2016年1月28日木曜日

イラク・シリア列車の旅

(ボスポラス海峡に面したハイダルパシャ駅)

 若いイギリス人女性が一人でバグダッドを列車で出発、キルクークで降り、さらに車でモスルへ。 ここで1泊。 翌日再び車でヌサイビンまで行って列車に乗り継ぎ、アレッポに到着した。

 ここ数年は、狂信的テロ組織”イスラム国(ISIS)”が浸透している危険きわまりない地域だ。 バグダッドを出てから3日。 列車はアレッポ駅に1晩停車し、朝7時に出発、翌日夜7時40分、ボスポラス海峡に面したイスタンブールのハイダルパシャ駅に無事到着した。 

 バグダッドから5日間の旅だった。 だが、それは危険に満ちた冒険ではなかった。 彼女の名前はメアリ・デブナム。 乗ってきた列車はタウルス急行。 終点ハイダルパシャで降りたメアリは、他の乗客とともに船で海峡を渡り、シルケジ駅で午後9時発のフランス・カリー行きのオリエント急行に乗り込んだ。

 そう、これは現代の話ではない。 1933年ごろのことだ。 ふたつの大戦間の比較的落ち着いた時代だった。 メアリは優雅な個室のコンパートメントで過ごしていた。

 メアリは、アガサ・クリスティーの代表作「オリエント急行の殺人」に出てくる登場人物の一人。 今読み直してみると、メアリの旅行ルートに驚くほどの時代の違いを感じさせられる。

 今年は、アガサ・クリスティ―没後50年。 それで、ふと昔買ったハヤカワ文庫版を引っぱりだして読んでみた。 めくるページは黄ばんでいたが、内容は今でも新鮮に感じる。

 彼女が「オリエント急行の殺人」を出したのは1934年。 イスタンブールの中心ベイヨール地区に今も博物館として残るぺラパラス・ホテルで執筆したとされる。 このホテルは誰でも泊まれ、アガサ・クリスティーの部屋も見ることができる。 このホテルのバーでトルコの地酒ラクを飲んでほろ酔い気分になると、古き良き時代へ時間移動できる。 

 小説の主人公・名探偵ポアロは、アレッポからメアリと同じ列車に乗り、イスタンブールにしばし滞在するつもりで「トカトリアン・ホテル」にチェックインする。 このホテルは間違いなくペラパラス・ホテルのことだ。 ポアロはここで電報を受け取り、急きょ予定を変更して再びメアリと同じ列車に乗り、殺人事件に巻き込まれる。

 イスタンブールは、とくに中心部から旧市街にかけては、街そのものが博物館のようだ。 

 ポアロやメアリがタウルス急行を降りたハイダルパシャ駅も、2010年に火災が起きたが昔のまま残っている。 ただ、かつて金持ちたちの長距離列車旅行の拠点となった優雅な雰囲気はない。 今は、むしろ、汚れた列車で田舎に向かう貧乏人たちの駅だ。 故郷に帰る家族と涙の別れをする光景がかもしだす雰囲気は昔の上野駅といったところか。

 今、タウルス急行が通った一帯は戦場と化している。 オリエント急行が雪で立ち往生し、殺人事件が起きたユーゴスラビア王国はその後ユーゴスラビア連邦人民共和国となったが、すでに地上から消滅している。

 時代は巡り巡って、どこへ行くのだろうか。 ムシュー・ポアロに訊いてみようか。

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