2012年8月21日火曜日

理解できなくていいんだ



 一般的な日本人だったら、見に行く前に身構えてしまいたくなるような美術展が、東京・六本木の森美術館で開かれている。 「アラブ美術の今を知る」と謳った「アラブ・エクスプレス展」だ(2012年6月16日~10月28日)。

 そもそも平均的日本人は「アラブ」などという世界や人にまったく関心がない。 しかし、この美術展は宣伝文句からして、「知らなければならない」「知らなきゃ教えてやる」という高飛車な姿勢を感じさせる。 なんとも鬱陶しい。 それでも行ったのは、主催の読売新聞関係者からタダ券をもらったからだ。 それに、かつて、中東にのべ8年も住み、馴染みになったアラブの人々が今、地理的にも精神文化的にも遠く離れた東京で、何を見せようとするのか確かめたかったからだ。

 展示場に足を踏み入れて見て、いやー、ホントに驚いた。 嬉しかったのだ。 旧友に会って、「おまえ、なにも変わっていないなあ」というのと同じ感覚だった。

 展示された作品は、画像や動画を多用し、内容は非常に政治的訴えの色彩が濃い。 日本人のイメージからすると、新聞や雑誌に載っている風刺画という分野に近いかもしれない。

 レバノン人ゼーナ・エル・ハリールの「平和が惑星を導き 雪が星の舵をとる」(画像上)は、3人のヘビ使いが笛を吹き、コブラになぞらえた人物が踊らされている。 ヘビ使いは、左から、シリア大統領バシャール・アサド、パレスチナのイスラム政党ハマス指導者ハリード・マシャル、イラン大統領マフムード・アハマディネジャド。 踊っているヘビは、レバノンのイスラム政党ヒズボラの指導者ハサン・ナスララー。

 周辺諸国の利害が複雑にからみあい、あの手この手でレバノンに介入している政治状況をかなり露骨に描いた作品だ。 

 イラク人ハリーム・アル・カリームの「無題1(「都会の目撃者」シリーズより)」(画像下)は、口を封じられながら目だけは光っている女を描いている。 サダム・フセイン時代の過酷な言論弾圧を表現したものだ。

 そもそも、平均的日本人が複雑なレバノン情勢やサダムの残酷きわまる抑圧の実情を理解しているとは思えないが、もしかしたら、こんなものがアートか、と訝る日本人もいるかもしれない。 だが、アラブ人たちが「政治」をアートの題材に選ぶのは、ごく当たり前のことだと思う。 「政治」が彼らの日々の生活に直接関わっているからだ。

 それは、アラブ世界の悲劇的現状の反映とも言えるが、イスラム教の世界観とも関わっていると思う。 イスラムの世界では、宗教も政治も経済も社会も個人の家庭生活も不可分のものとして一体化している。 だから、人々は家族の問題を愚痴るように政治を批判する。 ただし権力者の耳に入らないところで。

 森羅万象は、神(アラー)という絶対的存在と神を信じるイスラム教徒の関係で決まる。 世の中がうまくいかないということは、神とイスラム教徒の関係に何か問題があるからで、政治は最大の批判対象になる。 その批判とは、彼らには神との関係を正常化するための「生きること」そのものなのだ。

 この世界に慣れ親しんだ者には、懐かしい香りのする展示会場だった。 信仰心の薄いアラブの友人は、イスラム教で禁じられている酒を飲みながら、この会場に溢れているような政治風刺を吹聴していたものだ。 

 おそらく、美術展としては失敗だった。 外部世界の人々の理解を促す抽象化、普遍化が不十分で、ある種の土地勘がないとわからない作品がほとんどだったからだ。 世界がインターネットでつながっても、異なる人間の相互理解など簡単にできることではない。 生身の人間のふれあいなしで、相互理解などありえない。 この美術展は、実は、こんなすばらしいことを教えてくれたのだ。

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