2013年12月2日月曜日

古き良き食材偽装の時代


 見るからに、客が入りそうもないしょぼくれた飲み屋。しかも、入口の「居酒屋」と染め抜かれたヨレヨレの暖簾は裏表が逆だった。 どうしようもない店だ。 だが、あまりにうらぶれた佇まいに好奇心が湧いて、われわれは建てつけの悪いガラス戸をつい開けてしまった。

 年老いた店主が顔を出したので、「暖簾が裏返しだよ」と教えたら、外に出てきて暖簾をかけ直そうとした。 しかし、年のせいか、ぎこちないからだの動き。 見かねて暖簾をかけ直してやって店に入った。

 「1年前に女房が先立って、食べるものはほとんどないんで申し訳ない」

 確かに、狭い店内は手入れが行き届いていないせいか、なんとなく薄汚れている。出されたお手拭きのタオルは汚れていて雑巾のようだった。 とても手を拭く気にはなれない。

 とはいえ、背中がすっかり丸くなった店主は話好きで気の良い人物のようだった。 聞けば、東京のラグビーの名門、あの保善高校ラグビー部のレギュラーで、1953年に保善が全国大会で初めて決勝に進出したときのメンバーだったという。 今の弱々しげな姿からは想像もつかないが、店主が言う通り、店の隅には黄ばんだ表彰状が飾ってあった。 栄光の過去。

 その後、立教大学ラグビー部に引っぱられて入ったが、当時の立教は長嶋のいた野球部だけが注目されていた。 大学を出てからはサラリーマン、そして脱サラ。 以来40年、この場所で居酒屋をやってきた。

 「昔はヤキトリもやっていたんだよ。市場で豚肉を仕入れて」

 店主のこの一言が引き金になって、われわれも汚らしい横丁が当たり前だった過去の東京世界に思いが飛んだ。

 そう、あのころ、安い飲み屋でヤキトリと言えば、豚肉か豚肉の臓物だった。 今と違って、ブロイラーの”チキン”などなかったから、鶏は豚よりはるかに高かった。 ヤキブタをヤキトリと言って食っていたのだ。 店も客も、そんなことは百も承知だった。

 あれを、また食いたいなあ。 あのヤキトリには本物の日本酒じゃなくて合成酒が合うんだ。 ひどい臭いだったけどね。

 あの酒だってヤキトリと同じで、日本酒ということにして飲んでいた。 誰も、これは「合成酒だ」なんてヤボなことは言わなかった。

 もしかしたら、戦後日本の都会で繁殖(?)した闇市の文化かもしれない。 みんなでウソをついて騙しあって、お互いにそれがわかっている。 今だったら”食材偽装だ”とマスコミが目くじらを立てて叫ぶだろう。

 ほんのちょっとのウソで、みんながほんのちょっと幸せな気分になる。 称賛してはいけないが、なぜか、ほんのりとした懐かしさを覚えてしまう。 年をとったせいかな? いや、老店主のペースに、いつのまにか引き込まれてしまったかな?

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