2012年7月23日月曜日

エジプト革命をどう見ようか



 エリザベス・テーラーが妖艶なクレオパトラを演じている古いハリウッド映画を最近、NHK/BS放送で見た。 2000年以上前、そのころの日本はまだ弥生時代だったが、映画で描かれているクレオパトラの宮殿のインテリアは、現在のエジプトの首都カイロにある高級ホテルより、はるかに豪華だった。

 映画のセットは無論大げさに誇張しているだろうが、それでも、あまりに非現実的ではウソ臭くなってしまうから、ある程度は史実を反映しているだろう。 古代エジプト文明は凄かったのだ。
 
 エジプト古代王朝は、日本が縄文時代だった紀元前3000年ごろ形成され、紀元前30年王女クレオパトラの自殺で終る。 最後の王朝は、紀元前332年アレキサンダー大王がエジプトを征服したあと樹立されたギリシャ系のプトレマイオス朝で、ヘレニズム文明の色彩が色濃く、エジプト王朝とは呼びがたい。

 それでは、ネイティブのエジプト王朝はいつまで続いたのか。

 紀元前1000年までにエジプトは、アッシリアなど他民族の侵攻を受けるようになり、紀元前525年にはペルシャに征服された。 その後もエジプト王朝は続くが、最後のエジプト人ファラオは、紀元前360年から342年まで在位したネクタネボ2世とされる。 最後は、ペルシャに追われて上エジプトへ脱出し、ヌビアへの亡命が許された。
 
 つまり、”エジプト人のエジプト人によるエジプト古代王朝”は紀元前342年に終った。 古代から様々な民族が集積してきたナイル川流域がエジプトの核を成すが、民族的に何をもってエジプト人と呼ぶかは難しい。 煎じ詰めれば、自分がエジプト人と思う人間がエジプト人であろう。
 
 その自分がエジプト人と思う人間たちは、最後のファラオ以来、第2次世界大戦後の西暦1952年ナセルを指導者とする自由将校団が150年続いたアルバニア人のムハンマド・アリ王朝をクーデターで倒すまで、実に2,293年間、外国人の支配を受けていた。
 
 以来60年余り。 古代王朝誕生から最後のファラオまでが2700年、それからナセルのクーデターまでが2300年ほど。 60年という期間は、戦争や大統領暗殺や人民革命など色々なことが起きたにせよ、気の遠くなるような歴史的時間の流れからすると、ほんの瞬間でしかない。

 2012年、エジプト初の民主的選挙による大統領が誕生したが、民主政治の定着には予断を許せない不安がある。 だが、ほんの60年という瞬間の中の出来事だ。 2000年単位で生きてきたエジプト人の歴史感覚を、時間尺度がまったく異なる我々が本当に理解できるとは思わない。
 
 おそらく、日干し煉瓦を積んだ粗末な家々が並ぶ農村の埃っぽい光景は、2000年前とそれほど違わない。 アッシリア人もペルシャ人もギリシャ人もローマ人もトルコ人もフランス人もイギリス人もなしで、エジプト人たちが自らの手で国家を作っていく様を、じっくりと見ていこうではないか。

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