2009年8月4日火曜日

清潔信仰

 アジア、中東、アフリカなどの第3世界に、のべ14年も生活したMが病気に罹ったという話をきいたことがない。

 インドネシア・スラウェシ島の山奥で、住民の80%がマラリア患者という集落に一晩泊まったときは、蚊がブンブン飛んでいて、さすがに観念したという。だが、Mは無事だった。

 パキスタンのイスラマバードで、日本人2人とともに小さな食堂に入り、チキン・マサラを食べたあと、2人は下痢をしパラチフスに罹ったが、Mだけはなんともなかった。

 バンコクでは、名物だが外国人が口にするのを怖がる生ガキが好物だ。どこの国でも必ず生水を口にし、病気を覚悟で、その国の味を試すとうそぶく。

 単なる無謀な蛮行を続けているだけで、Mはやがて大病で野垂れ死にするかもしれない。それはそれでいい。まさに自己責任なのだから。

 彼の生活ぶりは、潔癖症の日本人の対極にある。それゆえに、なにか示唆的である。

 外国人の感覚では汚れに対する病的とも言える日本人の恐怖感は、日本文化の一部であろう。とくに日本的清潔さと縁のない異文化の世界に日本人が置かれると身の回りのすべてが汚れているという強迫観念にとらわれることがある。

 誰もというわけではないが、皮肉なことに、そういう人にかぎってストレスで下痢を引き起こし病気になる。いつもは、ミネラルウォーターで、レタスを洗い、歯磨きのあとのうがいをし、氷を作っている。それなのに、なぜ? その疑問は、たいてい、自分が住んでいる国への嫌悪感へと転化する。

 こうして、第3世界の国々に駐在する企業の奥様方の多くが、その国を嫌いになり帰国するときは逃げるように出国する。

 8月3日の読売新聞に奇妙な社説が掲載されていた。「海外の感染症にかからぬよう十分に注意しよう」と呼びかける社説とも言えない社説だ。

 おそらく、夏休みの海外旅行シーズンに合わせた注意喚起なのだろう。食べ物・飲み水に気を付け、虫に刺されないようにしようと注意事項を挙げている。読者を、遠足に行く前の小学生程度に見下している態度が見え隠れしていると言えなくもない。

 それはいいとして、この注意喚起が想定もしていないのは、「病気になりたくないなら汚いものを恐れるな」という重要な点だ。

 Mのような乱暴をすることはない。普段の生活でも、床に落としたお菓子くらいは拾って食べる習慣が汚れにたいする精神的強靭さを養う。肉体的にも多少の汚れに負けない免疫力を向上させることができると言う医師もいる。

 日本の神道とは、「清潔信仰」だと思う。穢れを清める行為が重要な要素になっている。古代から日本人は清潔さを尊んでいたという。戦国時代に日本にやって来た西欧人は、女性の性的奔放さとともに、実に清潔に維持管理された家屋に驚いたという。(性的奔放さと清潔信仰の関連性は知らない)

 だから、「汚いものを恐れるな」と日本人に言えば、日本文化への挑戦、悪意に取られれば、日本文化の破壊者とみられるかもしれない。

 だが、汚れに満ちた地球村で、日本人だけ無菌状態の隔離を維持することは不可能だ。新型インフルエンザのパンデミックがせまっている。ウィルスから逃げ回っているだけでは、西暦3000年までには人口減少で消え失せるとされる絶滅危惧種「日本人」は、その前にストレスでへとへとになってしまうだろう。

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