2012年6月3日日曜日

南相馬を歩く


 1980年に、イラクのサダム・フセインの野望で始まったイラン・イラク戦争。 緒戦でイラク軍は南部国境の町ホラムシャハルに総攻撃を加えて占拠した。 イランは80年代半ばに奪還したが、町は完全に破壊され、残骸の山に埋もれていた。 なぜ、そこまで破壊しつくさねばならなかったのかわからない。 1988年に、この地を訪れたとき、そこに人間が住んでいた臭いは皆無だった。

 2012年5月9日、時空瞬間移動をして、ホラムシャハルに戻っていた。 広大な土地に散らばる壊れた車両、かつて建物だったコンクリートや鉄骨の膨大な量の残骸。 物陰にさっと姿を隠すスナイパー。 いや、それは錯覚か。

 もちろん、ここはイランではない。 日本国福島県南相馬市原町区小沢。 2011年3月11日の大津波と原発汚染から1年以上。 初めて津波の破壊力を目の当たりにした。 残忍無比のサダムの狂気であろうと、その破壊力は津波の比ではなかった。 サダムは大量の重火器と航空機、戦車を投入したのに、津波は瞬間の破壊で、何も残さず忽然とすべてを消した。

 津波襲撃から、かろうじて逃れることができた高台の農家に、一人の老人がいた。 「がんばっぺ東北」と白地の刺繍がある紺色のベースボール・キャップをかぶっていた。

 なんと話しかけていいかわからないので、「その帽子似合うね」と言ったら、「こんなものやるよ、うちにまだ沢山ある、ボランティアが置いていったんだ」。 投げやりな気持ちをぶつけられた。

 そりゃそうだ、こんな帽子を被っただけで元気が出て、海水がたっぷりとしみ込んだ田んぼが元通りになるわけがない。 

 訊けば、今75歳、田んぼ一筋で生きてきた。 行政が水田の塩分除去を支援してくれても使えるようになるまで10年はかかるとみる。 そのとき85歳。 年齢を考えれば、新たな希望に自分を託すには時間が短すぎる。 老人は現実主義者だった。 広大な荒地をじっとみつめ、余生の過ごし方を模索していたのだ。

 イラン人は「美しい町」という意味の「ホラムシャハル」の名前を「フニンシャハル」に変えた。 「血の町」という意味だ。 それが多くの市民が殺された現実だった。 日本のどこかのメディアがどこかの被災地を「ゴーストタウン」と表現したら袋叩きにあった。 津波報道に死体は決して登場しなかった。日本社会の徹底した「反現実主義」。 広島や長崎が名前を「原爆」と変えなかったように、まだ「津波」を冠した市町村はない。 イラン人と日本人のあまりに異なる美学。

 被災地で老人と語るのは辛い。 南相馬市の隣り、飯館村の深谷地区は広々とした畑一面が黄色いタンポポに覆われていた。 放射能汚染で畑を耕作できなくなったためだが、その美しさに引かれて車を停め、近くの部落に足を向けた。

 すぐに、入り口でオレンジ色のジャケットを着た「防犯パトロール」2人に阻止された。 部落内に入るには役所の許可証が必要だという。 いきなり、ぶらりと許可もなく入り込もうとした我々は、胡散臭く見られた。

 防犯パトロールと言っても、20代の男性と70代の女性。 ごく普通の人たち。 プロの犯罪者が本気になれば片付けるのは簡単だ。 20kmほど離れた仮設住宅に住んでいて、当番制でパトロールに来ているそうだ。

 やっと警戒が解けて、世間話をしているうちに、老女が突然口走った。 「これから、どうしたらいいんでしょう」。 たった5分しか会話していないよそ者にぶつけた絶望の発露。

 おそらく、この年代の農民が田畑に戻ることはほぼ不可能であろう。 ガン宣告にも似た告知を彼らは受けていないに違いない。 田畑は永遠の存在で百姓一人の生涯のうちに消え去るものではなかった。

 「うちの父さんは人生のすべてが田んぼだった。 コメを作る田んぼが消えて、津波から1年以上たってもぼんやりしている」

 南相馬市鹿島区八沢浦の干拓地で会った老婆が言った。 夫は田んぼがもう返ってこないことを理解できないのだという。

 その干拓地で何台かのブルドーザーが動いているのを見た。 老婆によれば、あぜ道を取っぱらって広大な1枚の水田にする作業が始まった。 塩分の中和にはまだ年月がかかるが、若い世代が農業法人を作って将来の大規模農業を目指そうとしている。 新たな再生の動きだが、老人たちが魂を込めたコメ作りの伝統、古き良き村落共同体は形を変えざるをえないだろう。

 今、南相馬の飲食店街は活況を示している。 そして、旅館はどこも満杯だ。 何もない南相馬に落ちるほとんど唯一の現金は、復興現場で働く外部からの土木作業員たちのふところからのものだ。 住民たちは再生の気配をまだ感じていない。 だが、奇妙な復興景気は始まっている。

 感傷的なボランティアたちの善人意識とはまったく異なる論理で、この町の生まれ変わりが始まっているのかもしれない。 

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