2013年2月19日火曜日

なんのための防衛駐在官増員



 1994年、当時のアルジェリアは内戦真っ盛りだった。 自由選挙でイスラム政党が第1党に躍進したが、軍はこの選挙結果を拒否し、軍事クーデターによる政権を樹立した。 これに反発したイスラム勢力が軍政打倒を目指し武装闘争を開始した。 

 イスラム勢力は、軍政の国際的信用を失墜させるために、アルジェリア国内で外国人を標的にしたテロを活発化させ、外国人ジャーナリストも標的となった。 武器は銃かナイフ。 首都アルジェの街で頻繁に襲われた。 それでもジャーナリストたちは、歴史の目撃者となるために、危険な通りを命懸けで歩いた。

  おそらく、ひどくかっこ悪い取材ぶりだった。 なにしろ、どこからゲリラが襲ってくるかわからないので、常に目をキョロキョロさせ、道路の建物側にからだをくっつけるように身を寄せ、なかば横這いで歩いていた。 日本の通信社のF記者は、この姿を「アルジェのカニ歩き」と言って、自分自身をからかっていた。 「フクチャン」の愛称でみんなに好かれていた彼は、アルジェでは無事だったが、のちに赴任した平和なニューヨークでストレスが溜まって死んでしまった。

 このアルジェリア内戦のころ、駐アルジェ日本大使館はどんな活動をしていたのか。 見事に何もしていなかった。 危険を理由に外出せず、大使館内にこもっていた。 致し方なく外出するときは、米国製の防弾車に乗り、武装警備員を同行させた。 

 ”ここは地の果てアルジェリア~~”  そのころ、かの古典的歌謡曲「カスバの女」は、大使館内のカラオケでは、誰もが歌いあき、聴きあきてしまったそうだ。

 もちろん、大使館の最重要任務である情報収集などできるわけがない。 したがって駐在する意味はまたくなかった。 唯一の情報収集活動と言えるものは、他国の大使館と横並びで出国するために、こそこそと様子をうかがうことだった。 日本を遠く離れても、日本の役人は日本の役人なのだ。

 2013年1月16日アルジェリアの天然ガス精製プラントをイスラム武装勢力が襲い、アルジェリア軍が逆襲した。 この事件で、人質にされた日本人10人が死亡した。

 この事件以降、日本では、とくに、国会や首相官邸周辺で、軍事情報の収集を充実させるために、大使館の防衛駐在官を増強すべきだという主張が強まっている。

 この主張の論理はよくわからないが、どうやら、大使館に軍事情報の収集・分析を専門とする防衛省出身の防衛駐在官を増やせば、今回のような事件が起きた場合、より正確な情報をより速やかに入手できるという考え方のようだ。

 もし、そうだとしたら、単純すぎる素人考えか、何を目的にしたかわからないが、嘘八百だと思う。

 なぜなら、第1に、防衛駐在官といえども、大使館勤務中は外務省支配下にあり、1人の外交官という身分になる。 つまり、危険な事態になっても大使の命令に従って、大使館内に籠もり、情報収集のために勝手に外出などしてはいけない。 

 第2に、防衛駐在官の普段の情報収集活動というのは、他の外交官と同じで、新聞やテレビなどのマスメディアが流すニュースを丹念に拾うことで、スパイ映画のように独自の情報源から秘密情報が流れてくるようなドラマティックな場面はほとんどない。 したがって、情報収集量を増やしたいなら、防衛省よりも海外勤務に慣れた外務省の職員を増やした方がいいかもしれない。

 第3に、防衛駐在官の最も重要な仕事は、他国の駐在武官たちと親密に付き合うことで、駐在官が独自情報と称している情報のほとんどは、武官コミュニティの中を伝言ゲームのように、ぐるぐる回っているものがほとんど全てと言っていい。 彼ら、military attache たちは、なぜか、どこの国に行っても親密なコミュニティを形成し、胸に勲章をぶらさげたパーティを頻繁に開く。 おそらく、そうやって、自分たちのレゾン・デートルを確認しあっているのだと思う。 

 ただ、防衛駐在官を含め、武官と呼ばれる人たちは、なぜか皆、人が良くて、心根が真っ直ぐで、概して酒も好きなので、つきあっていて楽しい。 だから、ここで武官の悪口を言う気など毛頭ない。

 問題は、何か、わけのわからない彼らに対する買いかぶりが、意図的に進行しているように思えることだ。 

 いったい、それは何なのだ。 政治的なたくらみが臭わないか。

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