2016年10月17日月曜日

赤い靴


 
♪赤い靴
(作詞:野口雨情/作曲:本居長世)
赤い靴はいてた女の子
異人さんにつれられて
行っちゃった
横浜の埠場から船に乗って
異人さんにつれられて
行っちゃった
今では青い目になっちゃって
異人さんのお国に
いるんだろう
赤い靴見るたび考える
異人さんに逢うたび
考える

 横浜の歴史情報サイト「横浜の歴史タイムスリップ」より。

  横浜といえば「赤い靴」を連想する方も多いと思う。現に横浜土産にも赤い靴をデザインしたものが多い。 野口雨情の詩になる童謡『赤い靴』をはいていた女の子にはモデルが存在した。

  1904年(明治37年)7月15日静岡県清水市宮加三(旧二見村)に生まれた「岩崎きみ」がその子である。 「きみ」とその母「かよ」とは、故あって北海道に渡るが、この地で母はまだ2歳になったばかりのわが子をアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻にその養育を託すさだめとなった。

  やがて宣教師夫妻には母国への帰国が命ぜられるが、このとき「きみ」は不治の病におかされており、夫妻はやむなくこの幼子を孤児院(当時麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院)に残して旅立った。

 「きみ」はひとり癒えることのない病の床にあって相見ることも叶わぬ母を慕いながらわずか9歳の短い生涯を終えた。 いま、この女の子は、青山墓地の鳥居坂教会の共同墓地(東京六本木)に眠っている。

 一方、母「かよ」はそんな娘の死も知らないまま、「きみ」はヒュエット夫妻とアメリカに渡り、幸せに暮らしていると信じ、1948年(昭和23年)に「きみちゃん、ごめんね」の言葉を残して64歳で他界したという。現在、この幸薄い母子に思いを寄せ、「きみ」にゆかりのある地に合わせて4つの像が建てられている。

・日本平・・・母子像(きみの生まれ故郷、静岡県清水市を見下ろす日本平山頂に、母子向かい合って建っている像が1986年(昭和61年)に建った)

・北海道虻田郡留寿都村・・・母思像(母「かよ」の入植した開拓農場があった縁で作られた「赤い靴ふるさと公園」内にあり、1991年(平成 3年)に建った)

・北海道小樽市・・・赤い靴 親子の像(母「かよ」と夫の鈴木志郎が女の子とともに小樽に住んでたことから小樽運河公園に三人の銅像が2007年(平成19年)に建った)

・麻布十番・・・きみちゃん像(「きみ」が短い生涯を閉じた孤児院があったこの地にも、1989年(昭和64年)に小さな「きみ」の像が建った)

・山下公園・・・赤い靴(叶わなかったアメリカでの暮らしを夢見て遠く海を見つめるように銅像が1979年(昭和54年)に建った)

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 ある年齢以上の日本の男たちは、「赤い靴」とは女の子のもので、ごく近年までは男が履くなどということは思いもよらなかった。 横浜の波止場から船に乗って 異人さんに連れられていっちゃった女の子の姿が心象風景に染みついているからだ。

 赤い靴を履いた女の子は白っぽい洒落たワンピースを着ているのに、悲しそうな顔をして横浜港に碇泊した大きな客船の前に立っている。 その光景が童謡絵本に描かれた「赤い靴」の定番だった。 ワンパク小僧たちも、そのページを開くと女の子に同情して、どうしてアメリカなんかに行くんだと憤慨したものだ。 歌詞にはないのに、なぜアメリカかというと、戦後しばらく占領米軍兵士が日本中に溢れていた当時、「外国=アメリカ」、「外人=アメリカ人」だったからだ。

 そして、赤い靴はずっと女の子のものだった。 だが、最近、赤い靴を履いている男が目立つような気がする。 きっと流行りの色なんだ。 赤は靴だけではなく、メガネのフレームでもよく見かける。 赤を身につけた男たちを見ても、なんら違和感はない。 きっと、日本社会における性差が縮小してきた時代の繁栄でもあろう。 

 ふと気づいたら、自分でも赤い靴を3足も持っていた。 赤い靴は~いてた~オジ~イ~サ~ン~
 

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