2014年1月11日土曜日

すばらしき逃亡者たち


 強姦容疑で逮捕された若い男が横浜地方検察庁川崎支部から、ちょっとしたすきをついて逃亡し、つまらないチンピラの逃走劇を日本のテレビも新聞も大々的に報じた。

 この男に、なにか社会的、政治的背景があるわけではない。 有名人でもない。 無実の罪を主張するといったドラマ性があるわけでもない。 逃亡の手口が巧妙だったわけでもなく、検察庁がおっちょこちょいだっただけだ。

 こういう男を「逃亡者」と呼んでほしくはない。 「逃亡者」は、ロマンや反体制的臭いがしなければいけない。 権力の裏をかき、巧みに逃げる。 川崎の強姦男みたいに、ただ逃げるだけではない。 逃げるのは、命がけで達成したい目的があるからだ。 「逃亡者」は大衆のヒーローにもなりうるのだ。

 
 1960年代のアメリカ連続テレビドラマ「逃亡者」の主人公リチャード・キンブルは、妻殺しの罪を着せられて逃亡し、ジェラード警部の執拗な追跡をかわし真実にせまる。 日本でも放映され人気を博した。 これは実話に基づいた物語だ。

 源義経の逃亡劇は、日本人の心の琴線に触れる。 米軍の秘密軍事作戦で最後はパキスタンで暗殺されたオサマ・ビンラーディンの生涯も劇的だった(テロリストを称賛するわけではないが)。

 胸に蝶の刺青をした男「パピヨン」が、1931年に無実を叫びながら終身刑となった。だが、堅固な牢獄からの脱出を何度も試み、ついに成功し、後にベネズエラ市民権を取得して自由の身となる。 この人物、アンリ・シャリエールの伝記小説はベストセラーとなり、のちに映画化され、スティーブ・マクイーンが「パピヨン」を演じた。

 逃亡者を語るなら、「モンテクリスト伯」を無視することはできない。 アレクサンドル・デュマのこの長大な小説は、読み始めたら止まらない。 ”逃亡者文学”の古典と言えるだろう。 

 嗚呼、すばらしき逃亡者たちよ。

 川崎チンピラ強姦男の大袈裟な報道は、「逃亡者」たちへの侮辱以外のなにものでもない。

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