2012年2月3日金曜日

オレもハーフだ!!!!


 <ハーフということでお子さんはいじめられませんでしたか>
 家でも子どもたちに言うのですが、やっぱり、名札でハーフとわかりますよね。それで、ハーフといじめられても、それは、コミュニケーションの始まりと考えているんです。わたしも日本に来たときには、日本人の子どもに「ああ、外人」と言われましたが、わたしも彼らに、「外人」と言ってやるんです。子どもたちは「外人じゃないよ」と言います。すると、「いや、わたしから見たら、外人だよ」とね。それがコミュニケーションのスタートだと思うんですね。自分の子どもたちにも、そう説明しました。

 日本人の妻を持ち、日本に住むイラン人、Farid Darvīsh Sefat氏が自分の息子について質問されたときの答えだ。(別冊クラッセ)

 息子は1986年8月16日に生まれた。 このころから90年代にかけて、日本でのイラン人の評判は芳しくなかった。 当時、イラン人は日本にビザなしで入国できた。 このため、ホメイニ革命とイラン・イラク戦争で経済が疲弊した母国を離れ、多くのイラン人が日本で建設労働などに従事して出稼ぎ生活を送っていた。 薄汚い身なりの彼らは日本人から見下された。 そればかりではない。 都会の繁華街では、違法テレホンカードや麻薬の売買をする怪しげなイラン人の姿が目立った。

 ハーフの子ども、帰国子女というだけで日本の子ども社会では、いじめの対象になる。 イラン人の子どもがいじめの格好の標的になるのは当然だったろう。

 Farid氏は、貧しい出稼ぎ労働者ではなかった。 豊かな家庭で育ち、留学した米国で日本人女性と知り合い、やがて日本で生活するようになった。

 当時、日本の子どものいじめに遭った男の子の名前は、Ali Farid Darvish Sefat。 ずっと日本とイラン、二つの国籍を持っていた。 2007年10月、21歳のときに、二つの国籍のうち日本を選択した。

 彼の日本名は、ダルビッシュ有。

 日本のプロ野球を代表する図体のでかい豪腕投手が”いじめられっ子”だったとは、にわかに信じがたいが、あのふてぶてしい態度の内面にも傷つきやすいナイーブな部分があるのかもしれない。

 大騒ぎの末、今年、米国大リーグのテキサス・レンジャーズに移籍する。 所属していた日本ハム・ファイターズの本拠地・札幌で行われた記者会見で、ダルビッシュは自らの強い日本人意識を強調してみせた。

 「日本人選手の評価が低くなり、日本の野球が下にみられるのも嫌だった。それが(大リーグ挑戦の理由に)重なった。世界中の誰からもナンバーワンはダルビッシュといわれるような投手になりたい」

 この日本人意識は、一体どこから来るのだろうか。 野茂だってイチローだって松井だって松坂だって、「日本」をこんなに前面に出しはしなかったはずだ。

 「オレは日本人だ」と叫び続ける。 それが、「Ali」 ではなく、あくまでも「有」として生きていくための宿命なのだろうか。

1 件のコメント:

サンドラ・ヘフェリン さんのコメント...

こんにちはー。ダルビッシュのハーフの記事、読ませていただきましたー。私自身もハーフですが、やっぱり身内をひいきするのか、ハーフの人が活躍しているのを見ると嬉しいです^^ダルビッシュ親子も好きです! でもその反面、ダルビッシュ選手のように190cmの野球選手をモデルに挙げることは、日本に住む多くのハーフ達にとっては必ずしも参考にはならないかもしれませんね。なぜならスポーツや芸能界で活躍をしたいハーフばかりでなく、普通の社会人として日本の会社で働きたいハーフも多いからです。でも、この日本で「フツーに」ハーフとして生きる、というのは結構大変だったりします。なんだか長くなってしまいましたが、また記事楽しみにしています。