2014年12月8日月曜日

去っていったヤクザ映画のスターたち


 「刺繍」、「詩集」、「歯周」、違うんだよ! 「死臭」だよ! 

 中東の「洗浄」、いや「線上」、「船上」、「煽情」、「千畳」でもなくて「戦場」。戦争の現場を取材して生々しい記憶があるうちに、ワープロに向かって前線ルポを書き始めて変換キーを押したとき、ついさっきまでの殺戮の現場から、突然、平和な日本に時空瞬間移動をしたような錯覚を感じたものだ。

 当時使っていたワープロは持主の使用頻度が高い単語を優先する学習能力がなかった。「ししゅう」「せんじょう」と入力して「死臭」や「戦場」がすぐには出てこない。 当たり前のことだ。 平和な日本で作られたワープロにとっては、最も縁のない遠い世界の単語だからだ。

 だが、殺し合いが日常の世界に身を置いているとき、「刺繍」「詩集」「洗浄」「煽情」などという単語が突然目に飛び込んでくると、平和すぎる言葉があまりに場違いに思え、逆にギクッとする。

 今、その平和な日本で生活している。 多摩川の河川敷をよく散歩する。 この一帯は、テレビドラマかコマーシャルフィルムの撮影がよく行われる。
 
 あるとき、100メートルほど離れたところで、男たちが派手に動き回っている光景に出くわした。 どうやら、ドラマの乱闘場面を撮影しているらしい。 だが、遠くから見ても、本物の乱闘には見えなかった。 相手を倒そう、殺そうという恐さがないのだ。 ひと目でにせものとわかる。
 
 テレビや日本映画で見るチャンバラやヤクザの乱闘、殺人といった場面も、どこか現実味に欠けている。 人が殺されるときは、殺される側ばかりでなく殺す側も凄まじいストレスにさらされる。 だが、たいていの娯楽映画には、そういう緊迫感がない。

 昔の東映映画、「旗本退屈男」の市川歌右衛門は、厚化粧で額に三日月形刀傷のかさぶたをいつも付けていた。子ども心に、あのかさぶたはどうしてとれないのだろうかと思ったものだ。 そして、かさぶた男は派手な着物に返り血を一滴も浴びることなく悪人を次々と切り倒し、大見得を切る。
 
 華麗に舞うような立ち回りは日本映画の殺陣と呼ばれる伝統だ。 だが、実際の殺し合いではありえない様式美。

 太平洋戦争で、日本人たちは、あれほど人を殺し、自分たちも殺されたのに、なぜか殺しの記憶をなくし、非現実的な殺しの場面を作る。 今では日常的に殺しの場面を見ることがないから、現実的な醜い殺しではなく、美しい殺しをイメージした場面を作ってしまうのかもしれない。

 アメリカ映画は違う。戦争を飽くことなく体験し、日常の生活でも殺人に身近に接しているアメリカ人が映画で描く殺し合いの場面は迫力がある。 彼らは殺しを現実のものとして知っているからだ。

 日本映画は、この観点からすると児戯に等しい。 最近死去した俳優・高倉健も菅原文太も、ヤクザ映画では非現実的に”美しい”スターでしかなかった。

 彼らが演じる男たちは、まるで料理人が包丁で魚をさばくように、躊躇なく人を切る。 そういう人間も本当にいるかもしれないが、非常に稀な存在であろう。 そんなことをできる主人公であれば、いかにしてそういう人間になったのか壮大なドラマをまず作らねばなるまい。 だが、高倉健も菅原文太も生まれつきのように、人を殺す精神力と技術を身に着けていた。
 
 彼らが出演したヤクザ映画がどんなに観客を集めようが、この非現実性からすれば、なんともちゃちなB級娯楽映画でしかない。

 シネマコンプレックスなどなかった20世紀の時代、映画は映画館で観た。 あのころは、新しい洋画はロードショー、日本映画は封切りと言っていたと思う。そして、普通の人たちはヤクザ映画に高いカネを出して封切り館で観ることなどなかった。 当時は、古くなった映画を上映する2本立てとか3本立ての安い映画館があちこちにあった。 休憩時間には石原裕次郎の物憂げな歌が流れ、館内はタバコの煙が充満し、便所の臭いと混じり合って、独特の安映画館臭というものがあった。

 健さんも文太兄いも、こういう映画館のヒーローだった。 ヤクザ映画全盛の時代が去ったあと、二人が演じていたのは、”足を洗ったヤクザ”のイメージだった。 高倉健が演じた「幸福の黄色いハンカチ」の主人公は、文字通り、網走刑務所を出所したばかりの男だった。 ヤクザ以降、彼の役柄は、どれも刑務所帰りの男が漂わせると思われる暗さをイメージしていた。 まるでシリーズもののように、同じ暗い雰囲気の男。 菅原文太は、ヤクザと暴走トラック運転手から足を洗い、俳優の足も洗ってしまった。

 彼らは間違いなく、平和日本で制作されたB級大衆娯楽映画の人気スターだった。 これだけでも十分な褒め言葉ではないか。 だが、果たして、名優だったのだろうか、と思う。

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