2010年12月11日土曜日

劉暁波を獄中に置く中国モデル


 中国共産党政権は、民主活動家・劉暁波へのノーベル平和賞授賞を断じて受け入れようとしない。 だから、どうしようというのか。 中国を批判する民主主義国家も、実は、本当の解決策を見出してはいないはずだ。


 なぜ劉暁波は”国家政権転覆扇動罪”で獄中にいるのか。 政権が民主化を拒否しているからだ。 なぜ民主化を拒否するのか。 民主化すればソビエト連邦のように中華人民共和国も瓦解してしまうと恐れているからだ。


 1989年ベルリンの壁崩壊に続くソ連・東欧の動乱は社会主義圏そのものを消し去り、1991年ソ連は分解してしまった。 


 このプロセスをじっと観察していたのが、非ヨーロッパの社会主義諸国であるアジアの中国や北朝鮮、ベトナム、 中南米のキューバなどだった。


 当時、ベトナムの首都ハノイで会った政府中枢の人物は、中国やキューバと情勢分析を共有し、ソ連・東欧のように民主化を進めれば共産党支配が危うくなるとの結論に達し、ヨーロッパとは異なる道を選んだと語った。 つまり、民主化要求の押さえ込みによる共産党独裁の維持だ。


 だから、スムーズな民主化を実現し、「ビロード革命」と呼ばれたチェコスロバキアなどに、彼らは興味をまったく示さなかった。 彼らが参考にしたのは、冷戦時代に独裁を堅持し経済成長に成功した東南アジアの開発独裁モデルと呼ばれるインドネシアやシンガポールの例だった。(北アフリカのアルジェリアは中途半端な民主化で血まみれの内戦に突入してしまった)


 開発独裁とは、政治的自由を制限することによって秩序を保ち、社会的エネルギーを政治ではなく経済に向けるというものだ。 この選択は、中国とベトナムに著しい成功をもたらした。 アジア的社会主義の知恵と言えよう。


 冷戦時代、米国は、インドネシアのスハルト、シンガポールのリー・クアンユー、フィリピンのフェルディナンド・マルコスといった独裁者たちに人道的批判など浴びせなかった。 彼らの「非人道的独裁」が、曲がりなりにも経済的豊かさを生み、貧困につけこむ共産主義の浸透を食い止めると判断したからだ。


 中国は今、東南アジアで成功した開発独裁モデルを忠実に実行している。 その経済的成果を誰も否定することはできない。 もはや、中国という巨大な産業団地兼消費市場が世界経済を動かす最大の要因のひとつになっているからだ。 


 だから、われわれは中国の抑圧的体質に不快感を覚えても、経済的混乱を引き起こしかねない政治動乱には二の足を踏まざるをえない。 


 劉暁波を獄中から解放し、自由な行動を許すことは、取りも直さず、中国共産党政権が民主化を受け入れ、自らの絶対的立場を放棄することを意味する。 それによって何が起きるか誰も予断を持つことはできない。


 平和的な民主国家への移行というのは、楽観的すぎるだろう。 最悪事態は、チベット人、ウイグル人、蒙古人など非漢民族の独立による中華人民共和国の崩壊、そして混乱か。


 中国の混乱による世界経済のパニックをわれわれは甘受できるのか。


 世界経済が、中国の「人質」にとられているのが現実なのだ。 獄中にいるのは、劉暁波だけではない。 居酒屋で酔っ払っているオレも、お前も、誰もが例外じゃない。


 それでも、中国のアルマゲドン的終末があるなら、覗いてみたいという怖いもの見たさの好奇心は誰でも持っているに違いない。 だが、きっと、覗くだけでは済まない。 今、世界中は、不愉快この上ないが、誰も第三者になれない見えない糸でつながっているのだ。

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