2012年8月11日土曜日

「おんな」のロンドン・オリンピック





  ロンドン・オリンピックで日本の女子選手たちが活躍しているのをテレビで見て、”にわか愛国者”たちは大興奮している。 彼らの興味の対象からは大きく外れているだろうが、このオリンピックは、実は、女性の視点からは、とてつもない「歴史的出来事」なのだ。

 8月3日、女子柔道78kg超級1回戦で、プエルトリコのメリッサ・モヒカは試合開始1分22秒で簡単に1本勝ちした。 相手はサウジアラビアのワジュダン・シャヘルカニ、16歳。

 5日後の8月8日、陸上競技女子800m予選では、同じサウジアラビア代表のサラ・アッタル、19歳が、他選手から30秒以上も離され、ダントツのビリでゴールした。

 メダルには程遠い実力。 ワジュダンは黒帯すら取っていなかった。 サラの記録は、日本の中学生にもかなわない2分44秒95だった。 だが、歴史を作ったのは彼女たちだった。 この2人とともに、ブルネイとカタールの女性選手たちも、この栄誉を共有する。 栄誉というのは、オリンピック全参加国による女性選手派遣を史上初めて実現させたことだ。

 いずれも保守的なイスラム国。 他人の男の前で、髪の毛を見せ、あられもない姿でスポーツをすることなど宗教的戒律に則って許されない。 したがって、オリンピックに女性を派遣することなど決してなかった。 他のイスラム諸国にも同様の伝統があったが、時代は徐々に変わってきた。 前回2008年北京大会では、女性選手を派遣しなかったのは、サウジアラビア、ブルネイ、カタールの3か国だけになっていた。

 オリンピック憲章は、性差別を明確に禁じている。 憲章に反する国を除名することもできる。 国際オリンピック委員会は人権団体などからの突き上げもあり、3か国に対し女性を参加させるよう強い圧力をかけた。 確かに、オリンピックからのの除名は、国として拭いがたい汚点になる。 こうして、ロンドン大会開始直前の7月12日、3か国の女性派遣がなんとか実現にこぎつけた。 
 
 1896年第1回アテネ大会以来の近代オリンピックの歴史で、全参加国が女性を派遣したことはなかった。 そればかりではない。 ロンドン大会から女子ボクシングが始まり、これによってオリンピック全26競技のすべてで女子種目が実施されることになった。 ロンドンは、女性参加の記念碑的大会になったのだ。

 近代オリンピックの父クーベルタンですら、女性の参加に関しては「非現実的」「面白くもない」「美的でない」「間違っている」などと、けんもほろろの態度を取っていたとされる。 以来、1900年にテニスとゴルフの女性参加が実現し、1912年水泳、1928年陸上で女性が登場した。 それにしても、全競技、全加盟国による女性派遣までは、120年を要した。

 ワジュダンは試合後、BBCのインタビューにアラビア語で答えた。 「残念ながらメダルは取れなかったけれど、オリンピックに参加できて幸せです」  言葉だけなら負けた日本人選手と同じかもしれない。 だが、その重みはまったく違う。 彼女たちにとっては、まさに「参加することに意義がある」だったのだ。 

1 件のコメント:

サンドラ・ヘフェリン さんのコメント...

今更ながらのコメントですが、今回のオリンピックで柔道の際にスカーフ着用して良いか否かでもめましたね(サウジの選手)。私はドイツで育ったのですが、ドイツやフランスなどヨーロッパで生活していると、この「スカーフ問題」をよく耳にします。つまり公の場で女性がスカーフをかぶって良いのかダメなのか(ドイツの小学校の先生は州によってはスカーフ着用が法律で禁じられている)、という論争ですね。個人的には写真のように、スカーフをかぶる習慣のある女性はスカーフをかぶりオリンピックにどんどん出てほしいです。