2013年3月2日土曜日

自由が丘のタイ料理屋で

(台北の屋台で)
  何年か前、日本外務省が、正統の日本料理を世界に普及させるために、調理基準を作って各国で指導しようという計画を作った。 日本料理が国際的になるにつれ、日本人の伝統的感覚からすれば奇妙きてれつな料理も登場してきたからだ。 当時、日本メディアはさしたる関心を示さず、事実だけを淡々と報じた。 だが、ヨーロッパや米国の東京特派員たちは、たっぷりと皮肉のスパイスで味付けした記事を書いた。

 彼らが外務省計画にカチンときたのは、「他人が食っているものに口出しするな、余計なお世話だ」というところにつきる。

 アメリカ人記者は、自分たちの味覚音痴は棚に上げて、外務省の上から目線の”規制”を”food police”と揶揄し、 サンドウィッチが誕生したイギリスの記者は、「外務省が決めた味付け以外は日本料理じゃないと言うなら、われわれはサンドウィッチにポテトサラダを挟むのを許さない」とコラムでからかった。 どうやら、日本では当たり前のポテトサラダ入りサンドウィッチがイギリス人には非常に奇異にみえるらしい。 こういった反発があったせいか、外務省計画はいつのまにか立ち消えになった。

 世界中に広まっている中国料理は、国によって味に大きな違いがある。 それぞれの国の伝統の味や食材と混じりあい、独自の中国料理へと「進化」していくためだ。 だから、美食の街パリであろうと、日本人が「chinese restaurant」の看板を見て入った店で、「これが中華かよ!」と顔をしかめてしまうことがあるのも当然なのだ。

 1991年2月、中東ヨルダンの首都アンマンのインターコンティネンタル・ホテル近くにある小さな中国レストランで奇妙なことが起きた。 日本人からすれば食えた代物ではなかった料理の味が、日々どんどん変化し、日本のラーメン屋で出てくる一品料理、野菜炒めとか麻婆豆腐などに非常に近い味になった。 

 「進化の突然変異」を実現したのは、煎じ詰めれば、ヨルダンの隣国イラクのあの独裁者サダム・フセインだった。 サダムのクウェート侵攻で米国を中心とする多国籍軍とイラクとの戦争が始まった。 外国人記者たちの報道拠点となったインターコンには多数の日本人記者も集結した。 日本人たちはホテル近くの中国料理屋で昼飯を食べるようになったが、味が物足りない。 そこで、誰もが料理人に一言注文をつけるようになった。 一人が一回一言でも、数十人いたから注文の蓄積は膨大だ。 中には調理場まで、ずかずかと入り込んで指導する猛者まで現れた。 「突然変異」は、こうして起きた。

 ただ、これも心優しいヨルダン人ゆえに可能になったのだと思う。 同じ中東でもパレスチナ人の土地を強引に奪い取ってイスラエル国家を作ってしまったユダヤ人では、こうはいかない。

 日本料理の世界的ブームはイスラエルにも到達し、エルサレムやテルアビブにも日本レストランが開店した。 だが、案の定、ひどい味だった。 友達の日本人は「ホンモノの日本料理とはちょっと違うなあ」とイスラエル人店主にコメントした。 これに対する反応は、周囲に敵を作ってでも生きていこうとするイスラエル人そのものだった。

 「われわれは、あんたたち日本人を相手に商売しているわけではない。 イスラエル人の客が喜ぶ味を出している。 日本人に合わなくてもイスラエル人が旨いと言えばいいんだ」

 正論ではあろう。 日本の街の食堂でカレーライスを注文したインド人が「これはインド料理ではない」と文句をつけても、日本人が味を変えないのと同じ理屈だ。 

 きのうの夜(2013年2月28日)、 東京・自由が丘で人気のタイ料理レストランへ数年ぶりに行った。 かつてタイに住んでいた経験からして、この店の味は限りなく本場の味に近いと思った。 ここで食事をしていると、バンコクにいるような気分になれた。 だが、いつも混んでいるのでテーブルをなかなか取ることができない。 それで何年も行きそこなってしまった。 昨晩は、わざわざ予約をして行ったのだ。

 この店は、若い女の客が90%以上を占め、みんな幸せそうに食事を楽しんでいる。 まずは、大好きなタイ風さつま揚げ「トートマン」を前菜替わりに注文した。 トートマンは、魚かエビのすり身に辛い味付けをし油で揚げたものだ。 この店ではエビを使っていた。 タイでは庶民的な食べ物で道端の屋台でも売っている。 

 われわれはワインを飲みながらトートマンが出てくるのを待っていた。 だが、ウエイトレスが持ってきた皿を見て驚かされた。 タイで誰もが知っているトートマンとは似ても似つかない食べ物が出てきたからだ。 それは、パン粉をつけて揚げたメンチカツみたいなものだった。 トートマンは素揚げが普通だ。 恐る恐る味見してみると、不味くはないが、辛みも独特の匂いもなく、本来のトートマンとは異なる別の食べ物だった。 日本に初めて来たインド人が日本のカレーライスをインド料理だと言われて食べた印象が、きっとこんなものだったに違いない。

 この店の以前の味を知っているだけに、あまりに見事な味の日本化に唖然とさせられた。 がっかりして、すぐに出ることにした。 ただ、若いウエイトレスは、とても率直だった。 シェフは前と同じようにタイ人だが、料理の味は客の好みに合わせて変えたそうだ。 「前の味の方が良かったですか? 上の人に言っておきますよ」。

 それにしても、タイ人料理人の環境への器用な適応ぶりは、なんとも凄い。 タイ料理ではないタイ料理を言われるままに、それなりの味にして作ってしまうのだから。

 いったい、旨い料理とは何だろう。 アメリカ人が発明したカリフォルニア巻きなどという寿司を日本人は小ばかにしていたが、いつのまにか日本の寿司屋の定番メニューになってしまった。 そのうち、バンコクでも、日本生まれのメンチカツみたいなトートマンをタイ人が喜んで食べるようになるかもしれない。

 きっと、どんなに不味い料理でも、にこにこして食べるのが、これからの真の国際人の正しいマナーなのだ。 そうやって、じっと我慢していると、味がまた変わってくる。 

 その例がアメリカにある。 メキシコ料理のタコスはアメリカに広まって典型的ジャンクフードになった。 しかも、ひどい不味さ。 メキシコ文化に対する侮辱以外のなにものでもない。 味覚音痴のアメリカ人は、料理の量は認識できても味はわからない。 ところが、近ごろ、アメリカのタコスが大きな変化を遂げ、食える代物になっている。 それどころか、本場にも負けない味の店も増えている。 その理由は、メキシコからの移民が急増したことだ。 彼らの味覚に対応するために、タコスは「メキシコ回帰」したのだ。

 が、それにしても、とりあえず、旨いトートマンを食える店を探さなければ。

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