2009年8月3日月曜日

コラソン・アキノの23年間


 8月1日、コラソン・アキノが死んだ。
 そう、あれから23年もたったのだ。新聞の死亡記事に添えられた写真の彼女は、すっかり老けてしまっていた。76歳というのだから、年相応ではあるのだが。

 フィリピンという国に馴染んでいる人にはよく理解できると思うが、あの国に住んでいる人たちは、貧乏人も金持ちもみんなエンタテイナーだ。誰もが自分に求められる役を演じて、人を喜ばせる。悪人は悪人らしく、善人は善人らしく。

 1986年2月のクライマックスに達するまで続いたフィリピン人全員参加の「ピープル革命」というドラマは、やや安っぽい大衆演劇の範疇に入るのかもしれない。だが、わかりやすい筋書き故に、誰もが楽しむことができた。

 主な登場人物は、極悪人の独裁大統領フェルディナンド・マルコスとその妻で彼に負けず劣らずの悪女イメルダ・マルコス、大統領の幼馴染で独裁体制を支えてきた国軍参謀総長ファビアン・ベール。

 そして、悲劇の女主人公が、マルコスとベールの陰謀で夫を暗殺されたコラソン・アキノという役回りだった。

 この他に、反マルコス側に寝返った国軍参謀次長フィデル・ラモス、国防相ファン・ポンセ・エンリレも、ドラマの最後を盛り上げた100万人デモ動員には大きな役割を演じた。

 それにしても、あのドラマを成り立たせるには、極悪人たちが最後まで極悪人である必要があり、その意味で、マルコス夫婦とベールは見事に、憎々しげな役をこなした。

 さらに印象的だったのは、世間知らずの普通の清楚な主婦の繊細さと戸惑いぶりで人々の心に訴えたコラソンの名演技だ。

 聴衆を前にしたコラソンの演説は、あまりに下手で、それが人々の「助けてやらなければ」という同情心をかきたてた。とにかく、緊張で声は震え、原稿を棒読みしながら、つっかえてしまう。

 極悪人の独裁者に挑戦する普通の主婦。これが、このとき行われたフィリピン大統領選挙である。役者はそろった。こんな面白い見ものはそうはない。こうして、世界中のメディアがフィリピンに押し寄せた。

 結末は、ご存知のように、極悪人たちが大慌てで国外に逃亡し、主婦が大統領になるという夢物語の実現。あとで思い返してみれば、絵に描いたように見え透いたハッピーエンド。とても、本当に起きたこととは思えない。絶対に、フィリピンだから起きたのだと思う。

 こういうフィリピン的特殊性、話が面白すぎたことなどを抜きにして語ることはできないと思うが、この出来事はメディアにとっても、画期的だった。

 独裁体制が崩壊するプロセスが余すことなく、リアルタイムで世界中のテレビに流され、何憶もの人々が同時に歴史的事件を目撃したのだ。こんなことは史上初めてのことだった。

 実は、当時、フィリピンで、あの騒ぎのど真ん中にいて、そんなことは知る由もなかった。興奮も収まって2か月ぶりに東京に戻って知り、驚いた。

 久しぶりに、赤ちょうちんの飲み屋に入ったら、サラリーマン風の酔っ払いがフィリピンの将来について興奮して大議論をしていたのだ。

 聞けば、連日のテレビ報道で日本でもフィリピン通が、やたら増えたという。まさに、新しい歴史だ。それ以前に、縁もゆかりもない国の問題、つまり国際問題でニッポンの酔っ払いが言い合いをするようなことがあっただろうか。

 こののち、ベルリンの壁崩壊、天安門事件、湾岸戦争、ソ連解体、そして9・11事件など、世界中の普通の人々が歴史の目撃者になることが当たり前になっていく。

 コラソン・アキノの国際舞台への登場から死までの23年、世界は様変わりした。無論、その後に目撃された殺伐としたドラマに、フィリピンのあの底抜けの明るさは望むべくもなかった。

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