2013年7月9日火曜日

7800円でみつけた新時代


 街のディスカウント・ショップで、イタリア製の超高級エクストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルが半額になっているのをみつけ、大喜びで買ったついでのことだった。 同じ店の別の売り場にぶらぶらと入りこんだら、7インチのタブレットPCが目にとまった。 こちらは、見るからに超低級という感じの中国製。 値段はたったの7800円。 オリーヴ・オイルで気分が良かったし、使ったことのないタブレットのオモチャだと思えばいいやと、つい買ってしまった。 

 うちに帰って箱を開けてみると、電車の中で使っているのをみかけるタブレットと比べ、いかにも安っぽく、プラスティックの薄っぺらなケースという感じ。 それでも電源を入れるとインターネットにつながった。 だが、キーボードの文字が小さ過ぎて、言葉の入力にはえらく手間と時間がかかる。 これでは使い物にならん。 だが、ダウンロードできるアプリの一覧を見ていて、別のキーボードを入手できることがわかった。 そこで、とりあえず使い勝手の良さそうなのを選んでダウンロードしたら、まあまあ使えるようになった。 反応が遅く、多少ノロマではあるが、7800円で文句は言えないというレベルには達した。

 こうしてタブレットPCの初体験が始まった。 それまでデスクトップとノートブック型しか使ったことがなかったので、ソファに寝転がって雑誌でも読むように片手でPCを持って、画面をながめている感覚が新鮮だった。 

 だが、キーボード操作は従来型PCの正確さとスピードにとてもかなわない。 だから情報の発信には向かない。 こいつは情報の受信専用で、そこに特化すれば結構楽しめると解釈した。

 最初に目をつけたのは、無料の電子書籍だった。 無料のものは、基本的には著作権が消滅した古典ばかりだ。 退屈だと思ったが、タダの魅力というのは凄い。 日本文学の古典とされる小説をたちまちのうちに何冊も読破してしまった。 夏目漱石「坊ちゃん」、「吾輩は猫である」、芥川龍之介「藪の中」、「羅生門」、森鴎外「高瀬舟」、太宰治「人間失格」、小林多喜二「蟹工船」・・・。

 読んで見ると、タダだからというのではなく、いずれの作品もその力強さに惹きつけられた。 古さをまったく感じさせない。 骨太のストーリー、スピード感のある展開、切れ味の良さ。 「蟹工船」のリアルな描写には圧倒させられる。 あれだけの表現力を持った作家が現代にいるのだろうか。 日本の小説は、あの時代から、ちっとも進化していないのではないか。 昔読んだときには、こんな風に感じなかったのに。 

 今、自分の本棚を探せば、電子書籍で読んだうちの数冊はみつかるだろう。 開けばページは黴臭く黄ばんでいることだろう。 タブレットでは、まるで消毒されたように無味無臭になっている。 死人が生き返ったような気味悪い感覚でもあるが、古典がこんな風に再生しているのは、将来の文学史に記される出来事かもしれない。 

 ソファに寝転がったまま同じ画面で、古典小説を読んでいるだけではない。 新聞やテレビの電子版を見て、友人からの電子メールを受け取る。 税金の支払いも買い物もする。 

 タブレットPC画面に現われた「今」の光景を、20年前に巻き戻して翻訳して見よう。

 寝転がっていた男は起き上がって、読んでいた本を閉じ、テレビを付けて新聞を広げる。 それから郵便受けまで行って郵便物を取り出し封を開けて手紙を読む。 しばらくして着替え、近くの銀行へ税金を払いにでかける。 ついでにカネを下ろしてスーパーに立ち寄って買い物をする。

 同じことをしても心象風景は著しく異なるだろう。 7800円で新時代へようこそ。

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