2013年3月19日火曜日

あれから2年

(2012年5月12日・福島県南相馬市鹿島区北海老で)


<2011年3月下旬 ニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファクラー>

  南相馬市役所へは、事前のアポイントを取らずに向かった。 役所に着くなり、職員から「ジャーナリストが来たぞ! どうぞどうぞ中へ」と大歓迎され、 桜井市長自らが「よく来てくれました」と迎え入れてくれた。 なぜ、こんなに喜んでくれるのか、最初はよくわからなかったのだが、市役所内の記者クラブを見せてもらってすべてが氷解した。 南相馬市の窮状を世のなかに伝えるべき日本人の記者はすでに全員避難して、誰ひとりいなかったのだ。

 南相馬市から逃げ出した日本の記者に対して、桜井市長は激しく憤っていた。

 「日本のジャーナリズムは全然駄目ですよ! 彼らはみんな逃げてしまった!」

 市役所は海岸からだいぶ離れた場所にあり、津波の被害はまったく受けていなかった。 だが、日本人記者たちは、福島第一原発が爆発したことに恐れおののいて全員揃って逃げていまったという。 もしかしたら会社の命令により、被曝の危険がある地域から退避を命じられたのかもしれない。

 メディアを使って情報を発信する手段を失った桜井市長は、ユーチューブという新しいメディアを利用することにした。 記者やカメラマンの手を借りることなく、自らがニュースの発信者としてチャンネルを開いたのだ。

 ユーチューブの映像は世界を駆けめぐり、ニューヨーク・タイムズの記者である私が突然アポイントなしで取材に訪れた。 新メディアであるユーチューブの映像を追いかける形で、紙の新聞であるニューヨーク・タイムズが桜井市長の声を報じた。 

 その後、日本の新聞やテレビ局はユーチューブを引用する形で桜井市長の声を報道しだした。 記者クラブ詰めの記者がわれ先に逃げ出してしまったことには蓋をして、南相馬市のニュースを伝える報道機関の姿は、私には悪い冗談にしか思えなかった。

(「本当のこと」を伝えない日本の新聞<双葉社>より)

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