2009年5月27日水曜日

北朝鮮の核実験


 自分はこういう人間だと思っていても、他人がそのとおりに見てくれるとは限らない。あるいは、自分では意外だと思った他人の見方が現実に近く、はっと驚かされることがある。

 日本は平和を愛する国であって、他国を侵略したり、核兵器をを自らの手で作って武装することなど絶対にありえない。これが日本および日本人の一般的な自画像であろう。

 だが、他人の目には、必ずしもそうは映らない。

 日本には、直ちに核兵器を作って実用化する技術、経済力、マンパワーがあり、「きっかけ」があれば実行するだろう、という見方が外の世界では違和感なく受け取られてる。

 「きっかけ」とは、主として、日本を取り巻く地政学的変化と考えられている。

 最も蓋然性が高いとされるシナリオは、北朝鮮の冒険主義的狂気がさらに昂じて、日本への核攻撃の恐れが現実になる場合だ。

 これがプレッシャーとなり、日本が自前の軍事力増強で北朝鮮に対抗せざるをえなくなれば、核武装が現実の議論になりうる。

 そして、「唯一の被爆国」の核武装は許せないなどと主張する人たちは、現実を理解しないナイーブな感傷主義者と見下され、世の中の本流から弾き飛ばされる。かつてタブーに近かった平和憲法の改憲論ですら、今や公然とした議論になっているのだ。

 日本が核武装をすべきか否かの選択は、日本国民にとって、国家の行方を決定付ける重要な岐路となる。

 だが、そればかりではない。核兵器を持った日本の登場は、世界秩序のとてつもない不確定要因となり、周辺の朝鮮半島、中国から東南アジアに至るまで日本の軍事侵略をかつて経験した国々には悪夢の再来となる恐れが生まれる。

 米国も困惑するだろう。太平洋戦争後、従順に米国に追随していた日本の一人歩きは、世界秩序が未知の領域に踏み込むことを意味する。

 北朝鮮が5月25日、2006年10月以来の2度目の核実験を行った。前回の実験のあと、米国の議会や東南アジアのメディアの一部は、北朝鮮問題の延長線上にある「日本の核武装」への懸念を表明し、当時の米国務長官コンドリーザ・ライスは米国議会とアジア歴訪で、この不安の払拭に努めた。

 この不安を生んだ構図は、今もなんら変わりはない。 「北朝鮮の核武装」の背後には、「日本の核武装」という妖怪が蠢いているのだ。



<Q>How quickly could Japan develop nuclear capability and how realistic is it that they would take this step?

<A>Japan could develop nuclear weapons very, very quickly. There are no major hurdles in their way other than their previously stated strong desire not to go nuclear. So I don't think they will go nuclear any time soon. But the fact that there is this neighboring regime with weapons and a demonstrated willingness to act so brazenly, will put strong pressure upon Japan, growing over time, to reconsider its nuclear stance.

ーJamie Metzi(Asia Society) , Oct 2006

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