2013年5月20日月曜日

Mampoholic Ⅱ ― 縄文ビーチを歩く

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  トルコやイラン、イラク内陸部に多く住む少数民族クルド人の地域には海がない。 彼らに冗談めかして「水泳を知らないだろ?」と訊いたら、即座に「もちろん泳げる」と笑って答えた。 その理由は、旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」だった。 箱舟は大洪水に押し流され、現在のトルコ北東部、アララト山にたどり着いた。 この山はクルド人の霊峰でもある。 クルド人は大洪水を生き残ったのだから、当然泳げるというわけだ。

 同じ冗談を海なし県の栃木県出身者に言うときは気をつけたほうがいい。 ひがみっぽい県民性の彼らは冗談を理解しないで、顔をひきつらせるかもしれない。 クルド人のように心が広ければ、「もちろん泳げる。 縄文時代には栃木県にも海があったんだ」とやり返すのだが。

 縄文時代、地球が温暖化し、氷が解けて海の水位が現在よりかなり上がり、今の東京は広い範囲が水没し、東京湾は栃木県にまで達したとされる。 

 「縄文海進」と呼ばれ、水位がピークに達したのは6500年前とされる。 その水位については諸説あるが、東京では現在の海抜10メートル前後のあたりだと思えば、専門家ではない一般人の理解には十分らしい。

 そこで思い立った。 東京の縄文時代ビーチラインを歩いて見ようと。

 きっかけは万歩計の衝動買い。 安いけれど品のないドンキの店内に、何気なく足を踏み込んで買ってしまった。 以来、万歩計を持たないと歩けないmampoholic と化した。 だが、ただ歩くだけでは面白くないので、「玉川八十八ヶ所霊場」というのをみつけ、巡り始めた。 大田区、世田谷区、川崎市などに点在する真言宗の寺巡りだが、所詮そこいら辺のありきたりの寺、八十八のうち三十を回ったところでうんざりしてきた。 信仰心のかけらもないのだから、想定内の成り行きだったと言えなくもない。

 そして、たどりついたのが「縄文ビーチ踏破」だった。 

 すぐに手ごろな地図が手に入った。 大田区が発行した「大田区津波ハザードマップ」。 この裏面には、なんと、「縄文ビーチ踏破」のために作ってくれたのではないかと感激したくなる地図が多色刷りできれいに印刷されていた。 「大田区標高図」と題し、海抜10メートルのラインが非常にわかりやすく描かれている。 しかもタダ。 

 海抜10メートルを目安にすると、あの有名な大森貝塚が海っぺりにあったことが地図からよくわかる。 6500年前、蒲田駅も東急多摩川線、JR、京浜急行も海の中。

 とりあえず、東急多摩川線下丸子駅から、その北側の環状8号線を渡り、やっと海中から這い出して、大田区鵜の木特別出張所付近から東急池上線千鳥町駅方面へ海岸線を歩く。 明らかに、左側の土地は、平坦な右側より高くなっていて、斜面に家々が建っている。 6500年前なら、目の前に海が広がり景色が良かったことだろう。 

 池上線の線路にぶつかる手前に、フラダンス教室があった。 これには、つい笑ってしまった。 6500年前なら、波打ち際でフラダンスを踊れたのに。 今では目の前を電車が走る。

 道端で顔をあわせたおばあさんに、大昔はこのあたりが海だったことを知っているかきいてみた。 「ちっとも知らなかった」と驚いていたが、近くに松林があるけれど「あれは浜辺のあとかねえ」とトンチンカンなことを言った。 「違うよ、バアサン、6500年前のことだよ」と一応は説明した。 だが、縄文杉などというのが屋久島にあるのだから、縄文松があってもおかしくないなあ、という気もしてきた。

 万歩計でタイムスリップするお散歩は悪くない。 それにしても、この海抜10メートル・ラインより上は、田園調布をはじめ上流の住宅街で知られているが、海底だった広い一帯は、小さな町工場が目立ち、低所得の住民が多いのはなぜか。 土地の価値が6500年も前に決められてしまっていたという運命論は受け入れたくない。

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