2012年2月1日水曜日

池上線が走る町に あなたは二度と来ないのね




 久しぶりに、東急池上線の戸越銀座で友人と待ち合わせて飲む約束をした。 長いこと戸越銀座に行っていなかったので、飲み屋にたどり着くまでの時間を調べようと、ウェブで「池上線」を検索した。 そして、ついネット寄り道をして、昔、「池上線」という歌があって、はやっていたことを知った。

 1976年に出た歌で、西島三重子という清純そうな若い女の歌手(今はどうか知らない)が歌っていた。 you tube にもあった。 あの時代に流行した失恋の思い出を描いた切なくて、甘く悲しいメロディと歌詞。 悪くない。 しかも、今になって気付くことができる昭和の歴史的風景が刻み込まれていた。 ”古い電車のドアのそば/二人は黙って立っていた/話す言葉を探しながら/すきま風に震えて”

 そうなんだ。 あのころの池上線は東横線のお古みたいなボロ電車だった。 電車のすきま風なんて、今ではウソみたいに思えるが、あの時代は、池上線にかぎらず冬の電車はすきま風で寒かったものだ。 あの寒さは失恋なんかしてなくてもこたえたぜ。

 ”終電時刻を確かめて/あなたは私と駅を出た/角のフルーツショップだけが/灯りともす夜更けに” 

 ある年齢以上の人は記憶に残っているから、夜中の私鉄駅はこんなものだと思ってしまうかもしれないが、いまどき、こんな光景はない。 24時間営業のコンビニなどが普及する前の時代の暗くて寒い駅前のわびしさが、ここには描かれているのだ。

 この歌は、池上線沿線に住んでいる女が去っていく男と最後に会い、電車に乗って送られていくというストーリーになっている。

 歌詞では、”池上線が走る町に あなたは二度と来ないのね”と、女は嘆いている。 去った男はどこに住んでいたのだろうか。

 池上線は五反田と蒲田を結ぶ。 旗の台で大井町線と交差する。 「池上線が走る町に二度と来ない」というのだから、男が住むのは池上線沿線ではない。 大井町線はどうだろうか。 池上線の旗の台を通らないとすれば、旗の台―大井町間、旗の台―自由が丘間は理屈の上では可能性があるが、生活圏があまりに近く、男が旗の台に二度と来ない生活をするのは非常に難しい。 同様の理由で、1976年当時の目蒲線(現在の目黒線と多摩川線)沿線も現実味が乏しい。

 こうして消去していくと、男が住むのは、五反田から山手線、蒲田から京浜東北線、自由が丘以遠の大井町線、東横線沿線ということになるか。 山手線の五反田―品川間、京浜東北線の蒲田ー品川間も生活圏の近さを考慮すると除外すべきかもしれない。

 それにしても、当時の男女が、東京という大都会で地理的にこれだけの広い範囲に距離を置いて住んでいたとしたら、確かに、二度と会うことはできなかったであろう。 もちろん、出会い頭という偶然はあるだろうが。

 現在では、こんな別れは不可能に違いない。 男は別れたつもりでいても、女が寂しくなって未練がましいメールを送ってくる。 悲しくも美しい別れなど現実の物語ではなく、最後は口汚く罵るメールの応酬。

 そもそも、歌詞にあるような「泣いてはダメだと胸にきかせて白いハンカチを握りしめたの」なんていう忍耐力のある若い女は、もはや絶滅危惧種であろう。

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