2012年11月6日火曜日

インドの本屋



 インドの大手書籍取次会社幹部の友人がいる。 たまに日本に出張すると、大好きな焼き鳥とビールを楽しみに”red lantern”、つまり、赤提灯に行く。 ちなみに、”red lantern”は、冗談で教えたインチキ英語だが、彼はすっかり気に入って、われわれの会話ではすっかり定着してしまった。 彼は、完璧な発音で「ビール1本ください」と注文する。 だが、彼の他の日本語ボキャブラリは「ありがとう」くらいしかない。 店のオヤジは、ビールの注文以外は身振り手振りのガイジンに首をかしげる。

 ニューデリーに行ったとき、その友人が「たまにはインドで飲もう」と誘ってくれた。 ところが、連れて行ってくれたのは、街の小さな本屋だった。 訊けば、いつも、そこに仲間が集まって飲み会をやっているのだという。 夕刻、仲間たちがそろうと、店主はさっさと閉店し、店のすきまに椅子を並べ、瞬く間に宴会場ができあがった。

 集まったのは、作家、ジャーナリスト、出版社社員など、本の出版に関わる連中ばかり5人ほど。 インド製のラム酒で口が滑らかになるにつれ、政治、経済、社会、国際問題など、話題と議論がどんどん広がっていく。 仕事は異なるが、本という1点でつながる様々な人種が、親しい仲間になっている。 

 2012年11月6日の読売新聞くらしページで特集していた日本における書店の苦境ぶりを読んで、すぐに、ニューデリーの本屋の店先宴会での面白おかしかった光景が目に浮かんだ。

 当時は、ただ楽しかったと思っただけだったが、今、多少まじめに考えてみると、あれが本屋の原点じゃないかという気がしてくる。 原稿を書く人間から、それが本になって、最後に読者となる人々に直接売る人間まで、全員が揃う場が、本屋なのだ。 そんな集まりを日本で見ることはできないだろう。

 Amazonを通して本を購入したり、電子書籍を使うようになると、本屋のオヤジの顔は消える。 それ以前だって、出版産業という巨大機構の細分化された分業体制のもとで、人間の顔はとっくに消えていた。 本屋のオヤジが最後の顔みたいなものだった。

 だが、ニューデリーの本屋店先宴会は、本の作り手、売り手が一堂に会し、人間の顔が、多過ぎるほどの人間の顔が見えた。 

 インドみたいに、あまりにうじゃうじゃと人が溢れていると、うんざりするかもしれないが、あんな本屋が日本にもあったら行ってみたいものだ。 見果てぬ夢だろうが。 

 いや、どうせ客が来ないのだから、店を閉めてやけ酒でも飲もうというのはありうるか。 ちょっと哀しいが。

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