2015年1月11日日曜日

25年ぶりのビルマ④


 25年前、ヤンゴン中心部の北、インヤ湖に面したアウン・サン・スー・チーの自宅を見に行くには、ちょっとした緊張感を強いられた。 ビルマ人ジャーナリストに頼み、彼のクルマで連れて行ってもらったときには、監視の当局者の注意を引くから、ジロジロ見るなと注意された。 だから、助手席で顔を正面に向けたまま横目で眺めたものだ。

 今、スー・チーの自宅は観光コースにまでなっている。 道路に面した門前では、カメラを手にした外国人観光客がうろうろしている。 土産物でも目玉のひとつだ。スー・チーの似顔絵Tシャツ、スー・チーの顔写真付きカレンダーといったアイテムが店先にずらりと並んでいる。

 2010年から始まった”民主化”で、翌2011年には軍は支配機構から退き、”民政”が久しぶりに復活し、スー・チーも国会議員として公けの舞台に登場した。 これによって、米国をはじめとする欧米や日本などのミャンマーに対する経済制裁が大幅に緩んだ。 

 これをきっかけに、”東南アジア最後のフロンティア”に外資が次々と進出してきた。 日本企業も活発な動きをしている。 かつて、まともなレストランすらなかったヤンゴンの街に、数えきれないほどの日本料理屋が店を開き、かわいらしいミャンマーの女の子をはべらせる日本人向けナイトスポットまで登場した。 まさに、普通の東南アジアになったのだ。

 スー・チー邸見学や土産物屋に並ぶスー・チー関連アイテムは、彼女が稼げる人気アイドルになった”民主化”を象徴する光景だ。

 だが、現状が本物の「民主化」とは思われていない。 とはいえ、人々がかなり公然と軍の批判を口にできるようにはなったようだ。 たまたま乗ったタクシーの英語ができる運転手は「military regime(軍支配体制)が続くうちは、democracy(民主主義)ではない」と、窓を開けた外の騒音に負けないくらいの大声で言った。

 本物の「民主化」でないことは、現憲法を見れば歴然としている。 外国の影響を受けた人物は大統領になることはできないとする規定によって、スー・チーには圧倒的人気があろうが大統領の資格がない。 軍事政権の最高決定機関であった国家平和発展評議会 (SPDC)は2011年に解散したが、この憲法は軍が国家運営に決定的影響力を持てることを保障している。 つまり、現状は”民主的な軍政”という言葉としては矛盾する奇妙な体制なのだ。

 スー・チーはこの体制と妥協し、人気アイドルになった。 だが、彼女には、反軍政指導者として、人権擁護者として、ノーベル平和賞受賞者として、やるべきことが未だに山積しているはずだ。

 さらに気になるのは、スー・チーが多民族国家ミャンマーで人口の70%近くを占める支配民族ビルマ人の域を越えていないのではないかという疑念だ。 国際的にミャンマーの人権侵害と非難されているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの弾圧に関し、彼女が意図的に言及することを避けている節があるからだ。

 スー・チーは所詮、ビルマ支配層に属する”持てる者”にすぎないのか。 それとも、彼女の大統領への道を理不尽に阻害する現憲法の改定へ向け、さらに勇敢な戦いを継続するのか。 ミャンマーの明日は、まだ見えていない。 

(続く)

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