に入り、官製の音頭取りで、日本が狂気の戦争へ突入するための助走を開始するとともに始まったことを教える。


 「早起きラジオ体操会」が始まった翌年1931年7月「ラジオ体操の歌」発表、その2か月後の9月、日本は中国東北部への侵略を開始(満州事変)。


 1932年7月、青壮年向けラジオ体操第2制定、「全国ラジオ体操の会」始まる(参加者延べ2,593万人)。 満州国独立。


 1933年、日本が国際連盟を脱退。


 1937年、日中戦争へ突入。


 1938年、国家総動員法。


 1941年、太平洋戦争。


  ラジオ体操は、国民の一体感を醸成し、無謀な戦争遂行に欠かせなかった全体主義支配体制構築に貢献したのだ。 実際、太平洋戦争後の一時期、ラジオ体操は軍国主義的色彩を理由に禁止されたことがある。


 それでは、なぜ戦後も夏休みのラジオ体操はだらだらと続いているのだろうか。 単なる惰性か。 まさか、全体主義国家復活のための地道な努力ではあるまい。 北朝鮮のマスゲームのように一糸乱れぬラジオ体操であれば、薄気味悪い。 むしろ、やる気のない、いいかげんな体操だから誰も文句を言わず、受け入れられているのかもしれない。


 それだけではなく、文句を言わずに参加するところに意義があるのだと思う。 個人よりも集団の意思を尊重する日本社会の集団主義形成の基礎を学ぶ場になっているのだ。


 どんなに疲労しても満員電車に揺られて出勤する父親たちのメンタリティを、小学生たちは早起きラジオ体操に、意思に反して参加することで学んでいる。


 だが、もう、それは止めたほうがいいかもしれない。 我慢のメンタリティは、戦後日本の高度経済成長の土台になったが、従順なヒツジたちの時代は終わった。 今後の時代は、ラジオ体操参加の呼びかけを平然と無視する強い個性を持つ悪がきたちが、新しい未来を冒険的に創造していくにちがいない。


(ラジオ体操を提唱した逓信省簡易保険局とは現在の「かんぽ生命」で、今も学校などを通じて無料配布されるラジオ体操出席カードの主たるスポンサー)

 




 


  

2010年7月30日金曜日

東京スカイツリーは壮大な虚像か


 東京・世田谷が高級住宅地になるずっと前、農村風景がたっぷり残っていたころ、どこからでも、西の地平には富士山がくっきりと見えた。 東は目印がないから、どこまで見えたのかわからなかった。 だから、奇妙な建造物が次第に高くなっていくのが何なのか、知っている人は当初あまりいなかった。 それが東京タワーだった。



 戦争に負けた日本が、有名なパリのエッフェル塔よりも高い世界一の鉄塔を作る。 そう、それはまさに、戦後復興の象徴である。 畑の胡瓜をかっぱらって、かぶりついていた世田谷の洟垂れ小僧たちも、遠くに見えるのが東京タワーだとわかると、東の地平を眺めることが、毎日の楽しみになったものだ。 東京タワーは、経済発展にばく進する戦後日本人の精神史に、くっきりと刻まれたモニュメントである。



 今、333mの東京タワーをはるかに凌駕する634mの「東京スカイツリー」の建設が進んでいる。 これも世界一だという。 テレビや新聞は折りあるごとに、高さがどこまで達したか、どれだけ遠くから見えるようになったかを興奮気味に報じている。 「ついに東京タワーを抜く」とか「400mに達する」云々。



  だが、世間の人たちは、”新東京タワー”にどれほどの関心があるのだろうか。 おそらく、少なくとも、興奮するほどのものではないと思う。 テクノロジーの発展で、この程度の高さの建築が難しくない時代となり、世界を見渡せば各地にニョキニョキと立っている。 決して物珍しくはない。



 そもそも、こんな巨大タワーを建設する必要が本当にあったのかどうか、よくわからない。


 来年7月にテレビ放送は地上デジタルに完全移行する。 地デジ電波を行き渡らせるには600mの高さの塔が必要で、スカイツリー完成後は全テレビ局が使用するという。 つまり、現在、全テレビ局が利用している東京タワーは要らなくなるというわけだ。


 東京タワー側も手をこまねいていたわけではなく、東京タワー改修案を出していた。 現在より30mほど高くして、デジタル放送用アンテナを350mの高さに設置するというもので、これで地デジ放送に十分対応できるという内容だった。 ”新東京タワー”の建設費500億円に対し、改修なら40億円で済むという。


 だが、マスコミはこうした動きをほとんど報じなかった。 これが税金を使う公共事業だったら、マスコミはこぞって、”新東京タワー”建設を税金の無駄遣いとこき下ろしたであろう。 ところが、逆に、テレビも新聞も声をそろえて、”夢の大事業”と称賛しまくっている。


 多分、見えないところで、国家意思が働いているのだと思う。 その意図は何か。


 馬鹿げた戦争に負けるべくして負け、打ちのめされた日本人が立ち直るときの象徴になった東京タワー建設の高揚感を人工的に再現しようとしているのだ。 


 日本が唯一自信を持てた経済が停滞し、国民の心はばらばらになり、中心を失った。 日本国民が再び一つになるには、サッカーW杯だけでは心もとない。 南アフリカで多少は頑張ったが、弱小国にしてはよくやったという域を出たとはいえず、しかも勝負は水ものだから、確かな中心にはなりえない。 本当は、東京オリンピックに期待していたのだろう。 だが、誘致に失敗した。


 もはや国民の心の再統一を推進するカードは、東京スカイツリーしかない。 国家意思は叫んだ。 「スカイツリーを宣伝しろ!!」


 最近、友人と車で東京から千葉方面へ高速道路で向かっているとき、巨大な建造物が目に入った。 「あれは何だ」「スカイツリーってヤツじゃないかなあ?」「うん、そうかもしれない」。 会話はこれでおしまい。 関心もなければ興奮もなかった。 少なくとも、われわれ二人のところに国家意思は伝わっていなかった。


 それより、不要になった東京タワーはどうなるのだろうか。 テレビ局が去れば、主たる収入は展望台を訪れる観光客に頼るしかないに違いない。それとて、もっともっと高いスカイツリーに奪われ先細りが目に見えている。


 現実的展望は、<解体>に違いない。 これは、すごい見ものになる。東京タワーの解体の方が感傷的で、国民の関心は、スカイツリーの完成より、はるかに高まるだろう。


 まるでビデオを逆回しするように、東京タワーがだんだん低くなって、ついには消えてしまう。 多くの人が涙にくれ、映画「三丁目の夕日」が全国で再上映されるだろう。


 かくて、東京タワーを葬り去ったスカイツリーは極悪人として、その姿をさらし続けることになるのだ。

2010年7月27日火曜日

山ガールたちの使命


 昨年の9月ごろから両膝の故障が悪化して、ジョギングどころか歩行にすら支障が出て、悪友から居酒屋に呼び出しを受けたときは、杖をついて出かけるはめになった。 そんなにまでして飲みに行くことはないだろと言われるが、飲みにいくなら車椅子だって買うだろう。 C'est la vie!!
 だから、苦痛に耐えて、テニスもスキーもやめなかった。 それはほとんど自虐的快感でもあった。 ただ、山歩きだけは控えた。 山の中で身動きできなくなるのは、やばい。 命とともに、様々な楽しみを捨て去る気はまだ毛頭ない。 とはいえ、山の自然と霊気の中に身を置く気持ち良さを諦めたわけではなかった。
 コンドロイチンだとかグルコサミンとか変形性膝関節症で擦り減った軟骨を回復するというサプリメントの広告が、ちまたには溢れている。 だが、医者の診断を信じれば、「あなたの関節に問題はない。 腱か筋肉の過労でしょう」。
 「だったら自分で治してやろう」。 春が来たころから、膝を中心としたストレッチング、それにサイクリングを開始した。
 ストレッチングは、腰痛をこれで治した経験があったからだ。 飲み屋の小上がりで長いこと胡坐をかいていると固まってしまう腰が完治した。 サイクリングは、たまたま膝の痛みが強いときに自転車に乗ってみたら、痛みが和らいだのを感じたからだ。 ペダルを踏むときではなく、膝を引き上げるときの動きが硬くなった筋肉をほぐすようだった。 とにかくサイクリングをすると膝が軽くなる。
 膝痛はみるみる改善した。 だが調子に乗りすぎるのはいけない。 パラオにスキューバ・ダイビングに行ったついでに参加した5キロの市民マラソンで痛みがぶり返してしまった。

 それで一から出直し。 どうやら体幹、体軸にしっかり乗って歩いたり走ったりすれば、膝への負担がかなり軽減されることがわかった。 つまり正しい姿勢で正しく動くこと。

 そして、ついに山歩き再開。 7月、高尾山、御岳山、大山と東京近郊三大ハイキングコースを制覇した。 いやー、嬉しかったね。 膝はけろりとしている。
 約1年ぶりの山。 それにしても驚かされたのは、山行く人々の様変わりだった。
 中高年の遊園地と化していた山々に、若い女たちがどっと繰り出していたのだ。 これは、ある種の浦島太郎体験だと思う。 膝の”闘病生活”のあいだに、山の世界は豹変していた。

 若い女たちは、奇妙なファッションを身にまとっていた。 ミニスカート風の腰巻、その下は派手なタイツやスパッツ。 東京近郊の低山を歩くにしては高価そうな山靴。

 第一印象は、カラフルなやぶ蚊。 やぶ蚊の黒と白の縞々をどぎつい原色で塗り替えたようなタイツがとくに人気のようで、あちこちで目にした。 ジジイ・ババアたちの従来のくすんだ色彩を小ばかにしたような色の氾濫。
 あのミニスカート風腰巻は、そもそも着けている必要があるものなのか。 おそらく、実用性の議論などは、ファッションからすればナンセンスでしかないのだろう。
 あとで、彼女たちが「山ガール」と呼ばれているのを知った。 誰かが仕掛けたビジネスらしく、ネットには「山ガール」のファッション・アイテムがずらりと並んでいる。
 まあ、最初は奇異な印象を受けたが、悪いことではない。 第一に、山に若者たちが帰ってきたのは嬉しいことだ。 若い女がいれば、金魚の糞みたいに若い男がぞろぞろついてくる。

 大学山岳部や○×山岳会がでけえツラをしていた光景は、もはや化石時代。 現代はみてくれの時代なのだ。 みてくれの追求が、山をはなやかにしてくれるし、日本経済の復活に多少の貢献だってしてくれるだろう。
 それにしても、「山ガール」が山で遭難でもしたら、新聞だとかのオールド・メディアは「ファッション登山に警鐘を鳴らす」なんてクソまじめな社説を掲げるに違いない。
 遭難しようが、右傾化メディアの好きな言葉で言えば「自己責任」だ。 彼女たちの使命は、つまらない批判にへこたれない精神的・肉体的強靭さを身につけることだ。
 山の復活は、当面、彼女たちの双肩にかかっているように思えるからだ。 いや、双肩じゃなくて、みてくれかな?
 というわけで、元気になりました。 C君、久しぶりに山に行きませんか?

2010年6月9日水曜日

心優しい中国人


 ”ナマ”の中国人を初めて見たのは、1980年代、ネパールと中国領チベットの国境だった(ナマというのは、日本や東南アジアに住む華僑や台湾人などではなく、本土に住む中国人という意味だ)。


 カトマンズからヤマハのレンタル・バイクで北へ向かった。 ヒマラヤの山ふところを縫う未舗装の道路を数回転倒しながら数時間。 たどり着いたところが国境だった。


 ネパール側の検問所から中国側の検問所までは、谷川をはさんで100mほど。 大きな中国語の看板には「友誼関」、つまり「友情の門」と書かれていた。 写真や映像でしか見たことのなかった青い人民服を着た数人の男女が、こちらに顔を向けていた。


 そこで、「友情」の意を表明するために、彼らに手を振ってみた。 すると、なぜか顔をそむけた。 さらに、大声で「ニーハオ!」と、3つしか知らない中国語のひとつを叫んでみた(あとの2つは、ウォーアイニーと謝々だから、この場にはそぐわない)。 だが、反応はなし。


 そむけた顔は感情を殺したような表情を保ち、彼らは「友情の門」の後ろの小さな建物に消えていった。 なにが「友情」だ。 クソ食らえ。


 最初に遭遇した中国人の印象は最悪だった。 そして、それ以降、何度か中国人との接触があったが、印象はさして改善されなかった。


 1989年、天安門事件の直後、初めて中国へ行った。 このとき驚かされたのは、北京の雑踏で人とすれ違うとき、中国人はからだを半身にしてよけるという習慣がないことを発見したことだ。 どうするかというと、まるで喧嘩を売るようにぶつかるのだ。 上海のホテルでは、エレベーターに乗ろうとする人がいても、すでに乗っている中国人は決して<開>のボタンを押して待ってあげるということをせず、ニヤニヤしているだけだった。


 その後の経済発展で、世界各地で騒がしい中国人観光客が目立つようになった。 彼らのマナーはどうにもいただけない。 結局、右傾化する日本社会で見られる反中国感情には反発しつつ、今まで、中国人をどうしても好きになれずにいた。


 だが、最近、中国人はどんなにマナーが悪くても、気取った日本人より、はるかに人間的だと感じさせられる光景に出会った。


 きっと、ラオックスあたりで大きな買い物をした中国人旅行者たちだったのだと思う。 山手線の秋葉原駅から、どやどやと乗り込んできた。 日本の駅前商店街の古臭い洋品店で売っているような野暮の骨頂といった服装の男たちが10人ほど。 集金人の持つような黒いショルダーバッグを下げているのも同じ。 例のごとく、大音響の会話。 


 その1人が空いた座席をみつけて座り、立っている仲間と夢中で会話を続けていた。 だが、すぐそばに日本人の老婆が立っているのに気付くと、さっと立ち上がって席を譲った。 他人のことなど意に介さない連中だという固定観念が、突然壊された。


 老婆の前には、きちんとした身なりのOL、サラリーマン風の男女が座っていたが、当然の権利とばかりに平然としていた。 あるいは、とぼけていたのか。


 世界で顰蹙を買っても心優しい人々、見てくれは大事にするが心貧しい人々。 人間としての底力が違うのではないか。 たった1回見ただけの光景だから、これだけで、すべてを判断してはいけないのだが…。

  

2010年5月24日月曜日

異邦人


 アルベール・カミュの名作「異邦人」(窪田啓作 訳、新潮文庫版)について、最近、文芸評論家・斉藤美奈子が読売新聞に面白いことを書いていた。

 もし邦題が「異邦人」ではなく「はぐれ者」で、有名な書き出し「きょう、ママンが死んだ」が「きょう、オカンが死んだ」とかだったら、印象は全然ちがっただろう、というのだ。

 この筆者の歯切れの良い評論も悪くはないが、それは置いといて、この文庫本をジーンズの尻ポケットに突っ込んで、小説の舞台であるアルジェに旅して読んだことを思い出した。
 地中海に面したアルジェは、港の後ろに海沿いの大通りがあり、その背後にフランス植民地時代からの建物が並ぶ旧市街が広がる。 背景には緑の小高い丘が連なり、金持ちや外国人の住居、大使館などが点在する。

 「異邦人」に描かれているのは、古くからある旧市街で昔からの街並みが今もほとんど変わっていない。 だから、衝動的な殺人を犯し死刑判決を受ける主人公ムルソーが住んでいたアパルトマン、勤務していた港近くの海運会社事務所、女友達マリイと出会った海水浴場などを、現実に存在するものとして見ることができる。

 おそらく、それは錯覚ではない。 アルジェリアへのフランス人植民者の家に生まれたカミュがアルジェ大学に入学した1930年代に撮影されたセピア色の写真と現在の光景とは、さしたる違いがないのだ。 変貌が日常化した日本とは、歴史という縦糸と社会という横糸の紡ぎ方が根本的に異なるのだと思う。 

 「異邦人」とほぼ同時代に書かれた川端康成の「雪国」の舞台・越後湯沢の現在に、しっとりとした温泉街の雰囲気はもはやない。 巨大な新幹線駅舎とリゾートマンション群が支配する町で、駒子の面影をどうやって思い描けというのか。
 「異邦人」は、実在する死刑囚ムルソー自らが綴った自伝ではないかと思わせるような、心象風景の詳細かつ繊細な描写が凄い。 だから、ムルソーが”生きていた”ころと変わらないアルジェの街でこの小説を読んでいると、自分がムルソーと同じアパルトマンに住む隣人であるような生々しさを感じるのだ。
 小説というものは、「ママン」を「オカン」にするような姑息な言葉遊びなどではなく、異なる場所で読むことによって、内容がまるで違う印象を受けるし、理解の仕方も変化する。

 イラクの首都バグダッド。 チグリス川を見下ろすラシド・ホテルで平凡社の東洋文庫「アラビアン・ナイト」を読む。 語り部シャハラザードの声が確かに聞こえる。
 ジョン・スタインベックが愛犬とアメリカを旅行したエッセー「チャーリーとの旅」をアメリカの安モーテルのベッドで読む。 ノーベル賞作家が「アメリカは漠としすぎている」と耳元でぼやく。
 太平洋の小さな島国の大統領の不思議な物語、池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」。 パラオで読むと、美しい珊瑚礁の魚たちよりも地上の怠け者の人間たちにいとおしさを感じる。
 旅とは本との出会いでもある。 エルサレムに行ったら、宗教心があろうがなかろうが、旧約聖書がお勧めだ。 文化人類学の書物だと思って読むと、パレスチナ人を追い出してイスラエル国家を作った目の前にいるユダヤ人たちの古代の生活にふつふつと興味が湧いてくる。 面白いものだ。
 今、日本人が東京で読むとしたら、村上春樹の「1Q84」ではなくて、ジョージ・オーウェルの「1984年」だろう。 オーウェルが描いた暗い未来の管理社会と現実の管理社会を自虐的に比較できるからだ。

2010年5月18日火曜日

ホームレスにたかる



 ん十万円するロードバイクを買った友人が使わなくなったマウンテン・バイクをタダで譲ってくれた。 多摩川の川縁を自転車トレッキングするのに欲しいと思っていたので、とても嬉しかった。

 ただ、ごついマウンテン・バイクをほんの少しカスタマイズして、マッチョの概観をおとなしくした。 ハンドルバーを10センチほど、ちょん切って、太くてゴツゴツしたタイヤを細身のものに替えた。 本格的なダウンヒルや山行をしないなら、これで十分だし、街中を軽快に走れる。

 スマートでかっこいいが細くて硬いサドルも、乗り心地の良いママチャリ用のに替えたかったが、あのダサイ見かけのサドルが2、780円もしたので、とりあえずは現状で我慢することにした。

 早速、トレッキングに出発。 土手の上のサイクリング・コースしか走れないロードバイクから、マウンテン・バイクに乗り替えて飛び込んだ草むらのサイクリングは、想像以上の面白さだった。

 土手からは遠い水面が目の前にせまる。 草むらからムクドリが自転車に驚いて飛び立つ。 野糞をしている男の尻からは目をそむける。 思い切って背丈の高い草むらに自転車ごと突っ込んでみた。 ちょっとした子どもっぽい冒険。 自然の中を突っ走る爽快感。 土手を越えて水辺に近づくだけで、世界が一変するのだ。

 それにしても、問題は、やはりサドルだった。 スピードを競うならサドルにまともに座ることはないが、お散歩トレッキングとなると、でこぼこ道でも尻をどっしりとサドルに載せてしまう。 これが続くと、結構しんどい。

 尻が痛いのを我慢していたとき、河原の草むらのむこうに、まるで幻想のように、買いたいと思っていたママチャリのサドルがいくつも見えた。 ウソだろ? 

 近づいてみると、そこはホームレスのブルーハウスだった。 ポンコツの自転車が何台も放り出してある。 50がらみの男が一人立っていた。青ざめた顔色の高収入サラリーマンと違って、健康的に日焼けしていた。 声をかけてみた。

 「自転車がたくさんあるけど、サドルだけひとつくれないかなあ?」 「自転車なんか、河原のあちこちに捨ててあるから、構わん。 これ、今、オレが使ってるやつだ。 持ってきな」

 「ダメモトでとりあえず声をかけてみるもんだろ」と、こっちが言おうとしたセリフまで言ってくれた。

 二子橋と丸子橋の中間あたりの東京側。

 「このあたりで釣れる鯉は臭くないよ。身を薄く切って塩もみしたあと、よく洗う。それをかるく湯通ししたのをポン酢で食う。 今度は釣竿を持ってきな。釣り方教えてやるよ」 「いやー、ありがとう。 サドルをもらって、鯉の調理法まで教えてもらって」

 マウンテン・バイクに乗ると、ホームレスの友達までできるのだ。 もらったサドルを装着してみると想像した通りの快適な乗り心地。

 本当に、釣竿とお礼の焼酎でも持って、また、あのホームレスのところへ行ってみよう。

 ただ、こういう話は面白がるヤツもいれば、生理的な嫌悪感を覚える潔癖症のヤツもいる。 話す相手は気を付けて選ぼう。

2010年5月13日木曜日

南の国のマラソン大会


 スキューバダイビングが目的で南太平洋パラオに行って、到着早々、地元の新聞を雑貨屋で買った。 外国旅行をするとき、その国の様子をいち早く知るには、新聞と市場をながめるのが一番だ。


 今回は、パラオの赤十字協会が開催するwalkathon(ウォーカソン)の記事が、まず目にとまった。 walkathonとは、本来、寄付集めのためのウォーキングやジョギングの大会を意味するそうだが、「参加者全員にTシャツ」というのに気を引かれた。


 開催は5月8日、俺の滞在中じゃないか。 5キロと10キロの2部門。 午前5時登録開始、6時スタートは、ちょっと早すぎるが、5キロ歩いてTシャツ1枚もらえるのは悪くない。というわけで参加することにした。


 しかし、当日、案の定、寝坊した。 スタート地点のナショナル・ジムにたどり着いたときは5時55分。 スタート・ラインのうしろには、すでに数百人の参加者が集まり、合図を待っていた。 とはいえ、登録受付のテーブルには、まだ人がいた。 あわてて手続きを終えたときには、参加者の集団は動き出していた。


 先頭を行く連中は、walkathonというわりには早い。突っ走っていく。 まあ、勝手に行くがいい。 こっちは楽してTシャツをせしめるのが狙いだ。 が、最後尾でも歩いているのは、ほとんどいない。 なんだか、つられるように、いっしょに走り出してしまった。 息の上がらない程度の超スローペースだが。


 横を行くパラオ人が話しかけてくる。 「日本人か? パラオでもNHKが見られるから、野球放送を楽しみにしているんだ」、「私の祖父は日本人でナカムラというんだ。 そう、前のパラオ大統領と同じ名前だ。 ナカムラは頭がいいんだ」、 「普段は、自分で木を削って作った銛で魚を獲っている」


 走りながらだから、雑多な人々との雑多な会話となる。 「オレは米軍に入ってテキサスにいたことがある」と、コニシキみたいな大男。 おかげで、退屈はしない。 サンダルを履いてペタペタ走る小柄な女の子が追い越していく。


 走っているうちに、ずいぶん前に、インドネシアの首都ジャカルタで初めて市民マラソン大会に出たときのことを思い出した。 やはり早朝で距離も5キロ程度だったと思う。 市中心部のモナス広場近くから市を南北に貫くタムリン通りを南へ行って折り返すコースだった。 いつもは車があふれている道路が市民ランナーに開放されるのだ。


 「マラソン大会」と名が付くので、初めてでもあり、それなりの緊張感を持って参加した。 パラオと違い人口大国インドネシアでは参加者も多い。 スタート時の人ごみが多少まばらになって、まわりを見て驚いた。 自転車に乗っているのも、ローラースケートを履いているのもいるではないか。 なんだ、ずるいじゃないか!! そのうち、ランナーの中からは、折り返し点前で中央分離帯を乗り越えてUターンするのが続出した。 まじめに走っていて、ひどくバカバカしくなってきた。


 だが同時に、これが市民マラソンなんだと知り、面白さと魅力を知った。


 トルコのイスタンブール。 ヨーロッパとアジアの境界とされるボスポラス海峡に架かる自動車専用の吊り橋を走る「ユーラシア・マラソン」も魅力的だった。 大会名が雄大だし、橋の上からヨーロッパとアジアを同時に見渡すのもすごい。 参加賞のTシャツはゴールしないともらえないはずだったのに、途中で脱落して帰ってしまった友人も手に入れていた。 今にして思うと、あれはなぜ可能だったのだろう。


 パラオのwalkathonは、5キロを40分で無事完走した。 ゴールで引換券をもらい、赤、黄、緑のTシャツの中からMサイズの赤を選び、ホテルに帰った。


 早速、Tシャツを広げてみる。 胸に「13th Annual Walkathon May 8, 2010」、右袖にスポンサーの「Bank of Hawaii」のマーク。 生地も悪くないし、かっこいい。


 だが、ふと見ると「$3.95」の値札まで付いていた。 いいなあ、南の国の人は、日本人みたいに細かいことに神経を尖らせないで。

2010年4月13日火曜日

ハート・ロッカーは非現実的だが…


 今年のアカデミー賞は、イラク戦争を題材にした「ハート・ロッカー」(The Hurt Locker)が、作品賞をはじめ主要部門を総なめにした。 あの安っぽい筋書きの立体紙芝居「アバター」でなくて、ほっとした。 「アバター」を選ばなかったことで、アメリカ人のオツムにも想像以上に精神的デリカシーのあることが、わかったからだ。

 それでは、「ハート・ロッカー」の方は、どうなのだろうか。 渋谷・道玄坂の映画館に行ってみた。

 平日の午後という時間帯では同情の余地はかなりあるが、500人は入れる館内の座席に座っているお客は50人程度。 娯楽性をひたすら追求した「アバター」の熱気で華やいだ上映風景とは、なんという違い。 くら~い戦争がテーマでは仕方ないのか。

 舞台は爆弾テロの横行で恐怖が支配した2004年のイラク。 hurt locker とは、米軍のスラングで、「棺桶」を意味するそうだ。

 映画は、ドキュメンタリー・タッチで、危険の最前線にいる米軍爆弾処理班の兵士3人が直面する恐怖への対応ぶりを描く。

 映画に登場する3人の兵士とは、死の恐怖に酔った戦争中毒者、経験で冷静さを培ったまともな兵士、経験不足で恐怖に震える新参もの。 危険の現場での3人の異なる対応ぶりは、実にリアリスティックに描かれていた。

 日本の戦争映画で見られるような、芝居がかった勇敢さや逆の臆病さではない。 ジャーナリストとして、戦争の現場で実際に目撃した兵士、一般人、ジャーナリストなど、恐怖の只中に置かれた様々な人間たちが見せたのと同じ表情がそこにあった。

 押しつけがましいメッセージはない。 あえて、この映画から感じるメッセージは何か、といえば、「良い戦争も悪い戦争も醜い」。

 だが、手に汗握る爆弾処理の緊張感がこの映画の質の高さを示す一方、いくつかの場面では、こんなことが現実にあるのだろうか、と首をひねってしまった。

 例えば、爆弾処理班の3人だけが武装車両に乗って、イラクの砂漠をうろうろしていて戦闘に巻き込まれる場面。 爆弾が発見されたときに出動する彼らが、まるで偵察中の戦闘要員のように、独立して危険な砂漠で行動することがあるのだろうか。
 同じように、バグダッドの街、しかも夜の路地裏で、爆弾処理の3人が発砲しながら”テロリスト”を追いかける。 2004年当時、日本のメディアでも繰り返し報じられたように、バグダッドの市中は、米兵からすれば、イラク人のすべてが”テロリスト”に見える恐怖が支配していた。 そんな状況下で、対テロ専門要員でもない兵士が、未経験の追跡行動などとれるだろうか。

  米軍のオンライン新聞「Air Force Times」には、面白い記事が掲載されていた。 イラク南部ナシリヤで、「ハート・ロッカー」の感想を現場の兵士たちに聞いてまとめたものだ。 それによれば、映画はやはり現実とは異なる。 とくに主役となった戦争中毒の兵士に関しては、「まさに、我々が求めていない男」と言わせている。 また、映画の中で描かれたような行動は、軍では絶対に許されないと指摘している。

 イラク、アフガニスタン退役軍人のブログのいくつかも、爆弾処理班があんな行動を取るわけがないと手厳しい。
 どうやら、軍の専門家からすると、この映画は「リアリスティック」ではないのだ。 この反応は、実に興味深い。 なぜなら、「ハート・ロッカー」を称賛する映画評論家たちは、米国でも日本でも、「リアリスティック」であることを、その理由に挙げているからだ。

 そもそも、非現実ないしは仮想現実である映画の世界にのめりこんで生活している映画評論家なる種族が、「リアリスティック」などという単語を発すること自体が矛盾している。 とは言え、現場を知っている専門家が「非現実的」と言い、何も知らない素人が「現実的」と感じるところが、映画の映画たる所以かもしれない。

 しかも、素人たちは、”非現実的な現実”に感動し、「戦争とは何か」を考えるきっかけを得る。 「ウソも方便」と言っては言いすぎであろうが、「現実」につきまとわざるをえない退屈な時間の流れ、散漫さをはしょって、「真実」を抉り出せるなら、「非現実」もいいんじゃないか。

 「アバター」を見終わって映画館から出てきても「面白かった」だけで忘れてしまうかもしれない。 だが、ある種の映画は人の心のロッカーに何かを残してくれるのだ。 

2010年4月8日木曜日

ツクシの再発見


 この春一番の発見は、ツクシの味だった。 サクラが咲くより前、冬の気配がやっと消えたころ、東京でも青くなってきた草むらからツクシが顔を出していた。 


 もくもくとツクシを摘んでいるオヤジに、食べ方をきいてみた。 「油で炒めて甘辛く味付けするとビールのつまみにいい。 詳しい作り方は女房にきかんとわからん」。 そばにいたオバサンが「あく抜きなんかしなくても食えるよ」と教えてくれた。


 「それならオレも」と、ジャケットの両のポケットがいっぱいになるくらい摘んで、うちに帰り、早速調理してみた。 かなりいいかげんな味付けだったが、うまくできた。 確かに、あのオヤジが言ったとおり、ビールのつまみに悪くなかった。 心が満たされた春の夕暮れ。


 味をしめ、翌日も取ってきて、またビールを飲んだ。


 サクラが散り始めた今では、もちろんツクシは消えている。 もう来年まで食べられないのかと思ったら、ツクシという植物が一体何なのか、「春の風物詩」という以外、まったく知らない自分に気が付いた。 惚れた女の素性がわからないようなものだ。


 そこで調べてみて驚いた。 ツクシは女に例えれば”毒婦”だったのだ。


 ツクシの正式名称はスギナ。 日本語では土筆だが、英語ではhorsetail、馬の尻尾だ。 多年生のシダ植物。 北半球の温帯に広く分布している。 ツクシとは、春になると地中から出てくる胞子茎のことで、頭の部分から胞子を飛ばし、そのあと枯れる。 根茎は地中に長く張り巡らされ、その節から、ツクシとは似ても似つかない栄養茎が出てくる。 緑色で細い茎、関節から輪状に細い葉を伸ばす。 丈は40センチ程度だが、形が杉の木のようにみえる。 スギナの名前の由来だ。


 ツクシは愛らしい外見とは裏腹に、その根茎はしつこく蔓延り、農業者には駆除しずらく憎々しげな雑草だ。 毒婦が表面には出さない素顔である。


 毒婦の毒婦たる所以はそれだけにとどまらない。 ツクシには本物の毒があるらしいのだ。


 詳しく説明しているのは、厚生労働省の「『健康食品』の安全性・有効性情報」だ。 国民の税金で集めた国民のための情報なのだから、国民が自由に利用できなければ意味がないと思われるが、なぜか、「無断利用禁止」になっている。 こんな馬鹿げた役人のたわ言は無視して、一部を引用してみよう。


           +           +          +

 ・経口摂取で長期摂取した場合、おそらく危険と思われる。短期の場合も危険性が示唆されている。

 ・スギナにはチアミナーゼ様活性があるため、経口摂取するとチアミン欠乏を引き起こすことがある。

 ・無機ケイ素を含むので、高用量のスギナを摂取すると、発熱や四肢の冷え、運動失調などのニコチン様中毒を起こすことがある。ニコチン過敏症の患者がスギナを摂取したところ、皮膚炎を発症したという報告がある。

 ・子供にとってはおそらく危険と思われる。茎を噛んだ小児でニコチン様の中毒作用がみられたという報告がある。

 ・妊娠中・授乳中の安全性については充分なデータがないため、摂取は避けたほうがよい。

 ・外用の副作用として脂漏性皮膚炎が知られている。

 ・スギナ茶粉末の摂取者で皮膚炎の報告がある。

 ・腎結石患者を対象にスギナを摂取させたところ、副作用として腹部膨満や排便回数の増加、悪心が認められたという報告がある。

           +           +           +


 地中のミネラルをたっぷり吸収したツクシには薬効があると言われるが、現代科学はそれを裏付ける材料をみつけていない。 ツクシを”毒”とみなしていると言っていい。


 食べ物でも人間でも毒は味に深みを与える。 とはいえ、来年も毒婦ツクシを口にするかどうか、心が揺らぐ。 

2010年4月5日月曜日

イギリスを馬鹿にするな!!




 イアン・フレミングの007シリーズを全部読んだわけではないが、イギリスの秘密諜報員ジェームズ・ボンドが食べる料理で登場するのは、記憶にあるかぎり、朝食のベーコン&エッグだけだったと思う。 確か、カリカリに炒めたベーコンの味の良さを、ジェームズが事細かく説明し、礼賛するのだ。                       


 全体のストーリー展開からすると、たかだか朝食のベーコンに関する、詳細すぎる記述はバランスを欠く。 本筋とは関係のないディテールでもある。 だが、おそらく、この感想は外国人だから抱くものであろう。 イギリス人読者には大サービスなのだと思う。


 イギリスの食事は、朝食を除けば、ほとんど見るべきものはない。 ただ、ボリュームのある朝食だけはイギリス料理を馬鹿にする外国人も評価する。 自国の料理を自虐的にけなすイギリス人が自慢できるのは朝食くらいしかない。 イアン・フレミングは褒めようのないイギリス料理を小説家らしいシニカルさで褒めてみたのだ。


 言い古されたジョーク。 「世界で一番みじめな男とは?」「日本の家に住み、中国の給料を貰い、アメリカ女を妻にし、イギリスの食事をとるヤツさ」


 かつて大英帝国は世界を支配し、イギリス人は各地に足跡を残したが、イギリス料理は痕跡すら見あたらない。 ローストビーフとフィッシュ&チップスはイギリス発祥というが、単純な料理だから似たような料理は世界中に存在していたであろう。


 イギリス人の偉大さは、むしろ、自らの食文化を持たなかったことだと思う。 食事に拘らなかったからこそ、見知らぬ土地へ臆せず入りこむことができた。 そして、自国の食事のまずさを自覚していた彼らは、冷酷な侵略者でありながら、他国の食文化には実に寛大であった。


 イギリスの食事がまずいというのは、実は、半面の真実でしかない。 ロンドンの中国料理レストランの味は、パリのレストランより、はるかに上だ。インド、アラブ、タイ、ベトナムなど各国料理も、かなりのハイレベルにランクされる。


 フランス人が見下しているイギリスは、フランスばかりでなく世界のワインの最大の輸入国でもある。 ワインを飲むということは食事を楽しむということだ。 つまり、イギリス人は食事を楽しんでいる!!


 イギリス人を馬鹿にするのはやめよう。 明治以来の日本は、あらゆる知識、情報を西欧経由で輸入した。 インドのカレーだって、イギリスでアレンジされたものが日本に伝わった。 他国の食文化を丸呑みするイギリスがなかったら、日本の国民食カレーライスも、そこから派生したカレーパンも、この世に存在しなかったにちがいない。


 要するに、イギリスの食文化は貧弱だったゆえに偉大なのだ。

 (唐突に、イギリスの食文化などをテーマにしたのは、先週、読売新聞のコラムが取り上げていたのを読み、何か補足してみたくなったからだ)
 

2010年4月2日金曜日

”幸せって 何だっけ 何だっけ”



 早朝のスーパーマーケット。 男の客が多いことに、近ごろ気付いた。 むしろ、女より男の方が多いかもしれない。 朝っぱらから酔っ払って、缶チュウハイを買いにきた近所の公園居住のホームレスがうろついている。 その横をスーツ姿の若い男たちがすり抜け、298円の弁当をさっと掴んでレジに向かう。 そして隠居生活に入ったとおぼしき高年齢者たち。

 どいつもこいつも、ろくな食生活をしていない。 豊かさの中の貧困。 スーパー店内で、なかでも気になるのは、高年齢者たちのカゴの内容だ。 いちいち覗いているわけではなく、レジに並べば他人の食生活があからさまに見えてしまう。

 彼らが買う食料は、出来合いの惣菜、レトルト食品、インスタントの麺類が主体。 納豆、豆腐、ハム、ソーセージ、サバ缶など、火を通さずに食える品がそれにう加わる。 コーヒーや日本茶もペットボトルで買い込む。

 こうした品目から想像するかぎり、彼らは自宅で料理をしない。 ここで言う料理とは、野菜、魚、肉などの食材を自分で調理して食卓に並べて食べるもので、どこかの工場で製造された袋の中身を取り出し、電子レンジで温めて口に放り込む行為は、市場経済システムの最終処理段階でしかない。


 朝の男たちに気付いて、夕方のスーパーも観察してみた。 かつて買い物は主婦の仕事だった。 だから、男の姿が多いことに今さらながら驚いた。 もちろん、カゴの中の個人生活もじっくり観察した。 朝とそれほどの違いはないが、缶ビール(主として、発泡酒か第3のビール)、紙パック入りの日本酒、焼酎が加わる。


 そういえば、朝のジョギングのあとコーヒーを飲むために立ち寄るファミリーレストランで、老人たちが一人もくもくと朝定食を口にしている姿を何度も見たことを思い出した。


 おそらく、彼らは妻に先立たれた、妻がいたとしても夫が介護をしている、などと想像する。


 とくに、一人身だとすれば、食卓風景の寂しさは思い描きたくもない。


 料理をしない、できない男たちが長生きして、何を楽しみに生活しているのだろう?


  ♪ 幸せって 何だっけ 何だっけ ♪
  ♪ 幸せって 何だっけ 何だっけ ♪


 明石家さんまがノーテンキに、なおかつ、しつこく繰り返して歌うキッコーマンのCMソングは、哀しく老いた男たちをいたぶる残虐行為にもきこえる。

2010年3月28日日曜日

夜が明けたら


 敷・礼金なし!!
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1ヶ月¥40,000,¥55,000,¥58,000
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TEL 090-××××-××××

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 東京・池袋東口。 早朝、サンシャイン・ビル近くの飲食店街を歩いていたとき、電柱に貼られ、3月のまだ冷たい風にはためいている手書きのビラが目に留まった。

 これが、その内容だ。

 誰でも、保証人なしで1ヶ月、もっと短く1週間単位でも寝泊りできる、しかも敷金、礼金なし。手ぶらだったら、テレビも布団も貸すことができる、銭湯に行く金がないなら毎日5分間のシャワーならタダ。 
 
 家賃と言うべきか宿泊費と言うべきかわからないが、その金額は格別安くはない。 それより注目すべきは、「住民登録可」という項目だろう。

 この電柱ビラが相手にしようとしているのは、明らかに、都会のホームレス、しかも、住民登録をして、まともな職に就いてホームレスから脱しようとする人たちであろう。

 住民票のない根無し草を普通の企業が雇うことはありえない。

 この安っぽいビラを作った人物は、社会の底辺の澱みから這い出そうとしている人々を救おうとする人道主義者なのか、それとも彼らの一縷の望みを食い物にしようとするワルなのか、あるいは、お互いの利益になれば、なんでもいいという”人道主義的ワル”なのか。

 池袋、午前6時30分。 たなびくビラの横を、徹夜で歓楽街の自堕落な時間を過ごし、蒼ざめ虚ろな顔をした男や女が駅へ向かう。反対方向のバスターミナルへ歩いているのは、スノーボードを担ぎ、妙に明るい表情をした同年代の若者たち。

 連れ込みホテル前のゴミ置き場では、カラスの饗宴が続いていた。

2010年3月19日金曜日

”ドーハの喜劇”


 もう何年も前にタバコをやめた。 今、やめて良かったと思っている。 健康のことも考えないわけではないが、なによりも、気持ち良く煙を吹かせない時代になってしまったと感じるからだ。 嗜好品というものは、まわりに気遣いなどせず、心置きなく楽しむものだ。 喫煙の規制と非(and 反)喫煙主義が強まる環境でタバコを吸っても、心が和むどころか、逆にストレスがたまってしまうだろう。

 禁煙してみて最初に気づいたのは、嗅覚が非常に敏感になったことだ。 ときには、数十メートル離れてタバコを吸っている人の存在を臭いでみつけることがある。 タバコを憎悪する人々の気持ちもわからないではない。 だが、どんなに過激な禁煙運動グループでも、路上で喫煙者に襲いかかることはないだろう。

 日本の捕鯨船を攻撃するシーシェパードの行動は、路上喫煙者に石ころを投げつけるような行為と言えるかもしれない。 とても受け入れられない。 が、過激な運動の背後に広がる国際的な反捕鯨の気運に目を向けると、クジラを食っても旨くはない。 旨く感じない理由はタバコと同じだ。

 クジラ資源の枯渇、知能動物クジラへの同情などが世界で叫ばれても、日本は反論し、「捕鯨は文化だ」と主張する。 その通りかもしれない。 だが、 「文化」であれば永遠に持続するとはかぎらない。

 最近は日本でもリゾート地として人気が出ている南太平洋フィジーの人々のもてなしには、心温まるものがある。 彼らが19世紀に重要な伝統文化を捨てなかったら、現在の観光パラダイスは存在しなかった。 その文化とは「人食い」だ。 19世紀フィジーの国王だか大酋長は、生涯に90人の人間を食べた記録を持つ。 

 カンボジアで200万人の国民を虐殺したとされるポル・ポト派の兵士たちは、古い伝統に則り、戦闘で倒した敵兵の肝臓を抉り出して食べたという。

  「首斬り朝」の劇画でも知られる江戸時代日本の死刑執行人・山田浅右衛門家は、試し斬り用の罪人の死体から、肝臓や胆嚢などの内臓を取り、これらを原料に労咳の丸薬を作って売り、大きな収入源にしていたという。 この商売は明治初めまで続いたそうだ。

 日本人は、世界から(正否は別にしても)白い目で見られながら、クジラを食べ続ける必要があるのだろうか。 かつては小学校の給食でもクジラの竜田揚げが出た。それは贅沢ではなく、当時は一番安い肉だったからだ。 今、クジラ肉は高い。 たまに食べると、確かに旨いと感じる。 だが、飽食日本には、ほかにも旨いものは数え切れないほどある。 それに、「調査捕鯨」などというマヤカシが生み出す贅沢は不自然でもある。

 そして、クロマグロ。

 絶滅危惧種として国際取引が禁止される恐れが出てきたとマスコミが大騒ぎしている。 クロマグロは日本の食文化を代表する寿司に欠かせないそうだ。またもや「文化」だ。

 自らの食文化、じゃなかった食生活を振り返ってみると、クロマグロは最後にいつ食べたか思い出せないほど、遠い記憶のかなた。誰かにクロマグロのトロをご馳走してもらって、脂っこさに辟易したのは、いつのことだろうか。 

 普段は、キハダでもメジでもビンナガでもマグロと名の付くものは、ほとんど食べない。 いつも、サバ、アジ、イワシ、コハダの青モノに徹している。安くて精神的にも健康な気分になれるからだ。

 現在の平均的日本人が日々の生活で、超高額なクロマグロを口にすることは非常にまれであろう。 だから、禁輸になっても困ることはなにもない。つまり、どこの誰がクロマグロで大騒ぎしているのか、よく見えてこないのだ。

 それにしても、クジラもクロマグロも、日本政府と日本の利益団体とその取り巻きが主張するように、本当に資源枯渇の恐れはないのだろうか。 

 絶滅危惧種の国際取引禁止を決めるワシントン条約締結国のドーハ会議は、委員会段階で、幸か不幸か、モナコが提案したクロマグロ禁輸を否決した。 本会議での採択が難しくなるような大差の否決だった。

 事前の日本報道では、日本がいくら画策しても否決に持ち込むのは難しいと、かなり悲観的だった。ところが、蓋を開けてみると、「大逆転」も現実味を帯びてきた。 バンクーバー冬季五輪のメダル皮算用大外れとは逆の展開だ。

 このままドーハ会議が終わるとすれば、きっと、なにかの利権を巡って、誰かが得をし、誰かが損をするのだろう。それが政治というものだ。

 そして、「日本文化」の埒外にいるクロマグロと一般大衆日本人には何も残らないのか。 せめて、日本政府は、禁輸阻止祝賀大放出のクロマグロ無料配布券を全国民に配布すべきだ。

2010年3月13日土曜日

美しくも醜悪な…



 最近、久しぶりにカメラを買った。すっかり気に入って散歩やジョギングにも持ち歩き、手当たり次第にシャッターを押すようになった。


 そのうち、被写体として、日向ぼっこをしたり、散歩をしている老人たちが気に入ってしまった。


 動作はにぶくて、ぎこちない。表情は変化が乏しく、暗く沈んでいる。だが、撮影した画像を見ると、そこには、しっかりと生きている人間の姿がある。実はたいした生涯ではないのかもしれない。おそらく、街ですれ違うジジイ、ババアのほとんどは、馬齢を重ねてきただけに違いない。


 それでも、老人たちの姿には惹かれるものがある。一人の人間が生きてきた歴史を感じるからだ。

 だが、これが偽善的な老人賛歌であることを、たちまち思い知らされた。

 たまたま、特別養護老人ホームの近くを歩いていたとき、前から老夫婦とおぼしき二人連れがやって来た。夫の座った車椅子を妻が押していた。

 シャッターチャンスを逃すまいとカメラを構えようとしたとき、妻が手を離したせいか、車椅子があらぬ方向へ動きだし歩道からはみ出しそうになった。すると、妻はあわてて車椅子をひっつかみ、凄い剣幕で夫の後頭部を平手で何度も叩きながら、激しい罵りの言葉を浴びせかけた。

 醜悪そのもの。写真を撮る気は失せた。目の前に来た老妻に向かって、「そんなに叩かなくてもいいだろ!」と、どなってしまった。

 ところが、ババアは負けずに、こちらを睨み返して吐き捨てるように言い返した。

 「あんたなんかに、わかるわけないだろ!」

 そう、このクソババアは、彼らの疲れ果てた夫婦関係も、人生が醜くもあることも、お前なんかに「わかるわけないだろ!」と見透かしたのだ。

2010年2月15日月曜日

スノボ国母の”快挙”


 オリンピックに出場する日本人選手が成田空港を出発するテレビの光景をセピア色にして、どこかの鉄道駅に場所を移すと、太平洋戦争中の出征兵士の姿といかほどの違いがあるだろうか。


 オリンピックは、最高の能力を持つアスリートたちによる世界最大の運動会だ。それだけで十分楽しめるのに、オリンピックは国家間の擬似戦争の色彩も帯びる。日本では、マスコミやマスコミに煽られた人々が、選手たちに、オリンピックという戦場での日の丸を背負った玉砕精神を求める。


 だから、選手たちは清く正しく礼儀をわきまえた”皇民”であらねばならない。成田空港での出発に際しては、「お国にためにがんばってきます」風の言葉と態度が当然であり、要求されるのだ。

 そこに突然、”非常識な”ガキが登場した。2月9日、バンクーバー冬季大会に出場するスノーボード代表・国母和宏が成田に現れた姿がテレビに映されると、マスコミによれば、非難の嵐が巻き起こった。

 ゆるめたネクタイ、ズボンの外に出したシャツのすそ、ズボンはずり下げた腰パン、ようするに、学校帰りにコンビニの前で”ウンコ座り”して屯している高校生、近所のオジサン、オバサンたちの顰蹙を買っている連中の一人が、オリンピック代表でござい、と出てきてしまったからだ。


  その後の記者会見でも、ふてくされた態度で反省したとはみえない。これでは国家主義的マスコミと世論の袋叩きにあってもしかたない。が、このガキは、間違いなく、日本のオリンピック史に残る”快挙”を成し遂げた。


 東海大学に在籍しているというが、とても大学生とは思えない態度、振る舞い、言葉の稚拙さ。むしろ、世間を知らない、知ろうともしない幼稚さが歴史を作ったと言える。

 その「歴史」とは、間違いなく本人は意図していなかっただろうが、日本代表として、オリンピックにおける国家主義を真正面から否定したことだ。無理やり引っ張り出された記者会見で、「反省シテマ~ス」などと子どもじみた発言をせずに、「オレの何が悪い!」と居直れば、もっと劇的な展開になったが、あのオツムでは不可能だったろう。

 だが、もし国母が居直り、これに対して日本側が出場取り消しを決めたら、どうなっただろうか。かなり面白いことになり、国際的関心も呼んだであろう。

 国母が一部世論の怒りを買った理由は、煎じ詰めれば、日本国代表の気概をみせなかったところに行きつくと思う。しかし、この批判はあたらない。 オリンピック憲章は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と、堂々と宣言しているからだ。

 さらに、憲章には、「出場取り消し」に関して、国母ケースを念頭に置くと、きわめて興味深い項目がある。

 「正式にエントリーをした代表選手団、チームもしくは個人が、IOC(国際オリンピック委員会)理事会の同意を得ることなく出場を取り消した場合、このような行為はオリンピック憲章違反であり、査問の対象となり、また懲戒処分の対象となることもある」

 ここでは、JOC(日本の国内オリンピック委員会)が査問の対象となり、国母を出場停止にするには、IOCの同意を得なければならないと解釈できるようにも思える。
 
 その一方、憲章は、国内オリンピック委員会の任務として、オリンピックの選手エントリーを決定することが挙げられている。さらに、その決定は「選手の技量のみならず、自国のスポーツをする若者の模範となるような能力に基づいて行われるものとする」とも規定している。これを適用すれば、国母の生殺与奪権はJOCにあると解釈できる。
 
 だが、ファッションばかりでなく、生きるスタイルなど、すべてが多様化する世界で、果たして、IOCばかりでなく国際社会が「服装の乱れ」という特殊日本的な理由を受け入れるかどうか。
 さらに、JOCが出場取り消しを決定した場合、憲章によれば、国母にやる気があれば、スポーツ仲裁裁判所に提訴する道もある。

 あの洟垂れ小僧は、「国家とスポーツ」のあり方について、重大な問題提起をしたのだ。ぜひ戦ってもらいたいが、あやつに、そんな知性と根性はないだろう。きっと、JOCは、国母がアホだったこと、橋本聖子・選手団長の仲介という形で出場停止決定を回避できたことで、ほっとしているに違いない。

 結局、この騒ぎは、メダルをさして獲得できもしない冬季オリンピックに玉砕精神で大選手団を送り込んだ国家主義と薄っぺらな若者文化の双方が舞台でこけた猿芝居でしかなかった。

 これで国母がメダルを取ったら大笑いだ。

2010年2月10日水曜日

トヨタはすごい!


 先月、新聞の折込広告をパラパラとめくっていて、トヨタの中古車店の広告が目に留まった。 車に興味はなかったが、来店者にタジン鍋をプレゼントというのに惹かれた。


 タジン鍋というのは、北アフリカ・モロッコの伝統的な鍋で、ふたが富士山のような形状をしている。 なぜか近頃、日本で流行っている。 それがタダで貰えるというので、トヨタに行ってみた。

 店の駐車場にマツダを乗り入れると、すぐに従業員が近づいてきた。 

 「すみません、タジン鍋もらえるという広告、見たんですけど」
 「そうですか、どうぞこちらへ」

 中古車店のオフィスに案内され、すぐにタジン鍋、それに鍋料理に使うネギ、ニンジンまで手渡してくれた。 さすが世界のトヨタ!

 こちらは、そのまま帰るほど図々しく振舞えなかったので、一応、展示場の中古車を見ることにした。

 たまたまハイブリッド車のプリウスの前で立ち止まった。 そのとき、年配の案内担当者が非常に興味深い説明をしてくれた。 「ガソリン車と比べ、燃費はいいんですが、どなたにも勧められるかどうか、というと難しいですね」と言うのだ。

 その説明によれば、問題はプリウスというクルマの核、バッテリーにある。 ガソリン車でも駐車場に置きっぱなしにしているとバッテリーがあがり、寿命が短くなる。 プリウスのバッテリーはガソリン車と比較にならないほど大きいが、日常あまり運転しなければ同じことが起きる。 しかも、大きいだけに交換となると費用はただごとではない。

 さらに、プリウスの燃費の良さが発揮されるのは、混雑した都会の道路だという。 低速走行のとき、動力源としてバッテリーが多用されるためだ。 逆に、快適な高速道路などではバッテリーで重くなった車体をガソリンエンジン主体で動かすために、普通のコンパクトカーなどと燃費の差があまり出ないそうだ。

 そういうわけで、その担当者は、都会をひんぱんに運転する人にはプリウスを勧められるという。 だが、たまの休みにしか運転しないという大多数のサラリーマンには、価格も維持費も高くつくかもしれないと非常に率直に語った。

 ハイブリッドカーが本当にエコなのか、ecology と economy の両面から、「プリウス問題」が騒がれている今、考えるのはいいことだ。

 それにしても、ブレーキのリコール騒ぎでマスコミから叩かれているが、トヨタはすごいと思う。 車を買う気のない客にタジン鍋をプレゼントし、プリウスの使い勝手まで正直に説明してくれるのだから。 

 とはいえ、面白みと個性のないトヨタ車を買う気は、まったく起きない。 トヨタを買うときは、冒険に満ちた人生という夢を捨て、安心に身をゆだねるときだろう。 

 きっと、誰もがそうなのだと思う。 そして、たいていの人は安心を求める人生を生きている。 だから、トヨタは売れ、ちょっとした欠陥で世の非難を浴びるのだ。  

2010年1月19日火曜日

イエメン危機は来るのか


   「ありとあらゆるメディアが今、イエメンに来ている。 大手メディアは、イラク、パレスチナ、アフガニスタンなど、この地域のあらゆる紛争地から私の国へ特派員を送り込んだ。 私は傷ついた動物になったような気分だ。ハゲワシが空中を旋回し、ご馳走にありつこうと、われわれの死を待っているかのようではないか」

 イエメンの良心とも言える英字紙「イエメン・タイムズ」の編集長ナディア・アルサッカフが、1月11日付けで書いた社説だ。 12月25日、クリスマスにアムステルダム発デトロイト行きデルタ航空機で爆破テロ未遂事件が起きるや否や、欧米を中心とする世界のメディアが、一斉にイエメンに注目した。 きっと、今ごろ、首都サナアの最高級ホテル「シェラトン」はジャーナリストたちで、ごったかえしていることだろう。 その光景を前にしたナディアの気持ちが痛いように伝わってくる。

 確かに、事態は深刻なのだろう。 犯人のナイジェリア人は、サナアでアルカーイダ組織から爆薬と指示書を受け取ったことが判明した。 そして、イエメンでアルカーイダが地歩を固めつつあることが明白になったからだ。 背景には、アフガニスタン同様、中央政府に十分な統治能力が欠如していることがある。

 果たして、イエメンは第2のアフガニスタンになるのだろうか。

 昨年11月、イエメンで誘拐された日本人技師が8日ぶりに解放された。記者会見で、とりあえずシャワーを浴びたいなどと語っていたが、いったん日本に帰国して、またイエメンに戻りたいと言っていたのが印象的だった。 地元の人間に誘拐されるという災難に遭いながら、この人、きっとイエメンという国が好きなのだ。

 イエメンなどという国をたいていの日本人は知らない。だが、実は、日本には、「隠れイエメン・ファン」というごく少数の人々がいる。

 イエメンは、四角い形のアラビア半島の南西角に位置し、インド洋に面していて、最近は沖合にソマリアの海賊が出没して騒がれている。そう言われれば、だいたいの位置は思い浮かんでも、平均的日本人には、国としてのイメージなどさっぱり湧いてこないだろう。

 だから、イエメンに1度でも行って好きになった人は、日本人への説明が面倒になり、イエメンについてあまり語ろうとしない。こういう人たちを「隠れイエメン・ファン」という。

 なぜ日本人がそんな遠くの国を好きになるかを説明するのは、確かに面倒くさいけれど、第1に景色がいい。沙漠だけでなく山もあって地形が起伏に富み、その上、適当に緑もあってメリハリがある。第2に、イエメン人の性格はどこかウエットで、アラブ人だが日本人に親しみやすい東南アジアの人々のような感触がある。つまり、日本人がするっと入り込みやすい雰囲気があるのだ。

 日本人が大好きな19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーは、放浪の末、イエメンにたどりつき、南部の港町アデンの貿易会社で働いていた。ここを拠点に、今海賊がうろついている紅海を渡って、ソマリアあたりで商売をしていた。ランボーが働いていた会社の建物は今も残っていて、フランス領事館になっている。

 もっと歴史を遡れば、東南アジアに初めてイスラム教を伝えたアラブ商人とは、未知の世界へ旅することを物ともしないイエメン人だった。そのまま住みついたイエメン人も多い。 1980年代から90年代にかけてインドネシアの外務大臣を務め、国際的に尊敬されたアリ・アラタス(故人)は、その末裔として知られる。 第2次世界大戦後、インドネシアを独立に導いた民族運動は末裔たちを通じて、イエメンに新たな政治思想として影響を与えた。

 さらに古代にまで遡れば、あの有名な「シバの女王」の王国は現在のイエメンだったとされる。 そう言えば、モカコーヒーの原産地がイエメンだ。 つまり、イエメンというのは、なかなか味わい深い国なのだ。

 こういう国が第2のアフガニスタンなどには、絶対になってほしくない。

 だが、それは希望的観測かもしれない。あまりにアフガニスタンに似ているからだ。 山が多く景色が似ていてイエメン・ファンとアフガニスタン・ファンが日本では一部重複していることだけではない。

 最も懸念すべきは、両国とも中央政府の統治能力が弱く、人々の生活は部族社会の中で完結し、国家というものがあまり信用されていないという点だ。

 これまでもイエメンでは外国人の誘拐事件が頻繁に起きていた。 そのほとんどは過去数年イラクで起きたようなテロ組織によるものではない。 部族社会の国家に対する要求実現が目的だ。 それも先進国の概念からすると他愛なくも思える。 

 例えば、村の道路や橋を作れ、といったものだ。 それを中央政府に要求し、実現可能になるまで人質を拘束する。 とはいえ、村人からすると、人質は村の生活向上を実現するための大事な客人でもある。人質たちはたいてい、解放まで衣食住に不自由しない歓待を受ける。

 そんな誘拐なら一度体験したいものだと、首都サナアからタクシーで誘拐頻発地帯に行ったことがある。 村々の入り口では銃を持った男が通る車を検問していた。 だが、われわれの車は運転手があいさつと、すんなり通過できてしまった。 運転手にきくと、彼はその土地の出身でみんな仲間だというのだ。 なんてことはない。 誘拐(される)目的には運転手の選択が間違っていたのだ。

 こんなのんびりした誘拐は今もあるようだが、アルカーイダの組織化が進むにつれ、殺害される外国人も少しづつだが増えている。

 国家の恩恵も統制も受けていない村落でアルカーイダの影響力が拡大することは、国際社会にとっての悪夢だが十分起こりうるだろう。

 しかも、複雑な地形はゲリラ戦にもってこいだ。 1960年代アラブの混乱した政治情勢の下で、イエメンの国内対立に介入したエジプト軍は、なす術もなく敗走したという。 

 一説には、真っ平らなナイル・デルタから来たエジプト兵は、軍事車両の坂道発進が下手糞で、山だらけのイエメンで十分に動くことができず軍事的失敗を重ねたとも言われるが。

 現代のハイテク武器を装備したアメリカ兵が坂道発進をできないとは思わないが、イエメン情勢に妙な反応をして派兵し、成功する保証はまったくない。

2010年1月8日金曜日

アバター!?



 最近、3Dと呼ばれる立体映画が注目されている。 あの間の抜けたトンボめがねをかけないと画像が立体化しないという欠点はあるにせよ、家庭用テレビでも3Dが普及するかもしれないという。 家族そろってテレビを見ながら夕食をとることが習慣になっている日本で、全員が大きな色つきめがねをかけている光景は不気味でもあろう。


 その3D映画として、今、最も注目されているのが「アバター」だ。 新聞の映画評でも評判がいいので、正月の暇つぶしに、つい見に行ってしまった。 
 客席はほぼ埋まっていて人気の高さがわかる。 館内が暗くなると、すぐに飛び出す画面が目の前に広がった。 なるほど、すごい迫力だ。 だが、結論からすると、残念ながら、映画の内容にはがっかりさせられた。


 こどものころ、便所の臭いが漂う場末の映画館で見たアメリカ西部劇の中には、ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」とかアラン・ラッドの「シェーン」のような名画があった。 ほかに、西部劇のジャンルには、”騎兵隊もの”というのもあった。 こちらの方は、白人の頭の皮を剥ぐ野蛮なインディアンの襲撃を、勇猛かつ規律のとれた正義の味方・騎兵隊が最後に追い払い、ハッピーエンドという結末。 今では、先住民の命と土地に対する略奪行為を、これほど単純・露骨に賛美することは不可能になった。


 (だが、アメリカ白人の心象風景を覗けば、おそらく今でも血沸き肉踊る”騎兵隊もの”への憧れが蠢いていることだろう。 恐ろしいことに、ほんの数年前には、本当に”騎兵隊”をイラクの”野蛮人退治”に派遣してしまった)
 

映画の世界では多分、ベトナム戦争の影響が大きかった。 米軍のベトナムでの残虐行為、あげくの果ての屈辱的撤退。 あの敗北はアメリカ人のトラウマとなって、1970年代、「アメリカ人は正しい」という自信は揺らいだ。 そういう時代が生んだ西部劇が「ソルジャー・ブルー」であろう。 騎兵隊のインディアンに対する残虐行為を、目を覆いたくなるリアルさで描いた。 ベトナム戦争が、正義の西部開拓史にも疑問を投げかけたのだ。


 「アバター」は、古典的騎兵隊西部劇の焼き直しにすぎないのだ。 ただし、「ベトナム後」を踏襲し、善悪を逆にして、騎兵隊にあたる地球人は悪者の侵略者、インディアンに相当する衛星パンドラに住むナヴィが美しい星を侵略から守るというハッピーエンド。


 つまり、仕掛けはおどろおどろしいが、ストーリーは見え透いていて、安っぽい。 映画というより、むしろ遊園地を楽しむのに似た感覚かもしれない。 いかがわしい見世物小屋の呼び込みに騙されたみたいだ、とまでは言わないが。


 とはいえ、とにかく子ども騙しなのだ。 それでは、おとなのための3Dはどうすればいいのか。 きっと、とりあえずの安易な選択は、ポルノに違いない。 こいつは、きっと迫力がある。 だが、これは矛盾だ。 制作者にとってのポルノ映画のメリットはカネがかからないことだが、「アバター」は、とてつもない巨額投資の産物なのだ。


 きっと、バーチャルの世界を現実に近付けることに努力するよりも、われわれは現実の世界をもっと楽しくすべきなのだろう。

2010年1月5日火曜日

780円で時空を旅する


 酒を飲むにしても、飯を食うにしても、チェーン店には行きたくない。 大量生産・消費システムの末端に組み込まれ、口を動かすことが楽しみではなく、単純労働のように味気なく思えてくるからだ。

 きょう、たまたま昼時に自由が丘駅近くを歩いていて、なぜか無性に豚カツを食いたくなった。 そこで、その一帯をうろついて豚カツ屋を探した。 だが、みつからず、目に留まったのは、有名な和食チェーン「大戸屋」だけだった。 いったん食べたいと思い込むと欲求が止まらない。仕方なく、入り口に出ていたメニューの「豚カツ定食780円」を食べようと中に入った。

 出てきた豚カツはメニューの写真から受けたイメージより、かなり小さく思えた。まあ、780円じゃあ仕方ないか、といったところ。 味は可もなく不可もなし。 大好物の豚カツを食った!という感激はあるわけがない。

 だが、テーブルに置いてあった大戸屋のパンフレットをなにげなく広げてみたら、その中に、なかなか読ませるコラム記事があった。 「食をみつめる温故知新」というタイトル。 原文を引用してみよう。



 お食事の際に使う「いただきます」と「ごちそうさま」。
本来の意味をご存知ですか。

 「いただきます」とは、「自分のために動植物の命を頂 く」ことから感謝の気持ちを込めた食事の際の挨拶として伝えられてきました。
 人は古くから自然の恵みをもらって生きてきました。 しかし、それは数々の動植物の生命を頂くということを意味します。 人間のための食料となる動植物へ、私たちは感 謝する気持ちを込めて、心から「いただきます」と言います。
大切な生き物の命を粗末にしてはいけません。
(以下、「ごちそうさま」は省略)



 これを読んでいるうちに、雪原でマンモスを倒そうとヤリを握る旧石器時代人の姿が浮かんだ。 そうか、そういうことだったんだ。 人間はずっと動物を殺し、森林を荒らし搾取しながら、地球の支配者にのし上がってきた。

 「いただきます」という言葉がいつから使われ始めたのかはわからない。きっと、その当時の日本人は動植物の命を頂くことに、「人類」として、現代人より、はるかに生々しいものを感じたに違いない。

 今、普通の都会人なら、牛や豚のような大動物はもちろん、ニワトリをさばくことすらできないだろう。

 何年も前、中央アジア・キルギスの山奥で泊まったコテージで、ヒツジを料理してくれたコックを思い出した。 あれは、ある種のクッキング・ショウだった。 だが、日本の民放テレビのグルメ番組などで取り上げられる代物ではなかった。

 夕方、コテージの庭でショウは始まった。 コックが三日月形のナイフでヒツジの喉をすぱっと切る。 料理は、まさに殺すところから始まったのだ。 そして解体。

 ヒツジには食えない部分はないという。 大きなアルミニウムのタライのような容器に、肉も骨も内臓も脳みそも、なにもかもを放り込んで煮る。

 食堂のテーブルに座ったわれわれの前に、筋骨隆々としたコックは大きなタライを軽々と運んで置いた。 そして、タライの中に手を突っ込み、内蔵をわしづかみにして持ち上げ、われわれに解剖教室の教師のように説明する。 彼は言った。 「神に感謝し、ヒツジを食べ残してはいけない」。

 冗談じゃない、現代文明の人間たちは、吐き気をこらえるのが精一杯だった。
 
 そう、きっと、あれが、自然に向かって「いただきます」と感謝の言葉が心から出てくる食事だったのだ。

 ちまちました大量生産定番料理を提供する店のテーブルで、心は石器時代へ、中央アジアへと時空を超えてさまよっていた。

 豚カツ定食を食べ終わってみれば、780円で、ずいぶんお得な旅をしていた。