2011年7月12日火曜日

パラオで歩く

 東京の街、信号のない横断歩道で、歩行者のために停止しようとするクルマはほとんどない。 渡りかけた人がいてもブレーキをかけずにハンドルを切って避けるだけという人殺し予備軍の運転者だって珍しくない。

 電車の中で、老人や身体障害者を無視して座席に座り続ける他者への無関心さ、非社会性と同根の、優しさが欠落した人間たちの姿だ。 こんな冷淡な人間たちの棲むところを文明社会とは呼びたくない。

 東京から南へ3000km。 太平洋のミクロネシアと呼ばれる一帯に浮かぶ小さな島国パラオ。 1年ぶりに、そこに住む知人と酒をくみかわしに行ってきた。

 パラオは、19世紀以来、スペイン、ドイツ、日本の植民地となり、太平洋戦争のあとは米国の信託統治領となった。 独立したのは1994年。 本当に小さな国だ。 現在の人口21,000人は世界232か国中219番目。

 植民者たちはパラオ人を原住民とか土人と呼び、まともな文明人として扱ったことはなかった。 民主主義の米国にしても信託統治時代は、zoo theoryと揶揄された政策 、つまり、住民を動物園の動物たちのように飼い殺しにする政策を取った。 冷戦期、太平洋の軍事戦略上、重要な地理的位置にあったパラオを軍事拠点として確保するため、米国は莫大な経済、財政支援で政治的、経済的安定を維持した。 独立後も経済的自立は難しく、米国からの援助は続いている。

 今、パラオは世界的なダイビング・スポットとして注目を浴び、美しい珊瑚の海を目指して、多くの日本人が訪れている。 だが、彼らにしても、海中に舞う小魚に対する以上の関心をパラオの人間たちに示しているとは思えない。

 ウェブでも本でも、パラオの観光ガイドを見れば歴然としている。 ”美しい珊瑚礁”や”巨大なジンベイザメとの遭遇”はあっても、人に関する情報は無に等しい。 あったとしても、日本統治時代にパラオ語になった日本語の紹介、例えば、ブラジャーがチチバンド、といった程度でしかない。

 つまり、パラオ人は、日本人から今でも南洋の土人扱いされているのだ。

 だが、社会的弱者を無視し、歩行者をひき殺しかねない運転をする日本人がパラオ人を見下すのは、天地がさかさまの論理だ。

 パラオの最大都市コロール、と言っても日本の村程度の規模だが、街の中央を通る道路はクルマが多い。 この国に交通信号はひとつもないが、横断歩道はいくつもある。

 東京と逆なのは、人が横断歩道の手前に立つだけでクルマが止まってくれることだ。 横断歩道のないところを渡っても、クルマは徐行してくれる。 クルマが人に、とても優しいのだ。 道路を歩いて渡るのが、とても気持ちいい。

 パラオの社会には、人間関係のハーモニーがあるのだ。 これこそが文明であって、他者を無視する世界を支配するのはジャングルの掟であって、文明社会ではない。

 パラオ人は怠け者で働かないと、外国人は卑下する。 だが、これも当たらない。 彼らは働く必要がないから働かない。 米国の莫大なzoo theory 援助のおかげで、彼らは働かなくても十分生活が成り立つのだ。 日本からの援助もばかにならない額になっている。

 冷戦は終わったが、中国が太平洋へ軍事的に進出する動きをみせている。 米国は中国を牽制するために、パラオの戦略的重要性に再び目を向けているはずだ。 つまり、これからも米国のパラオ経済支援が続くということだ。 だから、パラオ人はまだまだずっと働かないで生きていけるだろう。

 だが、彼らは根っからの怠け者ではない。 パラオ人は米国市民権を持っており、米国本土へビザなしで行くことができる。 多くの若者たちは米国の大学に入り、卒業後も本土に留まる。

 米国では働かなければ生きていけない。 パラオでは働かないパラオ人も、米国では働くのだ。 パラオ人を怠け者と見くびってはいけない。

 われわれ日本人も、パラオ人からクルマの運転を習って、文明人に少しでも近付こうではないか。   

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