2016年4月22日金曜日

Social media の時代って


 10年近く会っていなかった知り合いから、Facebook の”友だち申請”があった。 それほど親しくしていた人ではなかったが、懐かしかったので”承認”の返事を送った。 こんな体験をした人は多いだろう。

 すぐに、彼のコメントや”いいね”をしたサイトがFacebookを開くたびに見られるようになった。 だが、すぐにウンザリした。 ITメディアに関する専門的というよりオタクっぽいコメント、ネトウヨ的朝日新聞嫌いのかみつきぶり等々。 見ているだけで疲れる。 そんなわけで、しばらくして、彼を”友だち”から削除してしまった。 イライラするコメントが消えてスッキリした。

 日本のネットで使われるニュース記事は産経新聞のものが多い気がする。 なぜかは知らない。 体制派右翼の産経は読売より嫌いだ。 だから、産経の記事を開いて読むことはない。

 日常の欠くことのできない一部と化したネットと過ごす時間、いつのまにか、こんな風にして情報の取捨選択をしていたことに気付いた。 

 無意識のうちに、関心のないもの、気に入らないものから目をそらし、視野を狭くしている。

 新聞は広げれば、否応なく関心のないこと、知りたくないことが目に入ってくる。 ニュースばかりでなく、広告は買いたくない商品に関する知識まで人の記憶に染み込ませてしまう。 

 だが、近ごろは新聞をあまり読まなくなった。 ニュースはテレビやネットで済ませてしまうようになった。 それに、最近の新聞記事はあまり面白くない。 産経だけでなく、どの新聞も権力に操られているような臭いがする。 

 こういう”情報生活”をしていて、いいのだろうか。 ネット時代以前のように、新聞をべろーっと広げて、端から端までながめて、どうでもいいことまで知ってしまうのは、実は、視野を広げるために非常に役に立っていたのではないか。

 そう言えば、朝の満員電車の中で、他人の迷惑を考えずに新聞を広げて読んでいるイヤな奴は減ったような気がする。 これはいいことなのか、悪いことなのか。 

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