2013年11月19日火曜日

フィリピンの友人たちを助けよう


 フィリピンで最大のサトウキビ生産地ネグロス島。 中心都市バコロドから島の東側を海岸沿いに路線バスで南下した。 午後遅い時間だった。 バスは終点の小さな町に着いた。 降りてホテルを探そうと停留所の付近を見回したが、うらびれた雑貨屋しかない。

 
 腹をくくって、砂浜で野宿することにして、サンミゲール・ビールと食い物の缶詰を買おうと1軒だけの雑貨屋に入った。 すると、たまたま店の中に、買い物に来た近所の男がいた。 背は低いがしっかりした体格の50がらみの男だった。

 多少の会話をかわすと男はいきなり言った。 「野宿なんかしないで、うちに来い」。

 男の家は、砂浜に面していて、かなり大きな建物だった。 訊けば、男は網元で、毎日、自宅の目の前に漁師のボートが着いて、釣った魚を降ろしていくという。

 すごい幸運。 その夜は庭先の煉瓦で作った囲炉裏で、新鮮な魚と貝を焼いて、たらふく食べて、きちんとしたベッドで寝ることができた。

 見返りを求めるわけでなく、見ず知らずの人間との会話を楽しむ。 そう、それが典型的なフィリピン人だ。 同じような親切と人の良さは、旅をしたフィリピン各地で経験した。

 深夜、マニラの歓楽街マビニ・ストリートを歩いていたら、タクシーが寄ってきて運転手が「遊びにいかないか」と声をかけてきた。 飲みにいくだけだから結構だと断ると、近くに馴染みのバーがあるという。 

 初めて会った下心満々のタクシー運転手と知らないバーに入る危険は承知していたが、それも一興と、お薦めのバーに入った。 ところが、そこは本当に、普通の安いカウンターバーだった。 運転手は一緒に飲みながら話しているうちに上機嫌になって、なぜか飲み代をおごってくれた。 しかも、酔っ払い運転だったが、タクシーでホテルまでカネを取らずに送ってくれた。 底抜けに気のいいポン引きだった。

 最近のことは知らないが、日本の男たちの集団買春ツアーが盛んだったころ、成田―マニラ間フライトの機内は品位のかけらもないスケベ男たちで溢れていた。 彼らは客室乗務員を「オーイ、ネエチャン」と呼んでいた。

 そんなケダモノたちの一人の心情を知る機会があった。

 独身。 日本では女たちに鼻も引っかけられない。 いつも冷たくあしらわれる。 あるとき誘われてマニラへのセックス・ツアーに参加した。 マニラでは、団体でバスに乗り、置き屋のようなところへ行き、女を指名する。 その女を連れて再びバスに乗ってホテルに戻る。

 
 男は女に惚れてしまった。 カネの関係とはいえ、日本の女が彼に示したことのない優しさで接してくれたからだという。 

 日本に帰ってからも彼女に会いたくてたまらなくなった。 だが、男は外国語がまったくできない。 一人で飛行機に乗って、彼女がいた置き屋を探す、などということは到底できない。 結局、再びセックス・ツアーに参加し、恋する女をカネで買うしかなかった。 彼女と会うために、何度も繰り返していた。

 
 こんなツアーの存在を許すべきではない。 だが、誤解を承知で言えば、フィリピン人のホスピタリティがあってこそ成立する悲しい純情買春物語だったと思う。

 フィリピン・レイテ島が未曾有の巨大台風に襲われ、既に4000人の死亡が確認されている(2013年11月19日現在)。 親切にしてくれた彼らに何かをして、お返しをしたい。 いつも明るい笑顔をふりまくフィリピン人が泣き叫んでいる姿をテレビ画面で見るのは堪らない。

 今、東京の街のどこでもフィリピン人と会う機会がある。 お父さんの行くパブでも、お母さんが買い物をするスーパーのレジでも微笑んでくれる。 とても身近な隣人たちだ。  3・11でも援助の手を差し伸べてくれた。 今度はわれわれが、せめて、ほんの少しのおカネだけでも送って、力になろうではないか。

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