2012年3月2日金曜日

セピア色の東京オリンピック

 TSUTAYAのキャンペーンで1ヶ月間に無料でDVDを8枚も借りられるというので申し込んだ。 8枚も見たいDVDがなかったので、苦し紛れに市川崑・監督のドキュメンタリー映画「東京オリンピック」を最後の1枚に加えた。 

 ところが、これがなかなか興味深い映画だった。 1964年という時代風景の一端を見ることができたからだ。

 近ごろは、街のヨタヨタしたジョガーですら、色とりどりのファッショナブルなウエアで身を固めている。 それと比べると、当時の国立競技場でウォーミングアップしている世界の一流アスリートたちの姿は、実にみすぼらしく見える。 彼らが着ているのは、スーパーの安売りコーナーで山積みになっているジャージー上下2枚組990円、寝巻き用のあれではないか!

 どこかの国の女子選手の短パンの腿の部分にはゴムが入っていた。 そう言えば、パンツからゴムが消えたのはいつのことだろう。 ゴム紐の押し売りなんてもいたっけ。

 体操女子のあのベラ・チャスラフスカは本当に美しかった。 東京での活躍で「オリンピックの花」と呼ばれたが、それは正しい。 最近の女子体操は、子どもの曲芸、中国の雑技団みたいだが、チャスラフスカは、あくまでも優美におとなの女を正統的に演じていた。 滲み出る知性は、4年後、1968年チェコスロバキア民主化運動「プラハの春」への参加につながる。

 棒高跳びで、米国のハンセンとドイツのラインハルトが繰り広げた9時間7分に及ぶ死闘は、いまだに伝説になっている。 このとき破れたラインハルトは、引き揚げるとき、気取って櫛を取り出し、乱れた髪を丁寧に整えていた。 こんな身だしなみは、すでに地球上から消滅してしまった。 今なら、ゲイじみた仕草にみえるかもしれない。

 マラソンは、現在の高速レースを見慣れていると、ひどくゆっくり走っているようにみえる。 レース展開もかなり違う。 今では、テレビで見る限り、有力選手たちのほとんどはスタート直後から先頭グループで固まり、 駆け引きを開始する。 だが、東京でオリンピック2連覇を果たしたアベベ・ビキラは、スタート直後からしばらくは、先頭から100m近く離れた最後尾あたりに位置していた。 それでも20kmあたりでトップになり、あとは後続を引き離しダントツの強さをみせつけた。

 レース風景ものんびりしている。 給水所には大きなプラスティックのバケツがあり、立ち止まって柄杓で水をすくい、うまそうに飲んでいる選手の姿もあった。 途中棄権選手をピックアップするバスには「落伍収容」と大書きされていた。 こんな表現は、現代では「なんとかハラスメント」ではないか。

 コースの甲州街道沿いに、大きなビルはまだ建っておらず、田園風景が広がっている。 遠い、遠い昔の出来事。 あれから半世紀。

 どこかのキチガイたちが、わけのわからない怪しげな目論見で、もう一度、東京オリンピックをやろうとしているらしい。  そんなグロテスクなオリンピックだけは目にしたくない。 

1 件のコメント:

東銀座の雀 さんのコメント...

「三丁目の夕日」の世界ですね。あの映画は、実に細かく当時の事を再現していますよね。路地の抜け道、模型飛行機……。でも、あの映画はVFX(CG)無しでは創れなかった作品ですよね。つまり、実に現代的な映画ってことなのかな。